カレーライスとライスカレー

桜三姉妹のくさか智さま主催のリヴァイアスアンソロジー第3弾「リヴァイアスカレー」よりの再録です。

カレーをテーマにした御本でした。

何故「カレー」なのか。それはアンソロ発行が決まった現場にいた人たち、にも解らない?(笑)

                                                  

 そもそもの発端は大変些細な、直裁に言わせてもらえば馬鹿馬鹿しくも下らない

口ゲンカだった。

 先手は黒のリヴァイアス号きっての花形部署たる操船課班長、尾瀬イクミ。対す

るは同部署のエースパイロッ
トことリフト艦の専制君主、相葉祐希。押しも押されも

せぬこの艦一の名物コンビの、今や日常的な諍いの内の一つが今回の面倒事の

全き元凶なのであった。


 「で、その割りを食うのはやっぱり俺なんだよな」

 深々と溜息をつきながら、自前の包丁でもってじゃがいもの芽をとる。その横顔に

有り有りと諦めを滲ませて、
かの元凶らの親友であり兄である相葉昴治は、下らな

い口ゲンカに巻き込まれてからこっち、もう幾度目になるか分からない溜息を改め

て吐き出したものだ。

 皮を剥き終えたじゃがいもを賽の目切りにした。特に意図してではなく単なる習慣

だったが、ふと、そういえ
ばイクミは具は大きいに限ると言っていたかもしれない

思い返した。

 「・・・手遅れだから仕方ない。まあ、あいつは煩いこと言うかもしれないけど」

 代わりにイクミの好きなものを何か入れてやろうか。きのこ類──は祐希も好き

だから問題ない。海老──
は祐希が魚介類の入ったコレを好まないから却下だ。

 あれこれと検討するも、基本的に好き嫌いのないイクミと、偏食の極みである祐

希の双方の嗜好に沿わせよ
うとすれば、結果的に弟の好みに合わせざるを得な

のが実情だと今更に気付いた。

 ほんの一瞬親友に申し訳ない思いが浮上した。が、

 「馬鹿馬鹿しい。大体俺がそこまで気にしてやることないんだ」

 今更他の具を大きくしてもバランスが悪かろう。人参玉葱を約1センチ角に切りな

がら昴治はそう開き直る。
そう言い捨てたくなるほどに件の「下らない口ゲンカ」は、

まさに「聞くも呆れ、語るも呆れ」なものでしかな
いのだから。

 

