ブリッジから目的地へと向かう通路の途中でIDがコールの
着信を告げた。
発信者名は近しい友人のひとり、相葉昴治。前回の航海で負
った怪我を一因とする諸事情から、この旅で移った管理総括課
において現在は班長を務めている。
カードの端で時刻を刻むデジタル表示を視界にみとめ、航宙
可潜艦「黒のリヴァイアス」号副艦長たるユイリイ・バハナは
その清楚にして美しい貌にほんのりと笑みを浮かべた。
「流石だわ、相葉くん。約束の時間通りね」
「相談があるから、近々時間を取ってもらえないかな」と彼
に持ちかけられたのは、昨夜のレストハウスで偶然行き合った
時だった。
だったら明日のブリッジ勤務が終る午後2時以降に都合をつ
けましょう、と伝えたユイリイの言葉通り、計ったように2時
5分に連絡を寄こしてきた友人の、いつもながらの生真面目さ
が微笑ましかった。
開いた回線の向こう---覗きこんだIDの小さな画像の中では
昴治が照れた笑顔を見せていた。
「ごめん。ちょっとせっかちかな、とも思ったけど」
「そんなことないわ。それにせっかちはお互い様かも。だっ
て私、いまA2-338に向かってるのだもの」
えっ、と驚きの声を上げる昴治の様子に、ユイリイは楽しげ
に笑みを深める。
「もうじき着くわ。隣の会議室に」
目前の角を曲がればすぐに、昴治のいる総括課のプレートが
ごく間近に見えるだろう。そうしておそらく、その隣り合う会
議スペース「A2-338」へと、会談の用意の為に駆け込む
友人の慌てた後ろ姿が。
発端は昴治にして「相も変わらず」な事由だった。
「・・・リヴァイアス搭乗5周年アニバーサリー・パーティ?」
朝食を乗せたテーブルをはさんだ向かい側で、昴治はたった
今聞かされたばかりの台詞を繰り返した。
「先月「ホワイトデイ・ダンパ」なんてアヤしい催ししたば
っかりなのに。ホントに、お前はもう」
「アヤしいなんて、そんな。断然に大盛況だったじゃありま
せんか」
些か辟易とした親友の口調に内心及び腰になりながらも「リ
ヴァイアスの花形部署」と評されて久しい操船課の班長を務め
る尾瀬イクミは女生徒限定で評判の良い端正な相貌を笑み崩し、
「平穏無事が一番なのは言わずもがなですけど。若者は日々
新しい刺激を求める生き物でしょ」
「だから、ね」と上目遣いに首を傾げて見せたりした。
もっともそんな所謂おねだりポーズでせまるまでもなく、遠
からず昴治が折れてくれるだろうことはとうに分かっていたけ
れど。
顔に出しては不服げにサラダのプチトマトを器の中で転がし
ていた最愛の友人は、
「再出発から5年目、か。確かに記念してもいい事かもな」
深い溜息を長々とついて、それでも小さな子供をあやすふう
に漸く苦笑を浮かべてくれた。
「でも、ちゃんとお前も企画から手伝えよ!言い出しっぺな
んだからなっ」
ぴしり、と目前に人差し指を突き付けられた。細いそれを両
手で包み、イクミは意図して得た嬉しさに頬を綻ばせる。
「はい、喜んで」
ええい、暑苦しいっと、握った手をぞんざいにはらわれても、
イクミの満足感は少しも損なわれはしなかった。
嬉しいのは、思い通りに事が運んだからなどではない。
たとえ持ち前の長男気質の故であろうとも、他でもない昴治
がこうしてイクミの他愛ない駄々をきいてくれることが、仕方
ない奴だと呆れ顔をしていてさえ、その眼差しが常と変わらぬ
温もりに満ちていることが嬉しいのだ。
「ホントに弟属性なんだよねえ」とは恋人の親友が呆れてよ
く口にする台詞だが、イクミのそれは相手が昴治の場合限定だ
と考えるから、正直当人的には何の問題もありはしなかった。
「じゃあまず、ツヴァイに話を通して---こっちは問題ないと
思うけど。あと教官連はどうかなあ。ここんとこイベント続い
たし・・・」
さっそく開催に向けての手順を思案する昴治のトレイ上の軽
食は、とうに食べきっていたイクミと違い、一向に減る様子も
ない。
「まあまあ、昴治くん。とにかくまずはゴハンを片しましょ
うよ。でないと」
初航海で救助された際の入院以降、親友がめっきり小食にな
