| 一人娘を保育所に預け、パート事務員として鉄工所に通っていました。 住まいは団地。人見知りするほうなので、自分から近所の人に話しかけて お友達を作るってコトが苦手で、仕事先が唯一自分を出せる場所でした。 仕事に出たら家のことを忘れて楽しく過ごしていましたが、家に帰ると 子供の世話、家事にヘトヘトになり、金曜の夜はいつも娘を抱いてコタツに 座り、コックリコックリしながらダンナの帰りを待っていたのでした。 |
| 保育所にも慣れ、そろそろ同じクラスのお母さん達と顔見知りになりだした ころ、現販売所の所長(当時はリーダーだったらしい)に、エステせーへん? と、悪魔のささやきを受けました。当時は違うお化粧品を使っていたし、家計も 逼迫していたので、ナリスに変えることは到底不可能でした。 でも、一回ぐらいしてもらったらいいか〜って思い、家に来てもらいました。 一緒に来てくれたのは、面識はないけれど、ダンナの会社の先輩の奥様という人。 粗相があってはいけない。。ととても緊張したのを覚えています。 う〜ん。。。う〜ん。。。何度思い出しても、そのときにエステしてもらったか どうかはまったく覚えてないんです((*_ _)人ゴメンナサイ) 覚えているのは、当時主流だったというビオクイーンの3点を目の前に置かれ どれにする?という問いかけ。ここで断って、ダンナが辛い立場になってもなぁ。。 これから、このお母さんとも一緒の保育所に通わないといけないしなぁ。。でも、 私の小遣いなんて無いしなぁ。。。と、汗まみれになりました。 んじゃ〜と、清水の舞台ならぬ、団地の窓から飛び降りる気持ちで選んだのが 老化角質(アカ)が落とせるというオールパーパスでした。毎日ガーゼにつく老化 角質の茶色い色に、なんとなく満足しながら使い始めました。 そのときに、お友達に紹介してくれたら割引になるよ、と教えてもらい安く買いたい 一心で会社の友達に紹介しました。 今思うと、それがそれがナリスの販売員としての第一歩でした。 そして、第二子の妊娠。妊娠8ヶ月で、通称「六甲研修」という一泊二日の研修センターでのお勉強に出席。当時、観光バスに揺られ暑い最中(8月末)よく行ったなと思います。 生まれる1ヶ月前までパートの仕事を続け、出産を機に退職 でも、家にじっとしていることができない私。せっせと所長の家に通い、話し込んで 毎日を過ごしました。今思うとすごい迷惑だったかもね〜〜〜。 |