 話は6時間ほど前に遡る。

 眉目秀麗、文武両道、言語道断を地でいく二人の英雄が、木星軌道上を順調に

航行中の平穏な艦内で朝も早
から意見を衝突させていた、という知りたくもありが

たく
もない情報を昴治に薺した人物がいた。

 誰あろう彼らの同僚たるリフト艦の紅一点カレン・ルシオラその人である。

 処は昼食には少々早い11時過ぎのカフェの一角。半分ほど食したランチプレート

の残りを持て余し気味
にフォークで突いていた昴治に、何やら上機嫌な様子のカレ

ンが声を掛けてきたのだ。

 「カレーライスとライスカレーの違い?ケンカの理由が?」

 頓着なく向かいの席に陣取った女戦士の「情報」を思わず反芻した。驚愕の為で

なく、余りにも呆れたが故に。

 「そうなのよ。もっと正確に言えば、どちらの形がカレーという料理としてより正統

か、ってとこで」

 皿に盛ったライスの上にカレーを直接かけるのがライスカレー。カレーをライスと

は別にカレーポットに盛る
のがカレーライス。

 昴治も以前何かで読むか聞くかしたことはある。もっともこれ以外にも諸説はある

らしいが。

そんな他愛ない定義付けから始まった、最初は単なる雑談だったのだけれどね

とカレンは苦笑した。

 「それが何でケンカになったり?しかも、祐希はとにかくイクミまでが」

 何においても己を曲げない強情で偏屈なところのある弟ならまだしも、自制に長

け和を尊ぶ傾向の強い親友
が、ましてこんな下らないことで。

 「最初は尾瀬くんもただ面白がってただけよ。でも祐希が・・・祐希ってカレー、好き

でしょう?」

 これには大きく肯いた。今よりもっと偏食気味で余り食事に興味を示さなかった幼

い弟が、自分から喜んで
食す数少ないメニューの内の一つだった。ただし幾つ

の条件がクリアされていればの話だが。

 作った回数は勿論母が圧倒的に多かった。けれど、

 「いつもお兄さんが作ってたんですってね。祐希仕様の特製カレー」

 「・・・いつも、ってわけじゃ」

 揶揄めいた口調につい及び腰になる。自分たち以外はに誰も知らないはずの弟

との特別な甘い絆の故だった。

 確かに昴治の作ったカレーを祐希は特に気に入っていたようで、大きな鍋が空に

なるまで何杯でも、毎食で
も嬉しそうに食べていた。かつての諍いの間際までは。

 「けど、それがケンカと何の関係が」

 あるんだ、と言い掛け嫌な予感に眉を寄せた。その反応にますます楽しそうに笑

んで、英雄の一人たる少女
はアイスコーヒーのグラスに差したストローでカラカラと

氷をかき回した。

 「さっきの定義で分ければ、祐希が食べていたのはライスカレーよね。片や名士

の出の尾瀬くんの家では当
然カレーライスだった」

 それはそうだろう。一般的な家庭で普段の食事の際にわざわざカレーポットを用

意することは余り有るまい。

 「そこまでは良かったんだけど。ラリイたちが羨ましそうに色々質問したわけ。さぞ

や高級な食材が、例え
ばアワビとかオマール海老とか上等な牛肉とかが入ってい

たんだろう、とかって。話しているうちに段々尾瀬
くんも調子に乗っちゃったんでしょ

うね。最初からライス
カレーをかけて出すライスカレーというスタイルがそそも

安っぽいんだよ、って」

 イクミとてこのリヴァイアスで幾度もその「ライスカレー」を口にしている。昴治も目

にしたことがあるし、
あおいやこずえの手によるそれを絶賛するのを聞いてもいた。

カレンの言う通りまさに「つい調子に乗った」
だけのノリの言葉だったろう。が、

 「そう。お察しの通り、祐希にはそれが相当カンに触ったみたいでね」

 がっくりと肩を落した昴治の推測の正しさを称えカレンが小さく拍手をくれた。無論

嬉しいはずもない。

 「いきなりケンカ腰で祐希がこう言ったの」

 所謂グルメレポートとささいな自慢の混ざった話で盛り上がっていた一同に、弟が

噛み付いていったという
状況が容易に想像出来てしまう自分が悲しい昴治だった。

「ものの価値をそんなモンでしか計れないなんて哀れだな。まあ、そういうヤツ

は精々高級食材とやらで誤魔
化した味のお上品なカレーを食ってりゃいいさ。庶民

俺の口には、兄貴が俺の為に特別に作る昔っから変わらねえ安っぽいカレーし

か合わねえけどな」

頭が痛くなる、より前に、情けなさで目頭が熱くなりそうだ。

「お兄さん、しっかり」

思わず手のひらで顔を覆う昴治に向けられた、カレンの同情と可笑しさを半々

に滲ませた応援が生温かった。

「でね。それを聞いた尾瀬くんはそりゃあもう怒った、というか急にむきになって。

後はもう売り言葉に買い言
葉。最初は自分たちが発端を作ったんじゃ、っておろお

ろしてたラリイたちも匙を投げて。最後はもう放っとくしかない、って二人を置いて退

鑑してきたのよ」

それがつい今さっきのことなの、とカレンは屈託なく笑って見せた。いつものこと

よ、と慣れた様子で。

「・・・カレンさん、またそんな他人事だと思って・・」

つい八つ当たりめいた呟きが零れ、慌てて口を閉じた。カレンは「ごめんなさい」

と言いながら、やはり笑う
ばかりだ。

確かにあの二人のこんなアレコレは日常茶飯事で、彼女にとっては他人事に

違いない。何故ならば。

ジャケットの胸ポケットに入れたIDカードが、その時メールの受信を告げた。

「着たわね」

待ってました、と言いたげなカレンと同じく、昴治にもその発信者はIDを見るま

でもなく分かっていた。

何故ならば。

 あの二人のこんなアレコレな日常茶飯事の後始末、或いはそのとばっちりは、洩

れなく間違いなく昴治の
身に降り掛かってくる。これもまたこのリヴァイアスでの、

紛れのない日常であったから。

 