ったのは承知している。それだからこそのお叱りがまた、とイ
クミが忠告を発するより早く、
「その通り!モチロンそれを完食するまで、企画も準備も一
切お預けですからねっ」
頭の上から降ってきたのは、昴治の幼馴染みたるフライトア
テンダント課班長蓬仙あおいの、やはりお馴染みとなった説教
口調。
かくして。
総括課、操船課、フラアテ課の各班長を筆頭役員とした記念
式典プロジェクトは、やや勢いと意欲に欠けたスタートを---取
りあえず---ここに切ったのであった。
「リヴァイアス搭乗5周年アニバーサリー・パーティ」なる
もっともらしいイベントの開催が発表されたのは、記念日当日
から数えてちょうど三ヶ月前にあたる一昨日のことだった。
実習生の自主性、そして何よりメンタル面に重きを置くツヴ
ァイがこれを快諾したのは当然だろう。
が、準備から当日までの生徒らの浮き足立ち状態を良しとし
ない教官連が、度重なる「騒ぎ」を---まして一大イベントにな
る事間違い無しの催しをよく甘受したものだ。
それが操船課ナンバー3にしてヴァイタル・ガーダーチーム
の紅一点、カレン・ルシオラの最初に持った感想であった。
もっとも他の教習艦ならばともかく、このリヴァイアスに限
っていえば艦内のいわゆる実権はツヴァイを旗頭とした生徒ら
にあり、何より艦そのものであるスフィクス・ネーヤが全面的
に彼ら寄りである以上、大人たちのその思惑の如何に関わらず
是非を押し通せる筈もなかったろうけれど。
となれば。
何につけポジティブであることを旨とするカレンだから、折
角の祭を十二分に楽しむに吝かではなかった。
「---というわけで、祐希。会場の入場案内役、一緒によろし
くね」
同じ選択講義の教室へと向かう道すがら、カレンは隣を歩く
何時もながらの仏頂面に笑いかけた。
少女から女性へと移り変わる時の間、日ごとその美貌に更な
る磨きをかけていく相棒の極上の微笑を前にしても、操船課の
暴君こと相葉祐希の相貌が緩まることはやはり無い。それどこ
ろか、
「下らねえ。何だって俺がそんな真似しなきゃなんねえんだ」
返ってきたのは全く予想の範疇の憎まれ口。が、勿論いまさ
らそんなものに動じるカレンではない。
「そりゃあ適材適所ってやつでしょ。「V・Gチームは実務
時間も不定期だし、余所より多忙で準備には関われないだろう
から、事前に何も要らない当日だけの係を頼みたい」っていう
幹事長の配慮」
マルコとラリイのコンビとの二交替制よ、と継いだカレンの
声がはたして操船課のエースの耳に届いたかどうかは怪しいと
ころだ。
「何が配慮だ---押しつけがましいんだよ」
不満も露わな表情で、祐希は誰にともなく「幹事長」への不
満を言い放つ。それでもその口調に言葉通りの険は微塵も含ま
れていなかった。
むしろそれは、例えるなら授業参観などで子供が見せる「ワ
ザとらしい素っけなさ」にも似ていたろう。
「たまには素直に言うこと聞いて、孝行らしい事してあげた
ら?」
相棒の視線に分かりやすい揶揄の色をみとめるまでもなく、
祐希は更に眉間の皺を深めた。
記念イベントの幹事長を相も変わらず務める---正しくは務め
させられているのだろう---昴治は、カレンの想い人たる祐希の
たった一人の兄だった。
知り合った当時で足掛け4年目という仲違いの前には「端が
呆れるほどの仲良し兄弟だった」とは二人の幼馴染みであるあ
おいの言だが、関係が最悪に拗れていたらしい初航海の最中で
さえ、他人のカレンの目には互いへの強すぎる執着が容易に見
てとれたものだ。
8ヶ月に渡る正に生死を掛けた漂流を経た今、兄弟が相手に
対しての認識を新たにしたこともまた既にカレンの知るところ
だった。
以前とは打って変わって弟の言動に関わらなくなった昴治に
倣うように、弟の過剰に過ぎる兄への反駁も一切なりを潜めて
いた。
とはいえ、格段にあたりを柔らかくした昴治に比べ、祐希の
態度は未だ「腫れ物に触る」が如きものでしかなかったけれど。
おそらくはこれまでの経緯故の悔いやバツの悪さ、そして再
び傷付けてしまいはしないかという、怖れの為に。
