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  ヨハネスブルグ環境開発サミットに参加して  

【報告者】岩崎裕保 (開発研究会運営委員長、開発教育協議会副代表、
                             京都造形芸術大学助教授)
(第2回 拡大学習会にて報告)

私は暑さに弱いので、涼しいところに夏行けるのであればどこでも行こうと思っていました。8月22日はマーシャルに行く予定が入っていたのですが、ヨハネスブルグがあるということで、メルボルンと同じくらいの緯度なので涼しいだろうと思い、それで行くことを決めたという、極めて不純な動機でした。
私のような者がヨハネスブルグに行くよりも、ここにいらっしゃる皆さんが本来なら行かれるのでしょうけれど、ヨハネスブルグの会議があまり期待されておらず、盛り上がりに欠けていて、私のところに回ってきたのでしょう。

 環境教育関係者が中心になって、昨年8月に「ヨハネスブルグ・サミットに向けたNGO/NPO等意見交換会」が行われ、11月に「ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム(JFJ)」が発足しました。
この提言フォーラムは「国連・環境教育の10年」の提案をカンボジアのプノンペンで開かれたアジア太平洋地域準備会(2001年11月)に提出しましたが、これは採用されませんでした。その後外務省との話し合いを経て3月のニューヨークでの準備会合に日本政府代表団が提案をしたところ、議長ペーパーに盛り込まれ、6月のインドネシア・バリにおける最終準備会合では、「"持続可能な開発のための教育の10年"を2004年の国連総会で採択することを検討するよう勧告する」という文章がヨハネスブルグ・サミットの実施文書に記述されることがほぼ決定しました。

提言フォーラムには当初9つの分科会が設置されたそうですが、環境教育分科会が「教育の10年」の提言をまとめるようになったとのことです。
6月2日のバリでのワークショップの後、提言フォーラムは6月5日に「NGOと政府関係者とのダイアローグ」を持ち、その後数回の打ち合わせを経て7月13日にヨハネスブルグ・サミットに向けてのシンポジウムを開催しました。

こうした動きの中で開発教育協議会にも声をかけるべきだと考える人がいて、6月のバリの準備会合に開発教育協議会からも上條直美さんが参加しました。このプロジェクトが動き出せば事務局組織が必要になってくる、そのためにもヨハネスブルグに開発教育協議会からも誰かを派遣しようという話になり、さまざまな意見交換の結果、上條さんと中村絵乃さんそして私が行くことになりました。(私は提言フォーラムのメンバーとしての参加ではありましたが、経済的援助はまったく受けないで行きました。)ですから、実際私がこれに関わるようになったのは8月10日の「ヨハネスブルグ・サミット提言フォーラム環境教育分科会ワークショップ」(日本における最終準備会)からです。

この環境教育分科会からヨハネスブルグに行ったのはわれわれ3人の他、大島順子さん(オーストラリア・グリフィス大学の博士課程に在籍するエコツーリズムの専門家)と、小栗有子さん(東京農工大大学院博士課程在籍、環境教育専攻)の5人で、提言フォーラム立ち上げから関わってきた人の参加はありませんでした。提言フォーラム自体は、その基本方針にある通り、この11月で解散することになっているとのことです。

では、私たちの足取りを振り返ってみます。

8月22日夕方出発、香港で南アフリカン航空に乗り換え、翌23日午前にヨハネスブルグ到着。午後NGOフォーラム会場(ナズレック)で半日かかって登録(US$130)。

