<extra 2>

 兄の部屋からパイロットルームに戻ると、チームリーダーは既に自席
で作業を再開していた。
 決められた休憩時間の内に戻ったのだし、と特に言葉を掛けるでも
なく---勿論遅れたところで何がどう変わるワケではない---ブースに
入った祐希へとイクミは物言いたげな視線を向けてきたが、とうに予測
していた事であるから黙殺するに留めた。
 場を荒立てない為、などという配慮では無論ない。ただ偏に、今の仄
甘く満ち足りた気分を損ないたくないだけのことだった。
 が、黙殺された方の言い分は異なっていたらしく、
 「良いにおいがする。焼いたお餅の香ばしい・・・あと、お醤油の」
 所謂独り言の口調をもってイクミは言った。
 瞬間、本当にそれが身に纏わりついているものかを確かめようとした
自分に祐希は慌てて制止をかける。
 危ない。ここで動揺を見せれば、この阿呆の思うツボだ。
 「いいなあ。お餅食べたい。お正月だし。大好物なんだけどなあ」
 ぶつぶつと続く当て擦りも心の耳に蓋をして堪えた。しかし、
 「食べに行っちゃおうかなあ。頼めばきっと今からでも、ちゃんと用意
してくれるだろうし」
 続いた「暴言」に、もとより長くはない祐希の堪忍袋の緒は、いともあ
っさり綺麗にプッツリと音を立てて打ち切れたものだ。
 「やっぱり行っちゃおう。祐希くん、悪いけど俺ちょっと」
 「フザケんなっ!」
 最後まで言わせずに怒鳴りつけた。コンソールに叩き付けた手のひ
らが痛んだけれど、頓着している猶予などありはしない。
 「今頃・・・片付け終わって漸く寝に入る頃だっつーのに、要らん面倒
掛けんじゃねえよ!」
 全くもって自分を棚上げした物言いであることは、当然自覚していた
けれど。
 兄に手間を掛けさせていいのは自分だけだ。こればかりは譲れはし
ない。誰が笑おうと異を唱えようと、引っ込めることは出来ない祐希に
とっての不文律なのだから。
 「ええ?だって」
 「だってもくそもあるか。明日早番な奴を叩き起こすつもりかよっ」
 不服げに唇を尖らせる不躾な男に重ねて放った台詞は、祐希にして
充分決定打となり得るものの筈であった。昴治を最愛の親友と言って
憚らないイクミが、その言葉通り兄を日々大切に思い遣っていることを
知るが故に。
 ところが。
 「・・・明日、休みだよ。こずえさんは」
 意外そうに目を丸くして班長は言った。ワザとらしく首まで傾げて、一
体誰のことだと思って話してたの、等と空々しくも並べ立てて。
 ・・・やられた。
 見る間にチェシャ猫めいた笑みを顔中に広げていく忌々しい戦友へ
の敗北感に打ちのめされて、祐希はがっくりとパイロットシートに沈み
込んだ。
 「優しいねえ、弟くんはー」
 語尾にハートマークでも飛ばす勢いでシナを作り、満足そうに微笑み
かけてくるイクミへの殺意を胸に、祐希の新しい一年はこうして幕を明
けるのだった。


