航宙可潜艦「黒のリヴァイアス」が再起動してから早2年の時がたつ。
 平穏でありきたりな毎日が繰り返される艦内は、現在地球標準時間8月
の末。
 頃は昼食の賑わいが去って久しい、午後のブレイクタイムのことだった。
 
 探していた小さな背中を見つけたのは、まったくの盲点だった自室の前
であった。
 「兄貴」と呼び掛ける声に振り向いたまろみのある頬が、嬉しげに緩むの
に祐希は目を細めた。眩しい陽光を目にした時のように。
 「お疲れさん。今日深夜勤だよな。じゃあ、これから仮眠?」
 近付いた弟を見上げて昴治は首を傾げた。無意識のその癖が、当人の
気にしている「小動物に見える」所以であることを兄は未だ知らず、それを
気に入っている祐希には取り合えず教えてやるつもりもない。
 あんたを探しに部屋に行く途中だった、とは白状せず、祐希は曖昧に頷
きながらIDカードをキースロットに滑らせた。
 当たり前のように肩を抱き入室を促した兄に本当を告げなかったのは意
地でも見栄からでもない。由来する理由を上手く説明出来ないような気が
したからだ。
 反駁するふうもなく招かれておきながら、昴治は今更のように気遣わし
げな顔で振り返った。
 「ごめんな、すぐ出て行くから。少しだけいいか?」
 「別に、構わねえよ」
 兄の顔を見られた時点で祐希の目的は殆ど叶ったと言えるから。方便に
した仮眠の体裁を整えるべく、羽織っていたシャツを脱ぎベッドの足元へと
放り投げる。
 その時、ふわりと背後から抱き締められた。祐希の心拍数が瞬時跳ね上
がり、頬は自覚出来るほどの熱を持つ。
 そんな仕業の犯人は勿論兄しかなく、抱き締められたというよりはしがみ
つかれたといった方が正しい有り様だった。大体が今の2人にとっては何
でもない行為の1つでしかないのに---それでも。
 「何か・・・あったのか」
 「・・・うん・・・何でもない・・」
 弟の動揺に気付かないまま、昴治は辻褄の合わないことを言う。
 普段こんな風に甘えるのは祐希の方ばかりで、昴治は常に受け止める
側だった。
 その兄が何時にない行動をとる所以は、おそらく1つだけ。
 昴治はいま酷く気落ちしているのだ----祐希と同じように。
 「何でもない」という兄の言葉は当然不正直なものだろう。それと承知で
祐希は追求することをせずにおいた。
 昴治を探していた自分が、その理由を上手く説明出来ないような気がし
たのと同様に、兄もまた言葉で端的に説明出来ない心情を持て余してい
るのだと思ったから。
 何だか色々なことが思ったようにいかなくて。明確に誰のせいというでも
なく、それでもやっぱりどうにも遣る瀬無ない思いを抱えた時。
 会いたい、と願った。それで何か1つでも解決する筈などなく、時間を費
やすばかりなのも承知した上で---それでも、と。
 おそらくはそんな時、昴治は祐希を求めてくれた。広い艦内でその姿を
探し歩いたかもしれない。祐希がそうしたように。
 たった1人の相手に必要とされている幸福に、胸の鼓動は殊更に高まっ
ていった。
 後ろから腰に回されていた小さな手をそっと握った。
 「兄貴」
 「ごめん・・・もう少しだけ・・」
 祐希の呼び掛けを曲解したらしい昴治は、小さな声で哀願した。更に身を
摺り寄せてくる兄への愛おしさに眩暈さえ感じながら、
 「ばか、そうじゃなく」
 握った指に自分のそれを絡めて、祐希は乱暴にならない程度の力で兄
の左手を引いた。
 あっけなく祐希の目前に引き出された昴治が少々不満気に口を開くより
早く、その華奢な身体を正面からそっと抱き締める。
 「どうせなら、こっちにしろ」
 頬に触れる明るい色の髪に口付けた。ただこんなふうに兄に触れたくて
リヴァイアスのあちこちを軽く小一時間は歩き回った。
 祐希の思惑が伝わった筈もなかったが、昴治はやはり小さく「うん」とだ
け言って、弟の胸に顔を埋めた。
 柔らかな髪の間から覗いた両耳が真っ赤に染まっているのに気付き、そ
の耳朶の付け根からうなじにかけてを指先だけで撫で回すと、昴治は切な
げな息をついて身じろいだ。
 そんな兄の全てが---ただ、愛しい。
  細い顎を持ち上げて、淡い色の唇を毎夜そうしているように思うさま濡ら
してやりたい。祐希は欲求を満たすべく痩せた背中を抱く手を緩めた。が、
 「・・・ありがと、な」
 見計らったようなタイミングで昴治は弟の胸を押し戻し、合わせていた身
体を引き離す。
 名残惜しさに引き止めようとする腕に自身の手のひらを重ね、照れくさそ
うに兄は微笑った。
 刹那、結果的に取り繕った体裁をかなぐり捨てて、強引に昴治をベッドに
引き倒す自分の姿が脳裏を掠めたが、それを実行せずにいる程度の自制
が今の祐希に働かない筈もない。
 「もう・・・平気か」
 自分にこそそう言い聞かせ、「うん」と小さく肯いた兄の肩を不承不承解
放した---その時。

 「じゃなきゃ・・・離れられなくなりそう、だから---」
 夢にさえ聞いたことのない、甘やかな囁きが祐希の鼓膜を打つ。
  思わず伸ばした手を子猫の身のこなしでするりと躱し、昴治はドアを背に
して振り向いた。狭い個室の中、二人の距離は僅かに三歩。
 それでも。
 祐希は決死の思いで自身を制した。
 この腕の中に捕まえて、この部屋に閉じ込め縛りつけることは容易いだ
ろう。けれど、どれほど深く想ってくれていようと、祐希に溺れその他の全て
を蔑ろにすることを兄は決して望みはしない。
 それは即ち、祐希が選んだ「相葉昴治という存在」を否定する行為に他
ならないのだから。
 口説き文句としか取れない台詞を口にしたことに照れてか、兄は頬を染
め俯きがちに弟の名を呼んだ。
 「今夜は、会えないな・・・」
 あんたが呼ぶなら、どこにでも駆けて行く。
 言葉にはしない本音を掌に握り込み、祐希は「そうだな」と嘯いた。
 「コールしろよ」
 せめて声を聞かせて。
 「お前から」
 祐希の提案を予想していたように昴治は強請った。今度こそ真っ直ぐに
瞳を見つめ返して。
 あんたが望むなら---。
 兄を得たいま、祐希に出来ないことなど、この世に何一つとして有りはし
ない。
 「ああ」
 声に出してはぶっきら棒な応えに、それでも昴治はふんわりと微笑う。満
ち足りた穏やかなその稚い笑顔の傍らに、生涯在りたいと心から願う。
 
 俺だけのきみでいて。
 きみだけの俺であるように。

 今日までのように。
 今日からもずっと。
 
 ふたり・・・・・。




  <end>

make me your own

何と1ヶ月半遅れの祐希お誕生日おめでとうSSでした。おにいちゃんが祐希LOVE2だってところで許してね、祐希(^_^;)