 「昴治、カレーを作って!俺の為にだけっ」

 メールで呼び出され、リフト艦近くの給湯室に入った途端、待ち構えていた親友

が開口一番そう訴えてき
た。それを遮るように昴治を自分の後ろに隠し、

 「フザケんな!誰がお前の為なんかにっ!」

 祐希はまさに剣呑な口調でイクミに反論する。

 「キミになんか言ってない。俺は昴治に頼んでんの」

 「俺のカレーを味見させてやる、って話だろうが。間違えんな。兄貴のカレーは俺

の為の特製なんだよ」

 ああ、やっぱり。分かってはいたが、その言い争い低次元さに眩暈がした。この

艦外においてでも恐ら
く大層優秀なはずの男が揃いも揃って、こんな馬鹿馬いこと

で目くじらを立て合っていて良いものか。否、
断固として良くない。

 「・・・兄貴」

 「昴治・・・?」

 無言を決め込んだままの昴治に漸く気付き、優秀極まりないはずの弟と親友が、

今更ながらに凡人代表た
る自分の顔色などを窺っている。大変よろしくない。

 「もういい。わかった」

 不機嫌を装い低く重い声で返答をした。怯んだように息をのみ二人の英雄が居住

まいを正す。

 「カレーを作ればいいんだな?いつも通りの俺流のカレーを。カレーライスでもラ

イスカレーでも、後は好き
に呼びたいように呼べ!」

 かくして昴治の、本日の「とばっちり」による調理実習は始まったのである。

 

 用意した具材を豚コマ肉を炒めた大鍋に一気に入れ、軽く炒める。食材毎に入れ

る順番を配慮したりはしない。
煮込むうちに漏れなく火は通るから問題はない。

何しろ元々これは男の──もとい、小学生が小さなの為に見よう見まねで作

っていたままごとのような
代物なのだから。

具を炒めた鍋一杯に水を注ぎ、出汁とハーブを加え沸騰するのを待つ。

皮を剥いたトマトのざく切と摺った生にんにく、醤油や塩胡椒で味付けをする。

ルーは市販の定番のものだ。小麦粉をフライパンで、などという本来の手法を

聞いたことはあるが、中々
難しいらしいそれを試してみたことも試す気もなかった。

元々そんな腕前が昴治にあるはずもないけれど。

「あ、しまった」

 この段になって心付いた。そのカレールーのチョイスについてだった。

 調理場所は先刻の給湯室。

 食材や器具は祐希とイクミがどこからやら集め用意した。昴治は準備が整ったと

いう連絡を待ち、わざわざ
自室から自前の包丁を持参してカレーを作り始めたの

たが、

「どっちを選んでも、まずい・・・」

イクミは大いに辛口を好んだ。が、祐希は真逆の─言うなれば大甘、寧ろ子供

用ともいうべき甘さを要する
のだ。

「イクミに合わせたら、絶対祐希は食べられないし」

そうなった時の弟の機嫌など、恐ろしくて想像もしたくない。が、といって逆に合

わせた場合、イクミは食べ
られないことはないが「自分より祐希を優先した」と、しつ

こく愚図られることは確実だろう。そして何より。

祐希は外ではカレーを決して食さない。味が口に合わないからではない。

大甘口な味覚を知られることをただただ厭うが故のことだった。

「まあ確かに、あいつのキャラで大甘ってナイかなって思うけど。ここでそれ知っ

てるのは俺とあおいだけだ
し。ましてイクミにはきっと絶対知られたくないよな」

せめて用意された市販のルーがどちらか寄りであってくれれば良かったのだが

二人のうち誰が調達した
ものか、見事に各タイプの味が揃っていた。

「鍋を分ければ簡単だけど、それでイクミは納得・・・しないだろうな」

甘ったれな親友が弟の雑言の何にキレたのか、流石に昴治にも分かるようにな

っていた。祐希だけの為、
祐希だけの特別、というフレーズにイクミはやきもちを

いたのだろう。

もともと昴治について、何故だか祐希に対抗意識を持っていたらしいイクミだが

兄弟が「それ以外の繋が
り」を新たに結んだことを知って以降、更にその傾向は

著になったように思う。

困ったやつだ、とは思うが、昴治にしてもイクミには何某かの独占欲に近いもの

がないでもないから、まあ
こうして「とばっちり」に大人しく付き合っている次第だ

が。

今回のこれは困った。

カレーがパスタやグラタンのように、後からタバスコなどで辛味を足せる代物で

あればよかったのに。

「そういう方法か調味料が本当はあるのかもしれないけど、俺には全然分かん

ないし」

二人と約束をした6時までにもうそれほど時間はない。仕方ない。ここは双方痛

み分けということにしても
らおう、と中辛のパッケージに手を伸ばした時だった。

「そのチョイスは正解だね」

「あとはライスの方に一工夫加えたらいいよ」

よく聞き知った声がした。まさに天の助け。縋る思いで振り返った先に、幼馴染

みとその親友の気の毒
そうな笑顔があった。

 

