愛なんて コトバじゃ足りない

 「おい」
 顎をしゃくるような、尊大にも思える態度で祐希が目線をこちらに向けた。
 「お前、ちょっと味濃すぎ」
 昴治は呆れたような口調で言って、横に並んで座る弟とは反対側のテーブルの角に置かれた
調味料立ての中から、ソースの容器を差し出す。
 「・・・うるせえよ」
 愚痴のように洩らした祐希の言葉尻に、1年半前の自分ならきっと癇癪を起こしていただろう-
--そう独りごちて、昴治はそっと口元を綻ばせた。
 素直でない弟が口にする「ありがとう」の代わりのそれに、気付いてやれるようになったことが
嬉しい。
 再乗船から約半年。特に「仲直り」なんて儀式を経たわけでもないけれど。何とはなしに、どちら
からともなく近付いていた---その距離。
 お互いがそれを望んでいたからこそだと、今ならば分かる。
 こんなふうに偶然レストルームで行き会って、当たり前に同じテーブルについて。
 取りたてて何か話すわけでもなく、けれどその沈黙は空気のように自分に馴染むのだ。
 「残すなよ」
 フォークを置こうとした瞬間を見咎められた。昴治は苦虫を噛んだように渋い顔になって、目の
前のトレーを今更に見下ろした。メインは大方平らげていたけれど、サラダは半分ほど、サイドメ
ニューに至っては殆ど手付かずの有様のそれを。
 「全然食ってねえだろ」
 「オーバーなこと言うなよ」
 機嫌を損ねた振りをして膨れっ面を作り、サイドの盛られた皿を既に空になった弟のそれと徐に
取り替えた。
 「何ガキみたいなことしてんだっ」
 「うるさいっ」
 言い置いて立ち上がろうと引いた椅子の背を後ろ手で押さえられ、昴治は無様に前へとつんの
める。祐希はまだ持ったままだった自分のフォークで、兄のサラダからトマトの一片を持ち上げた。
 胸に抱え込まれるように肩を掴まれ、昴治はトマトを口元に近づける弟を睨んだ。
 「お前、キタナいぞ!俺が力じゃ適わないと思ってっ」
 「ガキに食わせるには、コレが一番だろ」
 「ばか祐希!は〜な〜せ〜っ!」
 「バカはどっちだ、そんなに痩せっぽちのくせにっ」
 なおも暴れる兄の頬を祐希の、いつの間にか大きくなった手のひらが包んだ。
 「こんなに小さくなりやがって・・・ちっとは言う事聞けよ。あんまり駄々こねてっと、あおいにチクる
ぞ!」
 兄弟にとっての最終兵器の名を出され、昴治は「うっ」と文字通り言葉に詰まった。それでも悔し
げに---「お前が勝手に大っきくなっただけだ!」---反論を返しはしたけれど。
 
 弟に肩を抱かれたまま、その手が差し出すフォークを口に含み、拗ねた仕草でまぐまぐとトマトを
咀嚼する親友の姿を僅かテーブル2つ分離れただけの距離から、イクミは感慨深げに眺めやって
いた。
 時はまさにランチタイム。
 オーダーカウンターだけでなく、入店の順番待ちの行列まで出来ているというのに、件の兄弟の
座する周囲2m四方は見事なほど無人地帯と化していた。
 勿論誰かがそれを強要したのではない。ただ---誰1人入り込む余地さえないほどに、そこには
侵しがたい「世界」が確かに存在していたのだった。
 「昴治はとにかく・・・祐希はあれ、気が付かないでやってると思います?」
 お伺いを立てたのは向かいに座る友人---たった今目前で話題に上っていたあおい、その人で
ある。
 「「人目」をって意味?だと思うわよ。元々祐希って昴治よりずっとシャイだし」
 「それに、あおいがここにいるの知ってたら、わざわざあの発言はないでしょ」
 イクミの隣で同意を示したのは、こずえの楽しげな笑顔だった。
 「もしかしたらあおいさんが、お兄さんの心配をするあまり、本当に割って入ってこないとも限らな
いんだものねえ」
 斜め前には祐希の相棒を自負するカレンの、少々呆れた苦笑があった。
 「冗談でしょ。まだ馬に蹴られて死にたくないわ」
 顔を顰めてあおいがぼやく。それを聞きとがめたこずえの---「なんで馬に蹴られるの?」---問
いかけで、場の話題は地球圏日本の慣用句なるものに移っていった。が、
 (あのメニューで、「おい」の一言でソースを迷いなく渡せるなんて・・・さすが一緒に育っただけあ
るなあ---)
 イクミの興味は未だ皆とは別のところに注がれていたのだった。


