南三陸町「わらすっこ祭り」に 参加してきました

3.11の東日本大震災のあと、私達も何ができるか模索し続けていた中、
「南三陸町の復興を支援する入間の会」の方に声をかけていただき、
8月20日の「みなみさんりく わらすっこ祭り」に参加させていただくことになりました。
保育士・保護者・中学生、計26名で、現地の子供達を元気付けに行きました。

前日の夜10時に集合・出発です。途中何度か休憩を入れて、現地には朝7時頃に到着。
(週末のSA・PAは、ボランティアを運ぶバスやトラックでどこも満車です!)
南三陸町の現状は、テレビの報道で見るのとまったく同じ…あまりの惨状に思わず目を覆いたく
なる程。水の恐怖は山の奥まで襲い、かなりの高台まで被害がありました。
お祭会場になる名足小学校も、高台に建っているにもかかわらず、2階まで波がきたそうです。

 
 

会場の名足小学校へ到着。荷物をおろして準備に取り掛かります。
今回のお祭は南三陸町の子供達400名が対象で、食べ物の屋台や遊び場、
ステージの上での太鼓や楽器演奏、さらにはレンジャーショーも行われました。
私達はやきそばとわたあめの屋台に、絵本の無料配布コーナー、
そして子供達とたくさん遊ぶために、コマや剣玉、ゴム紐にあやとりなども持って行きました。

開店時間(お昼の12時)が近づくにつれて、どんどん子供達が集まって来ます。
会場内の通貨は「和」。子供達には1和の券20枚つづりが無料で配られました。
そして開幕太鼓の音と共に、わらすっこ祭りのスタートです。

 

たくさんの子供達が遊びに来てくれました。
でも、人の入りの割には売れ行きがなかなか伸びない・・・?
1人の子に職員が「わたあめ食べない?」と声をかけると、その子は和の券をぎゅっとにぎりしめ、
「まだいい」と答えました。
・・・今まで欲しい物がなかなか手に入らない状況の中、物を大切に使おうという気持ちから、
無料である券を大事に大事にしてすぐに使えずにいたのです。
思わず胸をぎゅっとつかまれるような気がしました。
津波でお母さんを亡くされた子も…「お母さんいないもん。津波で死んじゃった。」と話す子を目の前に、
私達も言葉をなくしてしまいました。
言葉でのなぐさめはできないけれど、一緒に遊ぶことで一瞬でも笑ってもらえたらと強く思いました。

 

食べることよりも、遊ぶことに夢中な子供達でした。本当にいい顔をして良く笑っていました。
私達のブースでも、長いゴム紐の輪に2人で入り、お互い反対方向に引っ張り合って、
勝った方がアメを沢山もらえるゲームをしましたが、これには大盛り上がりで、
孫のために頑張るおばあちゃん、恥ずかしそうにしながらも参加して沢山アメを取った子、
ゴムに引っ張られて転んでしまっても、ニコニコと笑いながら何度も挑戦してくれる子もいました。
私達も一緒に遊びながら、本当に楽しい時間を過ごしました。

絵本のブースでは、「貸出用にする」と沢山持ち帰る人、「字に飢えている」と大切そうに持ち帰る人、
何にするのか兄弟で袋いっぱいに持ち帰る子、「たくさん本を集めていたけど、全部流されてしまって」
と言いながら選んでいた人の姿も。改めて絵本の力を感じました。

会場で、何人かの方からお話を伺うことができました。
「仮設住宅で、茶碗があるが茶ダンスがない。茶ダンスを置くスペースもない。」
「毎日レトルトカレーで食欲もなくなる。」「野菜が手に入りにくい。」
「学校が遠くなり間借りなので、早く元の学校に戻してあげたい。」
「海岸も砂浜がなくなり、瓦礫の中で遊び場がない。せめて、体育館に山積みになっている支援物資を
片付けて、夏休みの遊び場にしてほしい。」
「内陸部に勤めていて車は無事だったが、帰宅路の橋が落下して帰れず、2日間子供の無事が
確認できなかった。」
子供達の心配や近隣の被害の話をしてくれたご婦人は、最後に「両親共に行方不明」と話されました。

 

4時間のお祭もあっという間に時間が過ぎ、最後は集まってくれた子供達や親御さんたち、
スタッフも全員で輪になり手をつなぎ、「世界にひとつだけの花」を歌って閉会となりました。
会場を片付けている間も、子供達はいつまでも名残惜しそうに校庭で遊んでいました。
パイプ椅子や長机を片付けに入った体育館には・・・全国から送られた支援物資が山積みに。
これから季節が変わり、必要となる物も出てくるとは思いますが、体育館一面に覆い尽くされた
行き場のない物資に、リサーチの必要性を感じました。

会場を出発するとき、いつまでも私達をのせたバスに向かって笑顔で手を振ってくれた子供達。
今日一日が、子供達にとって楽しい夏の思い出になったと信じて、私達も手を振り返しました。
内陸まで再び、目を覆いたくなる様なガレキの山の中をバスは走り、それでも現地の方達の
明るい笑顔に励ましてもらったおかげで、朝感じたような絶望感はありませんでした。
元気を届けに行って、私たちもまた元気になって帰ってこれました。

これからも、一日も早い復興を祈って。お互いに支え合いながら・・・。

 


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