ミマ-サ-の日常雑考サ

日常の中で感じた事を徒然なるままに綴った私の不定期更新雑日記です

バスの中の王様


バスに乗った時の出来事である。
のんびりバスに乗っていると、いきなり急ブレーキを踏まれて私は前の座席に追突してしまいそうだった。
他の乗客もそうだった。しかし、その時にバスの運転手が「あの野郎、なんて危ない運転して割り込んで
きやがるんだぁ」と、声は小さかったが、彼にはマイクが付いているので車内にその声が響いた。
乗客たちは急ブレーキで驚かされた怒りを運転手に向けるはずだったが、その運転手の声によって、怒りを
暴走した車に向けた。乗客たちは、あの野郎〜!とか、あいつが暴走車か!などとやり場の無い怒りで雑然と
していたのだが、超変人の私だけは、「ふざけんなぁ〜!運転手〜!」と心の中で叫んでいた。
バスの中では運転手が王様である。暴走車が道を割り込んでくれば、乗客全員が運転手の味方になって暴走車を
責め立てる。しかし本当にそうだろうか?バス運転手のドライブテクニックの未熟さは無いのか?
最近のバス運転手は走行中に乗客が席を立ち上がることを凄く嫌う。
走行中に立ち上がって乗客が怪我でもすれば、場合によっては損害賠償などを請求してくるヤクザな連中も居る
だろうし、それを阻止すべく「バスが止まってから席を立って下さい」などと頻繁にアナウンスしている。
しかしバスに乗るということは無事故で普通に目的バス停まで到着するのが当たり前である。
身障者や老人が走行中に席を立てば危ないだろうが、健常者が走行中に席を立っても、おおげさに注意を促して
こなくても健常者は怪我をしたりしない。
人は他人に迷惑をかけたくないので、目的のバス停近くになって小銭が無ければ、降りる前に両替をしたいと
思い、走行中に前方の両替機に行きたいのである。最近のバス運転手は、それを阻止するのである。
たしかに走行中に全ての乗客を座らせておけば事故は無いだろうが、バスにはバス停への到着時刻というものが
あるわけで、都心になればなるほど到着時刻は10分から20分くらい誤差が生じてしまう。
バス運転手は自己保身を最優先に考えて、停留所に到達する時間が遅れてしまっても、それは仕方が無いことと
割り切って考えているように思う。健常者が両替えの為に座席を立ち上がっても良いではないか。
降りる段階で両替機で両替えをすれば、それだけ時間をロスしてしまう。老人などは仕方が無いのだが若者などは
降りる数分前に両替えをさせてあげるべきだ。
無事故で安全に運転することだけがバス運転手の仕事では無い。バス停に明記してある時刻にバスを到達させる事
もバス運転手の務めなのだ。最近のバス運転手は時刻が遅れていても急ぐ様子は全く無いのが嘆かわしい。
さて、子供達の尊敬する職業として常に上位に君臨する、はたらくおじさん代表格のバスの運転手にたいして
ここまで非難するやつは私ぐらいだろうな〜と思い、少し自己嫌悪である(^^;)


陰陽の法則


この世界の絶対的な法則として「陰陽道」というものがある。
YESかNOか、黒か白か、男か女か、そして月と太陽、というように人間社会では全てを対極的に表現できる。
この陰陽を人間は意味を取り違えているように思う。
その代表的なものがコンピュータだ。二進法という陰陽を応用して発展させたコンピュータには、もちろん
人間の能力以上のものがある。しかし、それは表面的な利用法であり根本的には違うのでは無いか?
これが人間の生きる法則である以上は人間の生き方にも陰陽は当てはまる。
たとえば喫茶店やコンビニなどでタメグチで店員と話す若者をよく見かけるのだが、このタメグチを使って
良い若者と悪い若者が存在する。これが陰陽だ。
店員にタメグチを使ってはならないタイプの若者が、店員にタメグチを使えば、とても頭が悪そうに見えて
その若者のイメージは最低となる。しかし店員にタメグチを使って良いタイプの若者が、店員にタメグチを
使えば、それは逆にその若者のイメージアップになるのだ。
まだあるぞ!社内で女子事務員の肩やお尻を叩いて「おはよ〜!」と言って許される奴と許されない奴。
まだまだあるぞ!彼女でもない友達の女の子を呼び捨てにして好感度を高める奴と好感度を下げる奴。
このようなことは、その人間の特性であり決して本人の努力で変えることのできない陰陽に縛られた事だ。
それなのに、人間は「陰」なのに「陽」の態度をとったり、「陽」なのに「陰」の態度をとったりするから
くだらないトラブルに巻き込まれるのだ。
コンピュータで陰陽を利用する前に、自分自身の陰陽を把握することの方が先決では無いかと思ってしまう。
かくいう私も、その陰陽を取り違えて長いあいだ生きてきた結果、こんな人間になってしまった。
どんな人間やねん!(^^;)


