<extra>
程よく熱せられたホットプレートの前に立ち、真空パックの封を切る。
その中に行儀良く並んだ「主役」を手に取りながら、昴治は自分のベッ
ドの方へと振り返った。
「お前、いくつ?」
「5個」
即答したのは兄の寝床に寝転がり音楽雑誌を繰る「リヴァイアス第2
の英雄」その人である。
新年早々リフト艦の夜勤に当たり、今はその夜食休憩時間なのだ、
と言って、就寝前の時間をのんびり過ごしていた兄の個室にいきなり
押しかけた上、「焼いた餅が食いたい」などと言い張って準備までさせ
ている不埒ものだ。
「時間ないから、磯部と黄粉でいいよな?」
切り餅を計6個プレートに並べて蓋をする。焼けるのを待つ間にと昴
治は簡易キッチンの端に重ねたカラーケースから、黄粉と砂糖、そして
海苔を詰めたそれぞれのタッパーを取り出した。
小型冷蔵庫から醤油差し、デスクからハサミを持ってくれば準備は万
端である。
餅全部を包んで食べるが好きな祐希のため、海苔は必ず全型のもの
というのが相葉家の常識だったので、ついこのタイプを購入したのだが
(今更だけど、うちってどんだけ祐希中心だったんだよ、ホントに・・・)
こうしてわざわざハサミで海苔を切り分ける作業をしていると、我が身
の無常と不条理さに目頭が熱くなる思いの昴治だった。
兄の心も知らぬげに、のっそりとベッドから起き上がった相葉家の次
男坊は、昴治の背後から近寄ったが早いか、折角切ったばかりの磯辺
用の海苔を何の頓着もなく口に運んだものだ。
「こら、切ったそばから食うなっていつも言ってるだろ」
「腹減ってるんだよ」
子供か、お前は。昴治の小言など意に解さない物言いに、思わず捨
て台詞が喉まで出掛かるけれど。
この手の禁句を口にしたら最後、何時の間にか良く回るようになった
舌で百倍のお返しを食らうことになるだろう。
「まったくもう」
せめてもの愚痴を溜息とともに吐き出してプレートの蓋を持ち上げた。
手前から順番にひっくり返しながら、あと何分かだけ待てよ、と言わず
もがなな釘を刺す。何にでも秀でた、物知りな筈の出来の良い弟に。
まさに今焼きかけの1つに手を伸ばしかけていた祐希は、気勢をそが
れたふうにプレートから身を引いたものの、むっとした様相で口をへの
字に曲げていた。
焼けるのが待ちきれず、昴治の言いつけも聞かずに火の通りきらな
い餅を食べて何度も腹をこわした過去は、一応教訓として記憶されて
はいるらしい。
その都度昴治の一言での更新が、今もまだ必要なようだけれど。
そろそろ休憩に入って夜食にしようか。2人1組のシフトの相手がそう
提案したのは、10時を少し過ぎた頃だった。
「メシ食ってくる」
言って祐希が席を立った時、シフトの相手たる尾瀬イクミは、どうやら
珍しくも本気で慌てたらしかった。
「キミ、お弁当準備してなかったの?言っときましたよね、今日は艦内
どの店も夕方までで閉まるって」
パイロットルームの隅のテーブルに置いたコーヒーメーカーに手をか
けようとしていた姿勢もそのままに、イクミは「じゃあ半分個しましょう」
と自分の弁当袋を当たり前に指し示した。
何につけ鬱陶しい男なのは間違いないが、このチームリーダーが時
に祐希の兄にも匹敵するお節介であることは既に承知していた。それ
が掛け値なく本心からのものであることも。
「いい。当てはある」
班長の顔も見ずにドアへと向かった。いま気遣ってくれた思いが真実
だとして、それでもイクミが祐希の美貌の相棒同様、自分を揶揄うこと
を至上の娯楽にしていることもまた事実であったからだ。
「ふうん、当て・・・ねえ」
面白がるニュアンスの台詞は、当然祐希の行き先を確信したからに
違いない。それでもそれ以上の当て擦りが追ってこないのが逆に気味
悪かった。
おそらくはリフト艦に戻った後のお楽しみということなのだろう。勿論
イクミ限定での話だが。
そんなこんなな事情を祐希が話さない以上、昴治が知っていた筈も
ない。それでも。
メシ食いそびれた、と前触れもなくドアをノックした弟に応えるべく、あ
れこれと立ち働く兄を見るにつけ、これから仕掛けられるのであろうイ
クミの「悪ふざけ」を思いムカつく気持ちが膨らんでいく祐希だった。
だからハラいせに敢えて面倒な注文をつけてみた。あんたの親友の
せいなんだから責任取れ、とは流石に---いかな祐希でも、これが八
つ当たりだという自覚くらいはある---口に出せないけれど。
焼いた餅が食いたい、などとこんな時間に急に要求されて嬉しい者が
いるはずもない。
が、祐希の兄はほんの僅かに眉を寄せただけで、あとは淡々と当た
り前に準備を始めたものだ。
餅が焼けるのを待つ間にと昴治が切り置いた海苔を摘み食いした。
昔と変わらぬ小言を食らったが、こんなことでは兄が本気で怒らない事
は解っていた。
「あと何分かだけ待てよ」と釘を刺されて、焼きかけの餅に伸ばした手
を引っ込めた。普段は何につけ鈍いくせに、昴治は祐希の言動にだけ
は何時でも敏感に素早く反応してみせる。
(あんたがそんなだから、尾瀬のヤツが面白がるんだよっ)
見事な棚上げっぷりだ、とイクミが聞いたなら驚愕したろう独白は、祐
希にしてどこまでも本気の呟きであった。
むっとして見せた顔は子供じみた真似を取り繕う為よりも、照れ臭さを
隠す為だ。
幼い頃ならともかく、こんなデカイ図体の弟の我侭をこんなふうに何
でもない顔で受け止める。
そんな兄が、堪らなく---。
「もういいぞ。ほら」
程よく焼けた餅の1つを醤油の皿につけ、手早く海苔で包み込んだ昴
治の手が祐希へと差し出された。
その頬にどこか満足げな、誇らしげな色を見た気がしたのは、祐希の
ただの願望だろうか。
ともあれ。
休憩時間のタイムリミットはもう目の前だ。取り敢えずは当初の目的を
果たす為、祐希は兄の手へと自分の手を伸ばすのだ。
<end>