24日には国連本会議場(サントン)で登録、こちらは無料なのですが、やはり時間はかかりました。そしてナズレックのワークショップ会場やブースの下見をして一日終了。

25日はナズレックのJFJ事務所で打ち合わせの後、ブース準備、ワークショップ案内チラシ配布、各国NGOにemailで広報。

26日、NGOピープルズ・フォーラム開会式。ネルソン・マンデラが開会の挨拶をすることになっていて、「革命の歌」を歌いながら輪になって踊るグループもあり会場は盛り上がっていましたが、時間になってもマンデラは現れず一同がっかり。しかし最初のスピーチが明快に鋭くグローバリゼーションを批判するもので、マンデラが来なくてもピープルズ・フォーラムは一体感を覚える場となりました。
その後続いたスピーチも熱のこもったものでとても良かったそうです。と言うのも私はナズレックを後にしてサントン(距離にして20kmをバスで移動)に行き、EUの開発教育の拠点であるNorth South Centre(Council of Europeの一部)が主催する会議に参加することにしていたからです。
しかしたどり着いてみると、国連の登録ができている人でも、前日にone-day passを手に入れておいた人しか入場できないという制限が実施されており、結局会場に入ることもできず、急遽ナズレックに戻りJFJの第1回ワークショップに何とか間に合って参加をしました。(こうした状況にはNGOからの大ブーイングが起こり、その翌日からは6000名を上限に自由に入れるようになりました。)

私たちのワークショップは各回とも神野幸男さん(オイスカ)による「教育の10年」のアピールで始めました。
第1回目は阿部治さん(立教大学)が、アジア太平洋地域における環境教育の展開の紹介をすると共に、環境教育の枠組みや概念を問い直し、狭義の環境教育にとどまることなく概念を広げる必要性を訴えました。
ここには大木環境大臣と加藤登紀子さんの飛び入り参加もありました。夜にはサントンの日本政府ロジ室(NGO連絡室)で日本政府によるNGOへのブリーフィングが行われ、上條さんと岩崎が出席しました。

27日午前中は上條さんとまたサントンに向かい「教育コーカス・ミーティング」に参加。午後の第2回目のワークショップは、キャシー神野さん(オイスカ・インターナショナル)による「参加型・体験型教育?子どもの自然体験プログラム」と、毛利聡子さん(明星大学)による「国際交渉における環境NGOの役割?ネットワークの有効性」の2つの事例発表を行い、それを受けて「持続可能な開発のための教育」をテーマにディスカッションをしました。
グローバル・シチズンシップ、educationからlearningへ、政策決定者との協働、基本的なライフ・スキル、子どもが選択できること、地域からの発信、経済と環境、北と南のパートナーシップ、教員研修などのキーワードが出され、開発教育の重要な概念との重なりを覚えるものでした。
サントンでは夕方から議員団との懇談があり、大島さんと岩本さん(和光大学)とともに岩崎も参加しました。東祥三、加藤修一、清水嘉与子、自見庄三郎、広中和歌子、谷津義男、愛知和男、小杉隆、といった地球環境行動会議(Global Environmental Action:GEA)のメンバーや西川、竹下衆議院議員などが出席していました。

ナズレックの会場で「フォーラム:軍事活動と環境」のブースやワークショップを行っている沖縄環境ネットワークの桜井国俊さん(沖縄大学)の「基地の環境問題はその設置者すなわち米軍・日本政府が責任を負うべき」という問いかけに正面から応えようとする議員は一人もいないだけでなく、「脱原発はいいかげんだ」とか「ドイツを真似る訳にはいかない」などといった発言もありました。
「開発か環境かという二者択一の時代ではなく、この会議のテーマは持続可能な開発であることをじゅうぶん認識してもらいたい。"開発教育"をご存じないかもしれないが、ナズレックのワークショップで語られるキーワードは、まさしく"開発教育"のそれである。議員も"開発教育"の勉強会を持ってはどうか。」という私の発言に対して、確か谷津議員からだったと思いますが、「今度の国会に提出してある"自然環境再生法案"には"開発教育が重要"と入れてある。」との反応がありました。
いつどこで誰が"開発教育"を法案にまで盛り込むべく動いたのでしょうか、そしてはたしてそれはどんな"開発教育"なのでしょうか、気になります。

