晴れても 曇っても


 

 栄えある再出発をきった黒のリヴァイアス」号。
 その艦内に集う数ある飲食店の一角に、一つのレストランがあった。 
 少々レトロな内装やディスプレイによるものか、大人向けの雰囲気漂う----有り体に言えばイケてない----この店は、その為いつでも席に余裕があり、静かにゆっくりと食事が出来る隠れ家的な場所ともいえた。

 四月初めのある夜のこと。
 そんな店内の最奥には、向かい合う二人連れの先客が在った。
 特に会話が弾んでいるふうでもないが、お互いが満足げに食事を楽しんでいる。ひとりは平凡な容姿の小柄な青年、もう一方は目の覚めるような美貌の、同年代と思しき青年だった。
 彼らから程遠い、ちょうど間仕切りの観葉植物で双方の視界が遮られる位置を選んで、蓬仙あおいと和泉こずえは席に着く早々、これまた装丁の地味なメニューを広げ始めた。
 「久しぶりだねえ。このお店」
 「ほんと。ここんとこ二人して麺類にコッちゃってたもんねー」
 これ食べたい、そっちも美味しそう----あれこれ言い合いながら注文品を選ぶのもまた、友人との外食の醍醐味だ。
 とりあえず、と決めた料理を注文し終わり、次は今日のショッピングでの戦利品を展覧会よろしく論じてみる。
 「うんうん、やっぱりこずえはその色似合う。バッチリだよ、そのワンピ」
 自分の手柄のように言って、あおいは満面の笑みを見せた。
 「そっかなー。可愛く見える?」
 「見える見える、尾瀬が惚れ直すこと請け合い!」
 「わっ!ダ、ダメだよ。あおいっ」
 さらさらの髪を編み込んだおさげが、台詞と同様に飛び跳ねた。親友の掲げた握り拳を両手でキャッチし、泡を喰った様子でこずえは声を低める。
 「そんな大きい声で言ったら、あの二人に聞こえちゃう」
 「別にいいわよ、そこまで気を使ってやらなくても」
 「そうじゃなくて。イクミが私に惚れるとか、そーいうコトは・・・」
 イクミは現在、ごく普通の----いやそれよりも少しだけ親しい友人、というスタンスでこずえに接している。そんな理由も必要もないのに、こずえへの負い目を胸に抱えたままで。
 だからこそほんの僅かでも、彼にとって負担になる事は冗談でも口にして欲しくなかった。何故ならこずえにとってイクミは今でも恋しい相手であり、そのことを洞察力に長けた彼自身に悟られているのも解っていたからだ。
 そう抗議しかけた言葉をふいに浮かんだ疑問符が掻き消した。なおも小声になって、
 「・・・それってやっぱり、二人に気を利かせたんだ?こんな一番遠い席にしたのって」
 店の最奥で向かい合う、二人連れの先客。
 目の前で肩を竦める親友の幼馴染みであり、このリヴァイアスで一、二を争う著名な兄弟でもある。小柄な彼のほうが兄の相葉昴治、あおいが数ヶ月前まで付き合っていた相手だ。不揃いな前髪に隠れてなお秀麗な貌をもつのが一つ違いの弟、名を祐希という。
 飲み物と前菜が届けられた。
 「独占欲強いから、祐希は。せっかくの水入らずを邪魔したりしたら、被害被るのは私じゃなくて昴治だしね」
 サラダ菜をフォークに刺しながら、あおいは呆れ口調だ。
 「この状況、本当に良かったって思うけど。やっぱり目の当たりにするとこう、不思議な感じするね。あの二人がほのぼのしてるところ」
 こずえの率直な感想は、初航海から兄弟を知る者達の総意でもあった。
 「んー、そうかもね。でも私にはこれが正しい光景なんだなあ。なにしろ「もういい加減にしなさい」ってくらい、仲良かったんだから。もともとは」
 八ヶ月にも渡る旅の当初、こずえにとっての彼ら二人は、何の価値もないただの通りすがりだった。
 正確には漂流の本当の最後で、昴治がイクミに、その場にいた全員に指し示した「自分らしく在ること」の意味を受け止められるようになるまで。
 「よかったね、あおいちゃん」
 心から言えた。
 少し照れたような、それでいて何でもなさを装った親友の----「まーね」----返答に、こずえは改めて彼女への愛おしさを噛み締める。
 あの時----狂気に満ちたこの艦の中で、こずえは必死に自分の身を案じてくれたあおいを突き放し、理不尽に糾弾した。
 彼女を巡って争う兄弟を引き合いにだしてまで、かねてから持つ己の高慢さ故の劣等意識を怒りにまかせ、無関係なあおいにぶつけたのだ。
 救出された後の、永くも短くもあった八ヶ月。