 ネーヤは自分の事をよくは知らない。
 ヒトがヴァイアと呼ぶ生物から出来ていること。自分が「ネーヤ」であること。最初から漠然とでも
解かっていたのは、たったそれだけだった。
 その他の全ては、強引にネーヤを目覚めさせた---彼女自身でもある「リヴァイアス」の中の皆
が教えた。
 生と死。痛みや怒り、恐怖。そして---受け止めることの難しさを。
 沢山のヒトの中で、ネーヤが一番強く惹きつけられたのが昴治だった。理由は定かではない。け
れど、昴治にとってもネーヤはある種特別な関心を持った相手ではあったから、呼び合ったのだと
いえなくもないだろう。
 再会してからはもっとずっと、知りたかった多くを昴治に習った。
 それは知識や情報などではなく、もっとずっと---コトバなんかでは表せない、大切なことばかり
だった。
 だからネーヤは昴治のことがやっぱり一番大好きで、だから昴治が大切に想うものまでが、やっ
ぱり特別に思えるのだ。

 「祐希」
 呼び止められて振り向いた通路の真ん中で、しかし何処にも声の主の姿はなかった。ほんの一
瞬の逡巡の後、祐希は一番傍の曲がり角を覗き込んだ。
 はたしてそこに、当の兄が息を潜めているのを見つける。
 「何してんだ、あんた」
 しっ、と人差し指を唇に当てて昴治は弟の腕を引き、自分のいる倉庫を背にした行き止まりの道
へと誘った。怪訝な顔の祐希にも構わず、辺りをきょろきょろと窺ってから、
 「ほらこれ」
 手にしていた小さな袋を持ち上げて見せた。
 何だよ、とボヤきながら開いた中身は、解熱剤と冷却シート、そしてドリンクビタミン剤。
 ちらりと見下ろした祐希の視線を受け止めて、昴治はそっとその耳元に囁く為に背伸びをした。
 「お前具合悪いの、他人に知られるの嫌いだろ」
 それだけ言うと姿勢を戻して、
 「イクミが言ってたからさ。今日の実習は祐希がいてくれないと困るって。だったらお前絶対休ん
だりしないよな」
 「・・・何で」
 知ってるんだよ---祐希は常にない気弱げな声音で呟いた。
 「さっきメシん時。手、熱かったし」
 調子悪いと何時もよりくっついてくるから、とは昴治は言わない。
 祐希は何か言いたげに昴治を見たが、結局口を開く代わりに、やはり片手に持っていた薄いファ
イルで兄の明るい色の髪を軽く叩いた。
 「何すんだよ」
 むっとして見上げるまろみのある顔にそれを押し付け、
 「こないだの考査、追試だろ。明日だよな」
 見舞の品を手に歩き出す。
 弟の言葉に驚いて昴治は慌てて強引に渡されたものを開いた。そこには苦手とする---ゆえに
追試をくらった科目の、いわゆる虎の巻がファイリングされていた。
 「・・・何で---俺だって、今朝聞いたのに」
 図らずも弟と同じ言葉を繰り返す兄に応え、祐希は角を曲がりざま一言だけ言い残した。
 「トマト」
 「---あ」
 昴治はあっけにとられたような顔をして、通路に遠くなる祐希の背中を見送っていた。好き嫌い
は基本的にあまりないけれど、出来れば避けたい生のトマトは、気分が落ちているときにはやはり
食べる努力さえ辛くて、残してしまう傾向が昔からあったのだ。
 「妙なコトばっか、覚えてんだもんな・・・」
 台詞とは裏腹に溢れる笑みが抑えられなくて、昴治は暫くその場を動く事が出来なかった。
 だから---仕方がないや、とファイルのページを捲って過ごした。自分でも不思議に思うほど熱く
火照った頬の赤みが治まるまでの時間を。

 「よけいにねつがあがるじゃねえか、ばかアニキ」
 昴治をそっと見つめながら、ネーヤはたった今伝わってきた強くて温かい想いを呟いた。大きな
幸福に満たされた、甘やかな囁き。それに触れたことが嬉しくてネーヤは微笑んだ。
 目の前で大好きな昴治が浮かべている、優しい笑顔と同じ「色」をした「それ」が、なんと言う名で
呼ばれるかを---ネーヤは、もう知っている。



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もあり蒼さまリクエストの「とっても仲が良くて息が合っている相葉兄弟(但し本人達は無自覚)」        Back
でした。“仲が良く”の解釈をLOVE未満にしてみましたが、お味は如何だったでしょう?
周りの人々から見た兄と弟ですね。 さて、イクミが驚いた「あのメニュー」とはっ!(^。^)
最近殺伐としたハナシ(某へなちょこふぁんたじぃ(^_^;))を書いているので、久々にべたべたした
2人が楽しかったですvv