「祐希が引き受けてくれたら、きっとすごく喜ぶでしょうね。
見たくないの?お兄さんの笑顔」
カレンが連ねた言葉は、他でもない祐希自身の望みだった。
想う者の願いをただ叶えたいが為のダメ押しの誘い文句に「う
るせえ」という常套句を残して祐希は足を速めた。
カレンは肩を竦めてのんびりとその後を追う。
これがただの照れ隠しであることも、程なく祐希が速度を緩
め再び彼女に歩調を合わせてくれるだろうことも、カレンには
とうにお見通しであったから。
「うんと背の高いケーキがいいなあ。ウエディング・ケーキ
みたいなの」
カウンターに肘を付き、両の手のひらに華奢なアゴを乗せた
和泉こずえは、その愛らしい貌をうっとりと緩めて夢見心地に
微笑んだ。
ここ深夜のレストルームには、夜食を口にしている数名の運
輸課生の他、こずえとその所属課班長である彼女の親友の姿が
在るだけだった。
「んー、いいかもねえ。見栄えがするから会場装飾の手助けに
なるわ。昴治も喜ぶでしょ」
ほらアイツそーいうセンス無いし、と付け足して笑ったあお
いの台詞に、思わずつられて吹き出す者がいた。
初航海を共に乗り切った仲間であり、前回同様看護課に所属
する実習生---名をクリフ・ケイという。
「いらっしゃい、クリフ。夜食の注文?」
友人の来店に気付いたフラアテ課の看板娘らの屈託無い笑顔
に笑みを返し、クリフはカウンターに近付きながら持参したメ
モをひらひらと振って見せた。
「またジャンケンで負けちゃったのよ。アタシってホントに
弱いんだわ。それにしてもこの時間によく会うわよねえ。アナ
タたち夜勤多過ぎなんじゃない?」
やれやれと溜息をつくクリフとバツの悪げな親友を見比べ、
あおいは大きな瞳を瞬かせた。呆れというより感嘆に近い溜息
をついて、
「そっか。ホントにジャンケンって弱いコは弱いんだ」
なるほど、とクリフは諒解した。「もう、あおいってば」と
いうこずえのボヤきを聞くまでも無く状況の把握は容易であっ
た。
「ふうん。つまり同類ってわけ。あおいは巻き添えね」
「パートナーだからねー」
演技であるのも明らかにあおいは細い両肩を竦めたが、
「違うってば!そんなことないよ。たまたま負けが続いただ
けだもんっ」
揶揄われているのは承知だろうに、こずえは未だまろみの残
る頬を桜色に染めて抵抗している。
その歳甲斐もない他愛なさが、掛け値なく微笑ましいとクリ
フは思った。
こんなふうに接していると、彼女たち二人は出会った頃と何
一つ変わらなく見える。けれど。
初航海終盤のイクミの「暴走」。その直接の原因が、こずえ
のみまわれた卑劣な暴力であったことは聞き知っていた。その
折こずえ自らがあおいとの繋がりを望んで切り捨てたのだとも。
狂気に堕ちていく艦にあって、何かを失い、或いは掴み取っ
たのは勿論この友人らだけではない。
誰もが誰かを傷付け、そして傷付けられた。
「一方的な被害者も、まして一方的な悪人なんかいなかったっ
て、俺はそう思うんだ」
あの漂流の中、監禁された倉庫から助け出してくれた妹にも
見放され、恋人と二人逃げ込んだ最下層ランクのエリアで、怯
える自分たちを罰さず受け入れてくれた内のひとりである昴治
は、後にそう言ってひどく静かに微笑ったものだ。
それまでの所業も棚に上げ、何故アタシばかりが辛い目に、
と思ったことも確かにあったけれど。
昴治の言った言葉の意味が、今なら分かる、とクリフは思う。
再び手を取り合った親友たちの絆が、もう何ものにも決して
揺るぎはしないだろうと信じられる、自身よりも大切な存在を
得ることの出来た、今の自分にならば。
「どうしたの、ボーっとして。疲れてる?」
心配げなこずえの声に想いの淵から引き戻され、クリフは綺
麗に爪の整えられた利き手を振って笑った。
「ん、別に。平気平気。それよりも、さっき話してたうんと
背の高いケーキって記念パーティの為の?あおいたちが料理担
当するんだ」
センスのない昴治の手助けに?と付け足した台詞に、今度は
言い出しっぺの当人が吹き出した。
「あ、聞こえてた?うん。まあ、フラアテ課だけじゃないん