この後、日本政府によるブリーフィングが行われました。31日にわれわれの開発教育のワークショップが控えていることもあって、28日は打ち合わせや準備に一日を費やし、29日には午前中「科学技術コーカス」と「教育コーカス」に手分けして参加し、午後には国連会議場で行われたサイド・イベント "Community Action, Global Impact"(UNDP)を見学した後、NGO連絡室で行われた日本のNGO記者会見に同席しました。
記者からの質問は視点が定まらず情報収集に来ているようで、あまり専門的でもなく、NGOがレクチャーをするという印象でした。若い記者が多く、10年前のリオデジャネイロのサミットにも取材に出かけて継続してこの問題を追い続けている人はいないんだろうな、と思いました。
社民党の福島瑞穂議員が、モザンビークで放置されたままの農薬(日本からのODA)の調査を終えて、この席に来ていました。

30日にも午前中「教育コーカス」と「女性コーカス」に参加、午後ジャパン・デーのイベントで日本政府代表顧問の廣野良吉さん(成蹊大学名誉教授、JFJの日本国内の会合にもほとんど出席、われわれのワークショップにも毎回積極的に参加)がスピーチをするということでそちらにも顔を出し、ICUN(世界自然保護連合)のワークショップにも参加、そして夜はワークショップ準備。

31日の第3回ワークショップは開発教育をテーマにして、上條さんが "Putting the Global Perspective into Education" というプレゼンテーションを、中村さんが "What Is Development?" と題してブレーンストーミングとランキングを、岩崎が "Development Issues in Japan" と題して日本の開発の歴史を概観しました。
この3つを受けて、参加者全員で "What Are Your Local Resources for Learning?" というディスカッションを行いました。
「開発」という概念の多様性や南と北の視点の違いを確認することができました。開発教育が目指す内容と過程の整合性のあるワークショップはこういうところでも有効でした。さまざまな立場の人々が対等に話し合う姿は未来を感じましたし、9月2日の最終のワークショップに繋ぐべきもののヒントを得たように思いました。
第4回目のワークショップはLocal and Global Perspectiveというテーマで、大島さんの「沖縄における地域主体のプロジェクト?エコツーリズムの視点から」というケーススタディで、地域のコミュニティが持続可能な開発の中心である、地域の人々のイニシアチブが重要である、地域コミュニティとグローバリゼーションなどについてフロアーからも積極的な議論が出されました。

9月1日にはJVC南ア事務所主催のソウェト・ツアーに参加しました。
ソウェトとはSouth West Townshipの頭文字であることをはじめて知りました。ソウェトのはずれにある小さな丘で「子どもサミット」が開かれていました。
仕組まれた参加であることは否めませんが、7,8カ国の子どもによるプレゼンテーションが行われ、スコットランドの教育大臣が挨拶をし、最後にはブルントラントがTシャツ姿で現れて子どもに語りかけるのです。
英国政府の資金で行われたものと聞かされた時に頭をよぎったのは、「確かに歴史的な経緯があるが、600人とも700人とも言われる政府関係者を送り込んだ日本政府にこういった税金の使い方の発想はあるのだろうか」ということでした。
教会(といっても実は学校で、日曜日には教会になる)を訪れて力強くて美しいゴスペルを歌う人・聞く人(=反応する人)に接して、70年代初頭の米国---公民権運動を経たものの、しかしまだ "Power to the People" と訴え続けなければならなかった時代---の黒人の教会に行った時の雰囲気を想い出しました。
ソウェトの住民の多くががサミットのことを知っているわけではありませんが、サミットに期待することはと尋ねてみると、「外国の企業は南アフリカで勝手なことをしてきたから、それを何とかしてもらいたい」との返事が返ってきました。 先進国政府が扱かおうとしない多国籍企業の問題こそが、ここでの中心課題なのです。
「南アフリカは植民地から独立国への政権交代を平和的に行い、また選挙による政権交代を実現した数少ないアフリカの国のひとつであることを誇りに思っている---現政権には失望している人が多いが。」と語る人もいました。

