千本目の針








「もう離れない」

「ずっと一緒よ」

 

 

 古い映画のビデオチップを借りた。

 それが自分にも弟にとっても趣味でないことは分かっていたが、幼馴

染みの得意満面な笑顔に気圧されるように受け取ってしまった。

 リヴァイアスに再び乗り込んでから三年目の、ある夜のことだった。

 

 「・・・ホントにコレ俺と見ろ、って言ったのか。あおいのヤツ」

 兄と弟のネームプレートを掲げた部屋の中、往年の名映画は中盤をむ

かえていた。小さなソファをいつものように独占した祐希が、些かどこ

ろでない呆れ口調でぼやいた。

 「うん・・・絶対オススメだって」

 昴治はカーペットに直接腰を下ろしてソファに背を預け、弟が行儀悪

くテーブルの上に投げ出した足にもたれ掛かった姿勢で、同居人同様に

致し方なく画面を眺めていた。

 愛し合う二人が幾つかの偶然と作為の果てやむなく別れ、やがて互い

の情熱に導かれ再会する。ラブストーリーとしては定番であり、だから

こそ多くの共感と感動を呼ぶのだろう---けれど。

 「七夕の夜くらいロマンチックに過ごしなさいよ」とチップを半ば押

しつけながら、あおいは何処だかの外国の猫のようにニンマリと笑った

ものだ。

 おそらく---いや間違いなく、兄弟の「新たな繋がり」を彼女はすでに

知っている。

 何に対するでもない焦りとバツの悪さ、そしてより以上の気恥ずかし

さに昴治は嘆息を禁じ得なかった。

 ちっ、と大仰に舌打ちをしながらも、傍らの兄を脅かさぬためにか、

祐希は至極ゆっくりと立ち上がる。

 簡易キッチンの子型冷蔵庫からペットボトルを取り出して、やはり無

遠慮に口をつけている背中に言ってみた。

 「お前嫌いだもんな。恋愛映画」

 「そりゃ、あんただろ」

 間髪置かずに反撃を食らった。「格闘物専門じゃねえか」と図星をつ

かれ、そういえば幼い頃一緒に母に連れられて行ったアニメ以外には、

祐希と映画を見たことがなかった事実に思い至る。

 だから、昴治は知らない。こんなにそばにいる恋人が、本当はどんな

ジャンルを好むのか。そんな瑣末事さえも。

 

『ずっと---』

 

 灯りをおとした部屋のベッドの上。今夜も二人は当たり前に肌を重ね

た。

 昴治の身体中を余す処なく祐希の唇が撫で、舌がなぞり、巧みな指先

が弄りまわす。

 もともと触感に過敏な性質だから、知り尽くした祐希の手馴れた愛撫

に、昴治が悲鳴を上げるのにさしたる時間はかからない。

 「っあ・・・ゆう・・も、もう・・だめ・・・」

 兄の求めに応え、丁寧にほぐした最奥に祐希の昂ぶりが宛てがわれた。

その確固たる存在感に、これから与えられる悦楽への期待に、堪らず腰

が泳ぎ甘い声が洩れる。

 「あ・・んっ」

 交わりに慣れた身に挿入の圧迫は束の間のこと。ひとつになれた悦び

に胸が満ち、当たり前の苦痛など祐希の熱い囁きに容易に溶けていくの

だ。

 「・・兄貴・・・あんた、だけを・・」

 それさえも今は、二人の日常。

 

『ずっと一緒だよ』

 

 激しく甘く追いたてられる中、先刻の映画にあったような台詞が、聞

き覚えのある「声」の韻をもって耳の奥に響いた。

 次いで脳裏を過ったのは実家の小さな、懐かしいあの庭での情景。し

ゃがみこむ幼い弟の頭を撫でている自分の姿だった。

 

『おとうさんがおうちからいなくなっても?』

 

 目許を真っ赤にして祐希が泣きじゃくっている。

 ああ---確かこれは、両親の離婚をはっきりと告げられた日のこと。

 

『にいちゃんはいなくならないよ』

 

 昴治は困惑の表情を隠す術もなく、それでも出来るだけ元気な振りを

して言った。祐希はそんな兄を信用したのか否か、不安も露わに顔を覗

き込んできた。

 

『ずっとゆうきといる?』

『うん、ずっと』

 

 弟とはたった一つ違いの昴治だから、本当は不安なのもお互い様だっ

たけれど、必死に自分に縋りついてくる祐希をやっぱり安心させてやり

たくて。そう思うと少しだけ笑うことが出来た。

 

『ほんとーにずっと?』

『じゃあ、やくそく』

『やくそく!』

 

 昴治が立てた小指を目の前に指し出すと、涙を浮かべながらも祐希は

嬉しそうに微笑んだものだ。

 

『うそついたら 針千本 飲ーます』

 

 そうして指きりをした。

 何べんも繰り返して、笑い合った。

 そう---確かにあんなに・・・誓ったことだったのに。

 

 「・・・ああ、じゃあ---全部“針千本”だったんだ・・」

 情事の後、裸のまま毛布に包まった昴治が独りごちる。

 頭の中には庭での優しい思い出と、ほんの数年前までの手厳しい体験

が入り乱れていた。

 あの、狂気と現実の間に翻弄された初航海。

 いまは甘くこの身を抱くやさしい手に何度殴られ、幾度罵られただろ

う。

 「何か言ったか」

 いまはぶっきらぼうながらも、昴治への強い想いを夜毎囁いてくれる

この唇で。

 それもこれも全部---「約束」を違えた昴治への、徹底的に過ぎる報復

であったのか。

 「うん」

 風呂から上がったばかりの祐希が髪を拭きながら近付くのに、横にな

ったまま手を伸ばした。

 「---なに笑ってんだ」

 知らず苦笑が浮かんでいたらしい。

 兄の望む通りベッドに片膝を乗せた祐希の、着崩したシャツの前を掴

んで引いてみた。素直に引き寄せられた祐希の、秀麗な貌が近付く。

 触れるだけの、稚いキスを仕掛けてから、

 「約束---しようか」

 唐突であることは承知の上だった。

 「何だよ、いきなり」

 案の定祐希は怪訝そうに眉を寄せて兄を見下ろしている。

 遠い日、縋るように昴治を見上げていた瞳で。

 かつて、嫌悪にその美貌を歪めていた眼差しで。

 いまは愛おしいばかりの恋人の頬を両手でつつみながら、昴治は微笑

いかけた。

 「---ずっと、一緒だよ」

 驚きに祐希の目が大きく見開かれた。その表情に幼い日の弟の面影が

重なる。

 

『針千本 飲ーます』

 

 ぽつり、と祐希の唇が声を綴った。

 「・・・信じねえよ、もう」

 

『ほんとにほんと?』

 

 弟の反応に、昴治はますます笑みを深めた。

 祐希が覚えていてくれた。たとえ一度は失われた誓いであったとして

も、それでも世界で二人だけが持つ、大切なものであることは真実---

だから。

 「二度目の正直」

 拗ねた視線を向ける弟の首に腕を絡める。

 

『ほんとだよ』 

 

 祐希の渋い顔は、もはや呆れ顔に変わっていた。

 「---そりゃ「三度目」だろ、普通」

 ぼやき口調の台詞を返されても、昴治の微笑が消えることはない。

 降り注ぐ不器用な恋人の口付けが、深さを増すごとに甘く心を蕩かし

ていくのだから・・・。

 

 

 

<end>



七夕SS とは名ばかりの小作でした(^.^)