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  新聞・雑誌など掲載記事  

≪INDEX≫
政府戦後復興支援とボランティア組織NGOの活動 ・・・・平田哲(関西NGO協議会代表理事)
「平和と国際協力」について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平田哲(関西NGO協議会顧問)
ODA使途「地球市民益」に利用を ・・・・・・・・・・・・・・・・・清家弘久(関西NGO協議会議長)


政府戦後復興支援とボランティア組織NGOの活動
平田哲(関西NGO協議会代表理事)
(「あけぼの」No.220 2003/5/10 掲載)

What’sボランティア
政府戦後復興支援とボランティア組織NGOの活動

 米国が不条理に仕掛けた戦争の後始末に、いち早く「戦後復興支援」を表明した日本政府から、復興支援の援助協力を呼びかけられた“非政府組織”NGOは「援助」と「戦争」のジレンマに苦悩している。
『人道援助』の一点からのみ見れば、政府の公的資金投入による援助であれ、 援助の手を差し伸べることを否定するものではない。しかし、NGOのあり方として果たしてこれでいいのか。
民間の善意によって活動しているボランティア組織としては、NGOの自発性・自主性を重んじ、世界の平和構築のため民間資金によって支援協力していくことの大切さ・草の根の拡大を強調する。

理不尽なイラク戦争
 どう考えても理不尽なイラク戦争。多くの罪のない子どもや一般市民を殺戮した約三週間の 戦闘が鎮まろうとしている。イラク攻撃が始まってから、イラクの市民は傷ついて、安全な水もなく、食糧もなく、医療の支援もなく、生命の危機を感じて生きている。ジュウタン爆撃で家族を失った人々のうめきは想像に絶するものがある。私たちNGOは、このような状況の下で、一日もはやく現場に飛んでいき、戦後復興に協力しなければならないとすれば、内心忸怩(じくじ)たるものがある。

政府の復興支援に協力する矛盾
 しかし、ここで私たちは、この不条理な戦争について少し考える必要がある。アメリカ、イギリスは表向き、「イラクの市民をフセイン政権の呪縛から自由に解放するため」と称してイラク国内に攻撃を仕掛けていった。しかし、本音のところはテロリストを温存するフセイン政権の打倒であり、大量破壊兵器・生物化学兵器の破棄を徹底することであった。それが絶えず「ヒューマン支援」を強調し、重要施設のみの重点爆撃といって攻撃の手を緩めることなく、罪もない、尊い人間の生命を容赦なく奪っていったのである。
世界の各地で良識ある市民は「戦争反対」の運動を起こした。イラクの首都バグダットでは攻撃の標的になる街や地域で「人間の盾」として泊まり込んでいる者もいる。アメリカ、イギリスでも「戦争反対」を唱える市民はたくさんいるのである。
日本政府・小泉首相は、日本はアメリカの安保の傘の下にあるという理由で、この戦争を支援すると強調した。だからといって戦後復興支援をいち早く表明し、立ち上げるための予算措置を行うのはいかがなものか。そのうえ、広くNGOにも協力を呼びかけてきた。「戦争反対」と言い続けてきた、民間の市民を核としたNGOが、戦後復興の支援に協力するのは、何やら皮肉で不条理なものを感じざるをえない。
 NGOは民間の人々の善意によるボランティア運動によって支えられ、構成されている。ボランティア運動は自発性・自主性を重んじ、100%政府の公的補助を受けて行なうものではない。そのうえ「戦争に賛成」した政府のお金で戦後復興のために政府の下請機関のように仕事をするのはNGOのあり方であろうか。そもそも、NGOとは「non-govermental」(非政府)を意味している。それがいつの間にか「near- govermental」(政府に近く)なってしまっているものもある。NGOは国境を越えた民衆の結束によって成立するものである。「人道援助」のため、二度と戦争をしてはならないという決意を新たにしながら市民の「人材と資金」を投入することが必要だ。

国境を越えた民衆の協力による国際援助
 国境を越えたボランティア運動は国際協力のため、世界の平和構築のために働くのである。人類が平和共存するため、地球市民として隣人の生命を大切にするため、相互扶助の役割を担っているのであって、国益のため、他国の武力行使を容認してまでするものではない。
もっともボランティア運動としてのNGOは、民間の資金によって実施することが大切である。かりにODA(政府開発援助)の委託を受けた資金助成があっても、あくまでNGOの自立性を尊び、民間の資金とのマッチングギフトで行われることが重要なのだ。労働組合も組合員の国際交流・協力活動への善意や思いを形にする活動を民間の草の根NGOと協力して、世界平和のために貢献しよう。