だけどね」
料理の全てを実習の片手間にあおいたちだけで用意するのは
負担だろうと、昴治は所属を問わず広く有志を募っているらし
い。
「そうよね。アナタたちは当日のフロア係も交代で担当する
んでしょ。そりゃあ大変過ぎるもの。ねえだったら、アタシも
お料理手伝っていい?」
当日はブリッジやリフト艦同様、医務室も交代制で常時数人
が配置される。その埋め合わせのように、看護課には然したる
準備作業が割り振られてはいなかった。
うれしい、助かるよ、と口々に言って、あおいとこずえは片
方づつクリフの手をとった。
「みんなで、楽しい日にしようね」
「ねっ」と微笑みを交し合う---己の無力さを知ってなお、怖
じける思いに苛まされてなお、逃げることなく再びこの艦のタラ
ップを踏んだ---彼女らの笑顔はそれでも、やはりあの頃のまま
だった。
再航海に向け「黒のリヴァイアス」号の内部は、そこここに
大幅な改装が施されていた。
教習艦である為の設備は勿論、現在生徒らが暮らす個室を始
めとした生活環境、各種レクリエーションエリアの充実などが
それである。
昴治が今回の祭に使用するべく許可を得た特別講義室はその
際増築された所謂「公会堂の大ホール」のようなもので、舞台
も音響設備も整ったまさにお誂え向きの物件といえた。
会場の設営には主に運輸課と警邏課の生徒が当てられた。コ
ンテナや什器、クレーン等の取扱いに慣れた運輸課生のスキル
は必要不可欠であったし、警邏課にしても当日会場を効率良く
見回る為に、設営時から関わっておくことが望ましかったから
だ。
「まあ今のリヴァイアス艦内で「警備」なんて、言葉自体大
袈裟過ぎるかもしれないけどな」
偶然会場で行き会った総括課班長は、少し困ったようないつ
もの口調でそう言うと、警邏課班長エアーズ・ブルーを見上げ
てのんびりと微笑った。
所属課の後輩にこれから後の手順を引き継ぎ、講習に戻ろう
と歩き出したブルーに当たり前に歩を合わせ、昴治は「設営作
業の進行状況を見に来たんだ」などと、やはり何でもないこと
のように話し掛けてきた。
相変わらずな奴だ、と心中に独りごちた。こんなふうに自分
に気安くできる存在は、今や宇宙広しといえど幾人も在りはし
ないのに。
もっとも思い返すまでもなく、昴治は初航海の---漂流の初期
にブリッジで出会った頃から、ブルーに対し臆す様子を見せる
ことなど皆無といってよかったけれど。
「運輸課も警邏課も班長がしっかりしてるおかげか、進みが
早くて助かるよ」
元々の童顔が笑うとなおさら幼くなる「友人」は、ブルーが
声にして答えない事にも頓着しない稀少な相手でもあった。
肝が座っているのか。或いはただの呑気者か。
ブルー共々この旅で操船課から所属を移した昴治だが、その
所以もまた彼の器を物語る事由の一つであるには違いない。
それは永く諍いの続いた弟への、今にして示す深く柔らかな
想いと同様に。
「入場案内役は予定通りV・Gチームに決まったのか」
何をいきなり、と思われるのを承知で聞いてみた。
間近の交叉路から一瞬覗いた顔が、こちらの存在に気付いた
途端慌てて引っ込んだのをみとめた上での、ブルーにして滅多
にない「お節介」だった。
友人の思惑も知らぬまま昴治は少々気恥ずかしげに、それで
も堪えきれない喜びにその頬を綻ばせた。
うん、と子供のように肯いて、
「思ったより・・・すんなりと。カレンさんに頼んだのが良かっ
たんじゃないかな」
自分からの協力要請など、決して「すんなりと聞き入れては
くれない」と予想していたらしい者の名を昴治は敢えて口に出
しはしなかった。
傍目には紛いようもない弟の兄への真実は、相変わらず当の
昴治にだけ、未だ少しも伝わっていないらしい。
「よかったな」
それでも祝福せずにはいられなかった。昴治のはにかんだ笑
顔が、あまりにも胸に優しくて。それ故に、
「忘れ物をした」
重ねてお節介を焼く為に、又しても唐突に言い置いてブルー
は来た方向へと踵を返した。
あっけに取られたような生返事を背中で聞きつつ、振り返る
ことなく歩き出す。