 「当局」からの再乗艦依頼を受ける決心をしてからずっと、あおいに謝罪する事だけを考えていた。昴治がそばにいる限り彼女がそれを断るはずはなく、再会は約束されたようなものだった。
 自分のした行いが許されることはあるまい。それでももう一度あおいの顔が見たかった。せめて声が聞きたかった。
 一人っ子のくせに姐さん肌の、真実やさしいあおいであるから、しつこく縋り付いて許しを請えば何時か折れてくれはしないか----取り戻したいと願うあまり胸に湧き起こる、そんなつけ込むような狡い考えを幾度も叱りつけた。
 それなのに。
 再出発のあの日。こずえを見つけ、呼び止めたあおいの声。震える足を叱咤して振り返った先には、喜びに涙した懐かしい笑顔があった。
 夢かもしれない。両手で頬を叩いたら、自分は月の家のベッドの中で、ひとり泣いているだけかもしれない。
 そんな杞憂は一瞬のことだった。駆け寄るあおいに抱きしめられ、紛いようのないその温もりに目眩さえ感じた。
 「会いたかった」と囁く掛け替えのない人に、こずえは何をも口に出来なかった。伝えたいことが余りに沢山あり過ぎて、溢れ出る涙が喉にふたをしたように。
 ただその細い肩に縋りつき、声を殺して泣き続けた。
 宥めるように背中にまわされた、手のひらの温かさをたったいまの事のように覚えている。
 あれから共に過ごした、新たなる八ヶ月。
 「----ごめん、こずえ」
 それぞれが1つづつ選んだパスタを好きに取り分けながら、少々神妙な顔であおいが言った。
 「からかうつもりで言ったんじゃないんだ、さっき」
 何の事だかすぐには分からずにフォークを持つ手を止める。「惚れる、とか」と済まなそうに付け足されてやっと、先刻のイクミのことだと理解した。
 「ヤダ、そんな改めて謝ったりしないでよ。あおいが面白半分で言ってるんじゃないのは、私ちゃんと分かってるんだからね?」
 こずえは立ち上がらんばかりの大袈裟な身振りで、両手を振り回しながら言い募る。親友が心を砕いて案じてくれる思いは、いつでもこずえの胸に、大輪の花のような鮮やかさで存在し続けているのだから。
 あおいは「後のお楽しみに」と手元に盛っておいた、冷製チーズグラタンの皿をそっと押して寄越しつつ呟く。
 「こずえ、これ好きでしょ」
 唇を引き結んだその表情には、バツの悪さとより以上の照れ臭さが感じられた。あおいだって大好きでしょう、などと言ったりはせずに、こずえは手にしていたフォークでグラタンを均等に分け微笑む。
 「うん、ありがと。じゃあ半分こ」
 しばらく目をパチクリさせたあと、あおいはこずえにつられたように口元を緩めた。
 再会の夜、あの日の酷い言葉を取り消させてほしいと願ったこずえに、
 「それはこずえがあの時、あんまり辛かったせいだよ。私は実際何の助けにもならなかったんだし。ただ・・・伝えたかっただけなんだ----そんな全部を私が本当に、解かりたいって願ってたこと」
 少しも責める口調でなく言う親友が、真実どれほどの傷を心にうけたかを知る術も最早ないけれど。
 修正液で消すように切り捨てられはしないもの。気が遠くなる程祈っても、決して取り戻せはしないもの。世界にはそんな理不尽な物事が、幾らでも自分たちを取り巻き待ち構えているのだと、教訓と呼ぶには頗る手酷い仕打ちによって思い識らされた。
 ただ恵まれ甘やかされ続けてきたことにさえ気付かぬままの、無知なだけの子供だったのだということを。
 「・・・うん、半分こ」
 こずえが毎夜夢に見た、大切な笑顔が今ここに在る。照れながらも真っ直ぐにこずえを見返してくれる、この誠実な存在を尊いものと思うから。もう、間違えたりはしない。
 晴れた日にはもちろん、たとえこれからどんな嵐に巻き込まれても。
 何かに傷付き、その都度失うものがあったとしても----決して。

 二度とこの手は離さない。



<end>





「何がそこまで気を使ってやらなくても≠セ。最初っから全部筒抜けだっつーの」
「・・・そんなコト、あいつらに言うなよ?」
独占欲強くって悪かったなっ
「だから、そーいう・・・」
「何笑ってんだよ」
「わ、わらってないって」
「バレバレの嘘つくんじゃねえよ!クソ兄貴っ」 


ノマさまリクエストの「腐女子でない、あおいとこずえの会話」でした。
友情話その2ですね。イクミにとっての昴治、こずえにとってのあおい。似て非なる思いのベクトルが
皆様に上手く伝わると嬉しいのですが。ちなみに何気に昴治のお誕生日記念も兼ねてみました。
すみません、何しろ祐×昴サイトですから(笑)