専門職の習得


私は広告業界で働いている。私もそれなりの年齢なので若手の育成に携わることもあったりするのだが
クリエイティブな仕事を教えるのは容易では無い。
初めは私も、若手が何故こんな簡単なことを修得できないのか不思議に思ったりして悩んだのだが、それは
突然に閃きのごとく納得できたのであった。
これは広告業だけでは無く、たとえばゲームプログラマーやデザイナー、カメラマンなど専門職全般に言える
ことである。
簡単な例で言えば、ピアノが弾けない人に弾き方を完璧に教えて、すぐ見本通りに弾けと要求しているような
ものだ。全く弾けない人に弾き方を教えても、すぐに完璧に弾けるはずがないのだ。
仕事を教えても、それを修得するには永い年月と本人の努力が必要であり、そこにはセンスも必要である。
これが音楽の世界ならば、そんなことは当然と言えるのだが、会社世界では盲点的な事でありスキルアップが
全て本人の責任となって背負わされるのだ。
専門職とは昔の言葉で言えば職人カタギである。丁稚奉公で地道に覚えていくしか教える方法は無いのだ。
そんな特殊な能力を取得して仕事をこなせば高収入になって当たり前なのだが、そうでは無いところが日本の
恐いところである。


古代魚元年


どこかの掲示板で「1999年はインターネットの古代魚元年だったね」などという書き込みを見て、なるほど
と共感して当時の思い出が蘇ってきた。
昨年の1月は私が初めてポリプ飼育をはじめた年でもあり、それと同時にネットで「古代魚」「ポリプテルス」
などを検索しまくり、ずっと古代魚系のサイトを探していた時期でもあった。しかし見つからない。
1999年1月の段階では、まだ古代魚系サイトは少なく、やっと探し当てたのは「ぬーの古代魚水族館」と
「恐竜水族館」「saifaさんの熱帯雨林の部屋」「ダバケンさんのHP」「福山さんのピラルクー飼育研究所」
ぐらいだった。身近に古代魚を理解してもらえる友人が居なかった私は、とにかくポリプの話がしたくて
これらのHPの掲示板に、私のポリプの思いを書き連ねていった。
でも掲示板の反応は冷たかった。まだ古代魚サイトが少なかったし掲示板常連の人たちも古代魚ファンでは無く
一般の話題が主だったからだ。私が師匠として尊敬する恐竜クンのサイトでも当時は掲示板に古代魚ファンが
皆無であり、もちろん管理人である恐竜くんは私の熱い思いを受けとめてくれて熱いレスをくれたのだが
他の投稿者たちは何の話をしているのか理解できないようだった。
私はこの事実にストレスを爆発させてしまい、古代魚ファンだけが訪れる掲示板を作って、投稿に対しては
読むもの全員が理解できるというマニアックなものを自分で開拓しよう!と思い、重い腰を上げて自らのHPを
製作したのだった。
そして私の掲示板は次第に古代魚ファンが集うようになり、自分のポリプへの思いが読み手全員に伝わっている
ことに満足していたが、それと時を同じくして古代魚サイトが次々にアップされていった。
kiemさん、こぐっちゃん、オイタマン、田舎の猫さんなど古代魚をメインにしたHPがガンガン製作されて
インターネットでの古代魚交流はますます楽しいものになっていったのだ。
その後も古代魚系サイトは盛り上がり続け、それらの先駆者たちのHPを閲覧していた人たちがHPを製作して
ゆき古代魚系サイトは拍車をかけることになり現在に至っている。
数年前までは高価だった古代魚も現在では一般の人たちでも十分に購入できる価格帯に落ち着いてきている。
今後も古代魚系サイトは盛り上がってゆくことだろう。昨年の古代魚元年から最近までにHPを立ち上げた人
たちは、数年後には古代魚ネット界のリーダー的存在として活躍するだろうし、新たに参加してくる人々に
長老的な存在として崇められるのかもしれない。
ん?待てよ。長老と言うネーミングは少し嫌だな。私は他サイトの管理人たちよりも少し年齢が上なのだ。
他サイトの管理人たちは、長老と呼ばれてもそれはネーミングだけの事だが、私が長老と呼ばれてしまうと
文字どおり長老に見えてしまうかもしれない(^^;)これはマズイ...。
数年後に誰かが「長老」という呼称を作った時に、即訂正できるように私自身で長老に替わるネーミングを
考えておいた方がよさそうだ(^^;)