先刻通路の曲がり角に隠れた艦内きっての天邪鬼が、友人に
対し、願わくばほんの少しでも素直に接してくれることを祈り
ながら。
二度目の「旅」の始まりの日。
「おかえり」と言ったネーヤに、コウジはとてもきれいな微
笑をくれた。
「あいたかった」と伝えたら、本当に同じな気持ちを返して
くれた。
先の「旅」の始まりで、目覚めた途端ネーヤに流れ込んだ色
々な「痛い気持ち」とは違う色のそれを最初に教えてくれた時
のように。
それらが大切なものだと識ったから、ネーヤはこの艦の中で
誰よりもコウジのこころに多く触れてきた。
もっともっと「ひと」のことを解りたいと強く願ったからだ
った。
ネーヤがこころを読めると知っても、コウジは隠すことなく
それを許し、当たり前に沢山の色---気持ちを全部見せてくれた。
ふんわりと温かな気持ち。ドキドキとする嬉しい気持ち。胸
がきゅっとなる淋しい気持ち。ワクワクと期待する気持ち。そ
れから、それから・・・。
そして、いま。
コウジの中には、ユウキのことを考える時にだけ表れる「ふ
んわりとドキドキときゅっとなる感じとワクワクがごちゃ混ぜ
になった想い」が溢れていた。
忘れ物なんてウソを口にしてブルーが歩き去った後、交叉路
の1角から、いつでも気に掛けている弟のユウキが急に現れた
せいだった。
驚いて固まったコウジをユウキは斜に睨み付けたけれど、こ
ころの中では少しも怒ったり嫌がったりなどしていなかった。
見た目にもそんな雰囲気は充分感じられたから、
「祐希」
コウジは強くなったこころのドキドキを抑えて言った。
「入場案内、引き受けてくれてありがと、な」
たとえ誰の為でもいい。ユウキが自分の関わる企画にそれと
承知で手を貸してくれる---それだけの事がこんなにも嬉しいん
だ、と胸の中で。
わざと無視して通り過ぎようとしていたユウキは、その言葉
に硬直して立ち止まった。胸一杯に温かいふんわりが満ちて、
嬉しくて緩む頬をどうしてか隠そうと、コウジに背中を向けた
まま、ユウキは乱暴に吐き出した。
「貸しだからなっ」
「・・・え」
返事が返るとは思っていなかったコウジが、意味を掴み損ね
て間の抜けた声音を漏らした。
「案内役!高く付くって言ったんだよ」
あんたの頼み事なんだから当然だろ、という言外の台詞は勿
論コウジに届くはずもない。決してカレンに諭されたからなん
かじゃない、なんて「拗ねた子供」のような言い分と共々に。
ユウキのそんな「本当」を知らないコウジだから、
「・・・高くって---じゃあ・・・ええと、昼飯5回分くらいとか?」
相変わらずの、どこか外れた応えも致し方なかった。
「貸し」だの「借り」だのいう遣り取りなんて友人間でしか交
わした事もなく、その代償にも「奢り」か「当番の代役」くらい
しか思い付けなかったコウジには。
それ故の、思わず口をついて出た言葉尻を捉えて、
「ケチるんじゃねえよ、ばか兄貴。高く付くって言ってんだ
から、晩飯だろ!普通は」
漸く振り向いたユウキは、雑言となると途端に良く滑る舌で
得意の屁理屈を捲くし立てたものだ。
緊張と高揚した気分の中、相手を食事に誘っているも同然の
台詞を連発している自分に気付かないままで。
今日も忙しなく艦内を走り回っていた昴治は、首から提げた
幾つものインカムの1つから、たったいま会場設営完了の報告
を受け取ったところだった。
その昴治に踊るような足取りで付き従うネーヤは、始終大層
楽しげに微笑んでいた。祭を明日に控えた生徒らの「わくわく」
で胸がいっぱいなのだと幸福そうに。
きらきら輝く朱の瞳に笑顔を返し、昴治は優しく宣言した。
人々の明日を乗せ共にこれからを往く、道標たる少女に向けて。
「さあ、俺たちの記念日を始めよう」
<end>
リヴァイアス放送5周年記念アンソロ(桜三姉妹:日下さま企画)に
載せて頂いたものの再録でした。 全年齢向けということで
なるだけカップリング色を出さないよう苦労した気がいたします。
一応それなりに主要メンバーも揃えてみたり。いや単なる趣味
丸出しなセレクトだったかも?(^_^;)