2日は第5回目のまとめのワークショップでした。
5回のワークショップの延べ参加者数は350名を超えました。リオデジャネイロから10年経った今、改めて「リオ以降私たちの環境問題は進展したか」ということを、開発教育のワークショップでよく行われる4つのコーナー(definitely yes, probably yes, probably no, definitely noに分かれてもらう)を使って目に見える形で動いてもらったところ、2つのnoのコーナーに行った人が多数派になりました。
それぞれのコーナーの人からの意見を共有してから、では「あなたのコミュニティの中で"声を届けられていない人"は誰か」、「どのような人びとの声を分かち合っていくことが必要か」という話し合いを経て、貧困層、女性、先住民族、子どもなどのグループができましたが、興味深かったのは政治家・役人・企業人といったグループが成立したことでした。
これまで権力者とされてきた人も、人びとの意識の中ではセクターの一つとして認識されるようになってきているのは好ましいことなのでしょう。そして各グループで、「声を届けられない人とどう繋がり、どのようにしたらその声を届けられるか」という話し合いをしました。

この朝私たちはナズレックの会場の入り口で、ソウェトに暮らす女性から声をかけられていました。彼女は登録費用が払えないから、私たちにメッセージを託したいと言うのでした。
"We are willing to improve ourselves in education which will make us to survive end of the day by creating jobs for other people or ourselves."
 学ぶことに希望を託すこの女性は「私たちの教会にも来てください。」と付け加えました。これをこの最後のワークショップの中で紹介をしました。
前日の打ち合わせの中で、"unreached people"とか"those whose voices are not to be heard" というコトバが表面化した直後に、こうした出会いを経験したことは単なる偶然では済まされない大事なことであると実感しました。

  3日午前中は、まだ元気のある小栗・上條・中村の3名がサントンで日本のNGOによる政治宣言への意見書つくりに参加しました。
ヨハネスブルグにはもう一つウブントゥというサイトがあり、そこには各国政府のブースがあります。日本の外務省による「エネルギー教育」のセミナーがそこであるというので、出かけてみました。
子ども向けのワークショップということで、「あなたたちはどんなエネルギーを使っている?」という問いに答えさせて、電気エネルギーというコトバが出てきたところで「電気は大事だよね。冷蔵庫のドアを開けたままにするのはもったいないね。」「じゃ、電気はどうやって作るのかな?」と問いかけます。
ダムや火力それに原子力(南アは原子力発電を行っている)を引き出し、二酸化炭素排出量のグラフを示して「ニュークリアとソーラーとウィンドはきれいなエネルギーだね」と続きます。「だから、私たちはエネルギー源をこれからはニュークリアとソーラーとウィンドに変えていかなくてはいけないね。」というのが結論でした。
これが外務省が行う「エネルギー教育イニシアチブ」だったのです。CRIEP(電力中央研究所)のドクター・アキラ・ナガオカが先生役でした。
外務省と「教育の10年」がこういう形で結びつく可能性もあるのか、と嫌な気持ちになりました。環境エネルギー政策研究所の大林ミカさんの顔もあり、「外務省が教育イニシアチブで原発を支持するということは、ことによると東南アジアへ原発を売り込むために、先ず教育をということになりますね。
ODAがそれに使われる可能性もあるでしょう。そのための教育イニシアチブなんでしょうか。」と話をしました。「エネルギー問題と教育そしてODAを、そういう風に考えていかなくてはいけないんですかねェ。」と大林さんすこし驚いた様子でした。
「教育の10年」は実施文書にも盛り込まれ、小泉首相のスピーチの冒頭にも取り上げられました。そのスピーチの翌日に行われたセミナーで、外務省は教育の一環としてエネルギー教育を打ち出し、そこには原子力発電を推進する内容も盛り込まれました。
「教育」の名の下で、私たちの志とは異なる方向に進む危険性もあることを認識させられました。