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「平和と国際協力」について
平田哲(関西NGO協議会顧問)
(キリスト教新聞 2002年12月7日 社説 掲載)

 21世紀に入って日本の国際協力の果たす役割はますます重要になってきている。
 私たちが国際協力を考えていく上で、まず何のための国際協力であり、誰のためにするのかしっかり 見定め、そして具体的に私たちがどのような姿勢で関っていったらよいのか、何を国際協力の内容と していったらよいのかを考えてみなければならない。

 国際協力の究極的目標は、人類が地球的規模で「平和共存」することである。
 2002年版の「世界の子供白書」は、1989年に子どもの権利条約が国連総会で採択されたが、過去 0年間で貧困の深刻化、紛争や暴力の拡大のほか、女性と子どもに対する差別も根強く残っていると指摘。「20世紀はビジョンや勇気を欠いた怠慢の時代だった」としている。
 白書は今の状況を「宣戦布告のない戦争」と呼び、「世界各国の指導者のリーダーシップが必要だ」 と訴えている。しかし、特定の国の強力なリーダーシップに追随するのは危険である。また、この 10年間に武力闘争で200万人以上の子どもが死亡、600万人以上が負傷したと述べ、対人地雷で毎年多 くの子どもたちが犠牲になったことも報告している。さらに昨年のアメリカ同時多発テロ事件勃発 以降、100万人以上の子どもと女性が死傷している。

 ノーベル平和賞を受賞した南アフリカのデズモド・ツツ主教が、平和について常々語っている こととは、南アフリカに見られた人種差別の撤廃はもちろんのことだったが、それに併せて 「世界が本当に平和といえるのは、単に戦争がない状態だけを指すのではなく、世界のどこに いても人々が安心して生活が出来るだけの食料、医療教育が得られる状態で初めてそう言える」 と力説している。
 今日のように南北格差がますます拡がる中で、私たち先進国の人間は、死に瀕している多くの 人々のためにどうすべきなのか、まず個人的には私どもの生活スタイルから見直し、改めていか なければならない。

 日本の国際化は、これまで欧米重視の考えが先行して、あまりアジアやアフリカの方を向いて いなかった。ところが、最近ようやく各地で国際交流から国際協力へと力を入れるようになり、 途上国の人々と共に生きるというかたちでの国際協力がNGO(日政府組織)を中心に活発に押し 推められるようになってきた。
 そのような中で、貧しいが故に人間らしく生きられない人々に対して、どのような手助けが出 来るのだろうか。人間らしく生きるための5原則、食糧、医療、水、教育、住環境の面から効果 的な国際協力を、民間NGOが協力し合って、顔と顔の見える現地NGOの強化のために働く必要がある。

 途上国の人々が、本当に必要としている援助とは、日本人の価値観から考えられた援助ではない。 一人ひとりの命を大切にする温かな心や、身近で苦しんでいる人の痛みを共感し思いやりを大切にし ていくことによって、人類全てが心の安定と平和が得られるのである。

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ODA使途「地球市民益」に利用を
清家弘久(関西NGO協議会議長)
(毎日新聞 2002年7月20日(土)朝刊 あっとおおさか 掲載)

 ODAは「政府開発援助」と訳されているが、OはOfficial(公の)で、その金は「公的資金」だ。95〜96年に住宅金融専門会社(住専)処理案が問題となった時、6850億円の公的資金投入が議論を呼んだ。多くの市民が公的資金、つまり税金の使い道に関心を持った。ODAも「公的資金による途上国への開発支援」と訳せば、市民はもっと関心を持つのではないだろうか。

 ODAは「どの国にどれだけ支援をするかの基準が不透明」と言われる。私も公開されている00年の資料を基に、支援される国の国民1人あたりの額を調べた。
 1j=120円で換算すると、オセアニアのある国へは何と14万円以上を投入している。この国の1人当たりGDPは決して低くない。オセアニアには他にも1人あたりのODAが多額にのぼる国がある。 一方、中国は1人あたり73円。なぜ、公的資金が特定の国に偏って投入されるのか。

 国連で日本の味方になってくれる国を増やすためにODAが使われているのではないか、との疑念が沸く。しかし、本来は「地球市民益」として、世界中の一人一人が自立できるように使われるべきお金だ。ODAの目的は日本の国益ではないはずだ。

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