 祐希の夜食に餅を焼いてやった次の晩のこと。
 出したままにしておいたホットプレートの上で、たった今出来上がった
豚入りのお好み焼きを縦横4つに切り分けた。
 ランチパックに重ねて置いて蓋をする。先に焼き上げて詰めておいた
ホットケーキのパックと重ねて手提げに突っ込み、おしぼりとフォーク、
細々としたトッピング類のチューブをその上に放り込めば、祐希への差
し入れは完成である。
 飲み物はパイロットルームの端に設えたワゴンに何かと揃っている
から、特に持ち込む必要も無いだろう。
 よし、と満足気に頷いて昴治は手提げ袋を手に部屋を出た。
 二晩続けて夜勤に当てられた、と不満気に零す弟の言葉をその場で
は聞き流す顔をしていた昴治だったが、実のところは、餅を焼きながら
既に今晩分の献立に考えを巡らせていた。
 けれど祐希には敢えて公言せずにおいた。今日事務所に出勤してみ
て、仕事の運び如何で残業にでもなれば、約束を反故にすることにな
るやもしれないと思ったからだ。
 理由はどうあれ、前言を覆されることをとにかく嫌う弟に、要らぬ癇癪
の種を植えることを避けたわけだが、おかげでこの差し入れは高い確
率で無駄になるかもしれない代物となった。が、
 (今日はレストルームもまだやってるし。もしかしたら弁当を用意・・・・
は祐希がする訳ないけど、カレンさんとかの差し入れがもうあるかもし
れないし---ま、いいか。その時は持って帰って、明日の朝飯にでもす
れば)
 いたって呑気な心構えで、昴治はリフト艦のハッチにある応答ブザー
を押したものだ。
 予想通り誰何の声は親友のもの。来訪を告げ「差し入れなんだけど」
とカメラに向かって手提げを翳して見せた。
 「どひゃー」とか「うひゃー」とかワケの解らない奇声を上げて、やけに
目を輝かせたイクミは「どうぞどうぞ!」と騒ぎたててから、漸くハッチを
開ける操作をしたらしい。重々しい音を響かせて開いたゲートを首を捻
りつつ潜ったのは10時5分前。まさに夜食休憩に入る頃合のはずであ
った。
 パイロットルームに入るや否や、先程のテンションの高さを保ったまま
のイクミの歓待を受けた。ますます困惑しながら弟を見やれば、そちら
は何やら正反対に低気圧を抱えてでもいる様子で、自席で作業を続け
たまま昴治に目を向けようともしていなかった。
 おそらくはまたイクミに遣り込められたか、何か弱味でも掴まれてしま
ったというところだろう。その原因の殆どが自分絡みであることになど、
欠片も思い至らない薄情な兄は、子犬のように纏わりつく親友を片手
間に去なして、愛想の無い弟のブースへと回り込んだ。
 「お疲れ。これ、お前の今夜の分・・・なんだけど」
 手にした手提げをそのまま持ち上げて示した。昴治が近付いたことに
は気付いていたはずなのに振り向きもしなかった背中が、その台詞を
発した途端にびくりと震え、コンソールを叩き続けていた指が見事な程
ぴたりと動きを止めた。
 半ば驚いてそのまま立ち尽くす兄を知ってか知らずか、祐希はおず
おずとこちらを振り返る。探るような眼差しで昴治を見、次いで示した手
提げをじっと見据えてきた。
 「豚のお好み焼きとホットケーキ。でもお前、今夜はもう用意して有っ
たか?」
 なら持って帰るからさ、と極自然に続けようとした。が、それを言い終
えた時には既に、手提げは祐希の手に渡った後だった。
 「別に、してねえ」
 不貞腐れた口調は今の祐希の照れ隠しの表現だ。どうやら無駄足に
はならなかったことに満足した。けれど。
 大事そうに夜食を抱えた祐希の視線が前方に向けられていた。挑む
ような勝ち誇ったようなその様相に、またしても首を傾げて昴治は弟の
見る先に目をやり---途端に、後悔をした。
 有り得ざる事に遭遇した悲劇の主人公のような顔をしたイクミが、部
屋の真ん中でショックに打ち震えている姿を目にしたが故に。
 「・・・もしかして、まさかと思うけど・・・それって、祐希の分・・・だけなん
てこと、ないよね・・・?」
 今にも泣き出さん声音で言い募る。まるでこちらが世にも残酷な仕打
ちを味あわせたかのような物言いだった。が、昴治にしてみれば勿論、
謂れの無い非難である。その上、
 「祐希のだけに決まってるだろ。だってお前、今夜もちゃんと和泉から
すっごい弁当持たせてもらったじゃないか」
 俺の前で、あんなに嬉しそうに受け取ってたくせに。その現場に居合
わせた者としては、イクミの言動の訳の解らなさについ声に呆れが露
になるのも致し方ないことだったろう。
 「それとこれとは違います!昴治の差入れなら別腹じゃないですかっ」
 「何言ってんだ、デザートじゃあるまいし」
 ますます訳が解らなくなってきた親友の駄々に頭を抱える。その昴治
の周りに、気付けば中濃ソースの甘いにおいが漂っていた。
 肩越しに浅く振り返ると、自分のブースでこちらに背を向けた祐希が、
トッピングのマヨネーズをお好み焼きの上に搾り出しているところだった。
 その横顔に浮かんだ、その表情が見られたなら上出来だ。
 未だ傍らでぶーぶーと---「満塁逆転サヨナラ負け〜っ!」などと、全く
不可解この上ない---不満を並べる親友を宥めるくらいの面倒は行きが
けの駄賃と思ってもいい。
 やっと3日めが終ろうとしている、今年の始まりはまだこれからである。
 きっとまた一年、こうして騒がしくも当たり前な日々を過ごしていくのだ
ろう。
 このいろいろと手が掛かる、けれどその数倍も愛おしい者たちとともに。
 今年もまた、平凡で幸福な毎日を。




                                       <end>


きみのために出来ること

 新年第一弾にして、SSではほぼ1年ぶりの更新でした(T_T)
何やらイクミが出ずっぱりです。うちの作風を全き反映してい
ますね(祐希×昴治サイトにあるまじき発言(^_^;))
 なにはともあれ。
 どうか 今年もまた、よろしくお願いいたしますです(*^。^*)