この日、廣野さんの取り計らいもあってか、大木環境大臣が夕方15分だけだが時間を取るから部屋に来てもらいたいということでしたので、話し合いをすることになりました。
「教育の10年」を実現していくためにのタイムスケジュールは、2002年秋国連総会での報告、2003年秋までに内容のドラフトつくりとキックオフ国際会議を日本で開催、2003年秋の国連総会で事前協議、2004年国連諸機関理事会での賛同を経てアジェンダ委員会設置、2004年秋国連総会「教育の10年」共同提案・決定、2004?2014年「教育の10年」となかなかタイトです。

環境省の当面の関心は来年の国際会議にあるようで、NGOに期待するところ少なからず、と言うかNGOの協力が欲しいというのが実情のようで、事務局組織を立ち上げて欲しい、お金はつけられるから必要額を教えてもらいたい、と言うことでしたが、会議に際してどこの誰に声をかけるのがよいかリストをもらいたいというのが本音のようでした。
前日廣野さんが「NGOは基本的にはボランティアで。たとえばあなた(岩崎)が担ってくれないか。」と言っておられたので、「それ(ボランティア・ベースと岩崎が担うということ)はありえない話だ」ということを伝えておいたことへの反応だったのかもしれません。
「NGOはパペットでも公共事業の下請けでもない。企画立案からGOと対等にやっていきたい。そのためにはこれから毎月定期的に話し合いの場を持つようにしたらどうか。直前になってリストを出してくれと言われるのでは協力とはいえない。
お金は、その同じ仕事をGOがすればいくらかかるかを試算して、その額をNGOにつけるように考えてはどうか。
国連機関や政府機関の人もネットワークが必要だと言っているが、実はピラミッド型のシステムつくりに関心があるようだ。ネットワークは臨機応変にいつでもどことでも繋がれるものであるべきで、命令や指令で動かしていくものではない。」という話をしました。
その後、日本政府のブリーフィングに出て、長くて短い2週間の終わりを迎えました。
9月4日のお昼にヨハネスブルグを発ち、5日の朝香港に着き午後に大阪に戻りました。

 国連・政府の会場とNGOの会場が離れていて、お互いのコミ二ヶーションがほとんど無いままにコトがすすんでいくという、いつものパターンがまた繰り返されたなあということを強く感じました。
足場が悪いということで、NGOのサイトにはあまり大勢の人が来ていたとは思いませんでした。特に週末が近づくにつれ、金曜・土曜は人影が少なく、先生に付き添われた現地の高校生の姿が目に付きました。
そんな中で日本から「地球村」が大勢で参加し、毎日のようにワークショップを行い、会場内をパレードする姿に違和感を覚えました。

ただ10年前と違うのは、やはりコンピューターを多くの人が持つようになったということと、携帯電話(これは空港で借ります)を使って夜遅くまで情報交換ができたりして、これは大きな変化だなあと思いました。 宿泊先で同室だったメコン・ウォッチの福田さんは現地の放送局の生のインタビューを携帯電話で受けていました。
一方参加者の中には、コンピューターさえないところから来ている人もいて、会議や情報をネット上だけで終わらせないようにしてもらいたい、という強い要望も出されました。
コンピューターを使っているのは世界の人口の2%にも満たないのが実情ですから、コンピューターに頼りきるのは、まさしくunreached peopleをそのままにしておくことになります。
先進国で国際会議を開くことが「教育の10年」の国連決議に繋がるのだとするのは考え物で、本当は世界各地で少しでも多くの人の声を聞く機会を持つようにしていかなくてはいけない、と思います。
日本の政府がNGOに対して毎日ブリーティングをしました。分からないことがあってもっと詳しく知りたいという時、その場に担当者がいない場合は翌日にはその担当者がでてくるというような形をとるようにはなっていたようです。