今どきのビジュアル系


数年前から爆発的な流行であるビジュアル系バンドに関しての意見である。
私は昔、ロックバンドのギタリストとして本気で活動していたので、最近のビジュアル系バンドに関して
意見を述べずにはいられないのである。
私の神経を逆なでるのは、マスコミが彼等を「ロックバンド」として扱っている事実なのだ。
当時、私が本気で音楽活動をしていた頃、グランドファンクやヤードバーズ、フー、レッドツェッペリン
エアロスミス、さらには現役で聞いて無いけどチャックベリー、レスポール、ジミヘンなどのサウンドを
吸収して自分のフィーリングに取り込んだのだった。言い換えれば独学で音楽理論をマスターしていた。
では今どきのビジュアル系バンドは、どうだろうか?
そんなロックの基礎なんて無いに等しい。良く言えば前衛的なサウンドと言えるのだろうが、それは決して
私の大好きな「ロック」では有り得ない。
美術で表現するならば、絵心の理解できない人が、いきなりピカソっぽい絵を書いて、芸術だぁ〜と言って
いるような不快感が私にはある。ピカソだって基礎は完璧なうえで自分の心を絵で表現しているのだ!
しかしビジュアル系と呼ばれるバンドたちも真剣である事は理解できる。
自分たちの音楽を理解してもらいたいと願い、ビジュアル系と呼ばれることに反感を抱くバンドも多い。
彼等の大半は20代であり、私のような昔の人間のようにブリティッシュロックや8ビート、お約束のスケール
などを受け入れられないのだろう。自分の感情をサウンドで自由に表現しているだけなのだ。
ロックとはビートも勿論だが、その音楽理論的にも決められたルールがあり、礼儀というものが存在する。
それを無視して自分の表現だけを具現化したサウンドは、絶対に「ロック」では無い。
ビジュアル系のバンドを「スター」と呼ぶならば、私は何の抵抗も無く彼等を受け入れることができる。
若い女の子にカリスマ性を発揮して多くのファンを作り、ミュージシャン志望の男の子たちにも絶大な人気を
誇る彼等は、芸能人としては一流だ。しかし決して「ロックミュージシャン」では無いのだ。
かつてフォークソングが下火になり、ユーミンが独特のサウンドを奏でた時に、その歌に対してマスコミは
ニューミュージックという言葉を作った。フォークでは無いけど心地よい新しいサウンドという意味だ。
今どきのビジュアル系バンドにも、マスコミが新しい言葉を作るべきだと私は考えている。
たとえば、芸術的なロックンロールという意味で「アートロック」というのは、どうだろうか?
こんな洒落たネーミングならば、ビジュアル系の彼等も納得するのではないだろうか?
とにかく私はビジュアル系バンドが、ロックバンドであると彼等自身でも認識している事実にムシズが奔る
のだ。やめてくれ!最低でもロックスケールやビートの理論を幾何学的に修得してから言ってくれ!
彼等のカリスマ性は立派だし、芸能人として一流だと認めるけども、「ロック」ではないのに「ロック」の
名称を使うのは止めてくれ!私の提案である「アートロック」という呼称を使ってくれ〜!
今回の主張は音楽未経験者には理解し難い話だったでしょうが、ここは私の小宇宙なので、これで良いのだ(^^;)