果たして、その尽力のおかげで庶民のカレー試食会は一先ず無事に遣り過ご

せた。

具が見えない──小さく切った野菜は既に解けていた──という呟きがイクミの

口から漏れたが、これ
が相葉家風だ、と言い切れば、親友はそれ以上の文句をつ

けて
はこなかった。

盛り付けは勿論いつもの、所謂ライスカレー風にした。

肝心の味について昴治はひやひやものだったが、辛味に強いイクミも、このラン

クの辛さなど決して耐え
られない筈の祐希もが大層満足そうに食べ進み、お替りま

で平らげたことに昴治は胸を撫で下ろし、そして
それをとても嬉しく思った。

 「安っぽいなんて、本気で言ったんじゃないから」

 ご馳走様、と手を合わせた後、イクミは神妙な声音こそりと呟いた。昴治に向か

ってのようにも祐希に
対してのようにも取れる物言いだったので、敢えて聞こえない

振りをしている弟の代わりに応えてみた。

 「ライスカレーも悪くない、って分かったんならそれでいいんじゃないか」

 うん、と照れ臭そうに頷くイクミを祐希は特に揶揄するでもなかった。しおらしそう

にしているから、弟なり
に少しはこの面倒事に関し反省したのかも知れない。

 ともあれ、やっと部屋に帰れる。

 憑き物が落ちたように大人しく片付けを始めた英雄二人を眺めながら、昴治はや

れやれと今日最後に
なるだろう溜息を深々とつくのだった。

 

 「コウジ、ユウキとかえった。イクミもかえった。みんなうれしいきもち」

 銀の鈴音がそうっと言った。秘密を告げるように。

 処はあおいの個室。声の主の髪をブラシで梳きながらあおいは機嫌良さげに笑

いを零した。

「よかった。昴治、上手くいったみたいだね」

あおいがベッドに共に座り込んでいるのは、リヴァイアスの絶対者ことスフィクス

・ネーヤ。昴治を介
して親しくなってからもう随分と長い時間が経った。

今では昴治を抜きにして、こうして女の子同士のんびりと過ごすことも増えた。

「おれのためにつくってくれた。イクミもユウキもおもってる。だからうれしい。お

いしい。どうして?」

沢山の感情を覚えてきたネーヤだが、人間の雑多な気持ちは一概に表などに

出来るような秩序あ
るものではないから、何時まで経っても「何故」「どうして」という

質問が絶えないのだろう。

今日だって「大好きな昴治が困っている。でも誰かに助けを求めてはいない。で

もネーヤは助け
たい。どうしたらいい」と相談されたのだ。

幸いその困難はあおいたちで解決してやれる分野だと分ったから駈け付けた。

助けになれたみたいで、あお
いとしても嬉しい結果になったのだけれど。

「あの二人が昴治を大好きで堪らないから、かな。ホントに困った連中だよね」

実は昴治にしてもやつらを甘やかし過ぎな感は否めないから、まあ本当のとこ

ろはどっちもどっちといえるか
もしれないが。

「だいすきだから、おいしい?うれしい?」

子猫のように首を傾げる「幼い」少女の髪を撫でてやりながら、あおいは確信を

持って頷いて見せた。

「うん。そりゃああの二人にとって昴治のカレーほど美味しいカレーは他にない

よ。だって」

今頃リヴァイアスの英雄一、二と謳われる優秀な男たちは、それぞれの居場所

で満たされた思いに上機嫌で
いることだろう。

「お料理の最高のスパイスは、何時だって作るひとの愛情に決まってるからね」

器が何であろうが、具材が何であろうが、そんなものは二の次、三の次。

ましてライスカレーかカレーライスかなんて、そんな言葉遊びは論外ってもんで

しょ?






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