   私たちがやったワークショップの中で気が付いたことはこの会議の名前が、『持続可能な開発に関する世界首脳会議』ということで、環境という用語ではないということです。また「教育の10年」というところで語られる言葉も、開発教育における共通言語が多かったです。
公正な社会をどうやって築いていくのか、弱い立場の人びととの関係はどうなっていくのかなど、社会的視座をじゅうぶんに持たない狭義の環境教育の枠組みしか知らない人にはなじみが薄かったかもしれません。
実は提言フォーラム環境教育分科会では「持続可能な未来のための教育」という言葉遣いをしていました。
みんなが未来のことを考えられるようにと、昨年からあえて提案してきたわけですけれど、Sustainable Developmentを「持続可能な未来」とすることに無理があります。
開発そのものが問題であるということをきちんと議論しなければならない、そして10年間国連がSustainable Developmentといってきたものを Sustainable Futureという言葉に置き換えることは作業として無理だ、という二つの点から結局 「持続可能な未来」という言葉は使われないことになりました。(パリのユネスコ本部はSustainable Futureという用語でいくことを決めているようですが・・・)
リオデジャネイロで合意された「持続可能な開発」に向けて行動をしていかなくてはならないのに、開発の問題を正面から扱っていかなくてはいけないのに、それを「教育」に矮小化してしまっても良いのだろうか、コスタリカが「国連平和年」を提唱したのには説得力があったけれども、日本が「教育の10年」を提唱する資格があるのだろうか、それに力を貸してしまっていいのだろうか。
こうした問題を覚えながら私は参加を決めたわけです。プロセスをきちんと見ておく必要があるだろう、という一定の決意を持って心を決めたのでした。9月中旬以降、東京で廣野さんとJFJの人たちが環境庁、外務省、文部科学省とそれぞれ話し合いが行っています。

JFJでの会合では呼びかけ先として、次のリストが出されました。
日本環境教育学会、開発教育協議会、国際理解教育学会、アジア女性交流研究フォーラム、シャプラニール、シャンティボランティア、日本国際ボランティア会、オイスカ、国際協力NGOセンター、関西NGO協議会、国際子ども権利センター、ユネスコ、シード、WWF、人権フォーラム21、フォスタープラン、YMCA、YWCA、PARC、野鳥の会等々あがっています。
こういうところと相談しながら今後どう進めていくのか考えていこうと言うことになるのでしょう。
また、文部科学省での話し合いには、文科省・国際課国際協力室の岡谷さんと大杉さんと廣野さん、上條さんに加えシャンティとワールドビジョンの事務局長が集まりました。特に目新しい議論は出なかったようですが、ユニセフも「教育の10年」には関心を持っている、ユネスコの「Education for All(万人にための教育)」と「教育の10年」は似ているから改めて新しい動きを作るのはどうか(それに対しては廣野さんから、ユネスコ事務局長の松浦さんも「万人のための教育」と「持続可能な開発のための教育」をドッキングさせる案を持っているらしい、ということが紹介されました。)、ということも出されました。

ヨハネスブルグにいる間に少しずつ分かってきたんですけれど、公明党が環境教育に関してきわめて熱心です。
NGOと議員の懇談の席で、私の後ろで「提言フォーラはをナズレックで毎日(ワークショップを)やっているじゃないか」と電話で話をしている方がおられたので「やってますよ」とお話をしにいきましたら、創価学会副会長の岩住さんという方でした。広中和歌子さんも「教育、しっかりお願いしますよ」と言って、名刺をくださいました。
オイスカがNGOの事務局候補にも挙げられています。そういう方向で「教育の10年」が動いてしまうと、私たちにとってはチョッとやりにくいのですが、これを日本の案として提案して、「国連の10年」としてしまうことで、政党色と一部のNGO色を消すことになるといいのに、と思っています。

  この間、思い考えてきたことは、日本のNGOのこと---NGO間の協力がとても大事だということとでした。
政府の縦割りに対して不満を持ったり文句を言ったりしてきたんですけれど、ヨハネスブルグに行って感じたのは、NGO間の合流・意見交換・意志疎通をもっと図らなければならない、せっかくの志が蛸壺の中にあるだけではもったいないなあ、ということです。
これができると政府側もNGOの働きをいっそう無視できなくなるのではないでしょうか。

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