心の優しい人


レストランなどに行くと、隣の席で見かけたりする普通の場面の話である。
席には三十代後半のキャリアウーマンタイプの女性が二人座っていた。
間もなくウェイトレスがメニューと冷水を運んできたのだが、テーブルにグラスを無造作に置いて
しまったために冷水がこぼれ、キャリアウーマンの片方の腕を少し濡らしてしまったから大変だ。
キャリアウーマンAは、「あんた!何やってんのよ!水も満足に出せないの?しっかりしなさい!」
と凄い剣幕でウェイトレスを怒鳴りつけた。
すると横で見ていたキャリアウーマンBは、「まぁ落ち着いてよ。このウェイトレスさんだって悪気が
あって水をこぼしたんじゃないんだから。さぁウェイトレスさん、もういいわよ。」
と優しい目でウエィトレスを解放した。
さてこの場面を見て、私は心優しい人はキャリアウーマンAだと思った。Bは冷たい人だと直感した。
私が見たところでキャリアウーマンBは、ウェイトレスを完全に見下していた。
ファミリーレストランでアルバイトしている小娘ウェイトレスなんかに多くを期待しては駄目よ!と
キャリアウーマンBの目が語っていた。
それではキャリアウーマンAのとった態度はどうだろう。ウェイトレスを怒鳴ってしまった気持ちの
裏には、こんな誰だって失敗しないような事を何故ちゃんとやらないのよ!という怒りがあったのだと
私は思う。キャリアウーマンBが一見優しそうでも完全に見下した態度だったのに対して、Aのとった
態度は、そのウェイトレスを自分と対等な人間として考え、自分ができるはずの事が何故あなたに
できないの?という怒りだったのだ。
しかし当のウェイトレスは、その後メニューを聞きに来て、Aに対しては無表情だったが、Bに対しては
少し笑顔を見せていた。たぶんウェイトレスはBを優しい人だと判断したのだろう。
このウェイトレスは確かに二十歳前の子供だったが、この一連の場面を何気なく見ていた私は背筋が
寒くなってしまった。若者よ、もっとプライドを持て!と言いたくなる。
このウエィトレスは一体どこまで馬鹿にされると、自分が見下されているのに気がつくのだろうか。
帰りの精算時に電卓を打ち間違えて金額を間違えて告げたりして、キャリアウーマンBに「いいのよ。
計算するって難しいですもんね!私がちゃんと計算しておいたから大丈夫よ!はい、1,000円丁度ね。」
などと満面の笑みで言われても、まだ気がつかないだろうか。たぶん気がつかないのだろう。
日本とは、そういうところだ。


アルコールの効力


私はビールが大好きで、毎日2リットル前後の量を嗜んでいる。
そんな私なので、知り合いや初対面の人物などと話をする時にはアルコールが必需である。
最近では、インターネットで知り合ったネット友達と会って話をするなどの機会も多いのだが
そんな時に相手がアルコール嫌いだったりすると少しガッカリする。
アルコールを交えての話というのは楽しい。
ただ酔っている者同士のヘベレケ状態だから楽しいのではなく、本音で普通に会話が弾むのだ。
シラフの時には言えない言葉、又はシラフならば計算できるような会話のかけひきが、アルコールの
入った時点で全て無効となってしまう。
ほどよく精神が麻痺して、本音で話をすることができ、また話に集中することができる。
もちろん次の日には記憶は健在なので、相手との会話を改めてシラフ状態で反芻することができる。
初対面の人とアルコールを飲みながら話をするということは、心の武装を全て取りさって話をすると
いうことであり、それはお互いの人間性を認めたということにもなる。
信用できない人物の前で心の武装を取りさる人は居ないだろうから。
と、思っている私だが、世間にはアルコール嫌いな人やアルコールに弱い人がたくさん存在する。
これは仕方の無いことで、だれが悪いわけでも無い。
私も含めてアルコール依存の人間というのは、実はピュアな心の持ち主なのではないかと思うのだが
第三者が酔った現場を見ると、それは醜い姿でしかないのが現実だ。


ラーメン屋さんの勇気


新規開店のラーメン屋で普通にラーメンを食べながら店主の接客やアルバイト店員への指導などを
眺めていたのだが、どう考えても頭の回転が鈍すぎる店主だった。
これではいづれ潰れてしまうんじゃないかと思うほど、店主のピントがずれている。私が店主を
代わってやったほうが絶対に商売が繁盛するはずだと心の中で呟きながら、すぐ思い直した。
じゃぁ私が今、ラーメン屋を開く事ができるか?答えはNoだ。
信用の低い私は、店を建ててオープンさせるという資金を銀行から融資で借りる事などできない。
仮にできたとしても、いきなり店鋪を開くのは躊躇するだろう。
でも、このラーメン屋の店主は私にはできない決断を実行して、ラーメン屋を作ったのだ。
世の中を逞しく生きてゆくには、頭の良さや回転の早さではない。それは実行力と決断力だ!
どんなに頭の悪い店主だろうが、ラーメン屋を作ったという時点で全面的に店主の勝ちだ。
第三者がどんなに批判しようとも、それは負け犬の遠吠えでしか無い。
悔しかったらオマエもラーメン屋を作ってみろ〜という店主の声が聞こえてきそうだ。
が..。しかし、このラーメン屋が経営を維持し繁盛するかどうかは、また別の話だ。


マスコミは若者への情報をもっと考えろ


常々私は仕事柄もありマスコミの影響力について考えているが、この絶大な影響力が場合によって
良い時と悪い時がある。たとえば「バツイチ」という言葉が流行し、離婚経験者が世間的に認めら
れたのは良いマスコミ効果だ。それまでの離婚経験者は、まるで人生の敗北者のような目で見られ
特に女性は悲惨で、出戻りという差別語に近い陰口を叩かれていた。誰でも失敗というものはある
わけで、ちょっと結婚に失敗しただけなのに人生の落伍者呼ばわりというのは理不尽な話だ。
でも「バツイチ」という言葉が流行して、離婚経験者は、その離婚という失敗を明るく語れるよう
になり、また世間の受けとめ方も普通になった。この「バツイチ」という言葉を考えた人物は
日本の古くて暗い慣習までも覆してしまったわけで、本当に表彰モノだと思う。
そして私がいちばん悪いマスコミ効果だと思っている言葉が「フリーター」である。
まだ一人前ではない若者を堕落させる言葉だ。この言葉が無かった頃は、無職、プー太郎、遊び人
と言われ、社会的保証の無いアルバイト勤務をしている若者も、仕事を聞かれアルバイトと答える
ことが恥ずかしいと感じていた。だからこそ若者は定職に就くために努力し、又自分のやりたい事
を見つける為に一生懸命だったのだ。それは「アルバイト」「無職」という言葉がカッコ悪かった
からだ。若者はダサイことが許されないので、そうならない為に努力する結果、将来の生活設計の
ようなものを無意識に考えざるをえなかった。
しかし、フリーターというカッコ良いひびきの言葉ができたことで若者は努力を放棄してしまい、
今日が楽しければ良いという短絡思考になってしまった。怠慢の逃げ道ができたのだ。
「バツイチ」は社会的に自立した大人の救済で大きく評価できるが、「フリーター」は若者への
逃げ道作りの言葉だ。まだ社会が何なのかも理解できていない若者を堕落させる言葉を作って
しまったマスコミの責任は大きい。...と思う私はオヤジかにゃ〜(-_-;)


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