一人娘を保育所に預け、パート事務員として鉄工所に通っていました。
住まいは団地。人見知りするほうなので、自分から近所の人に話しかけて
お友達を作るってコトが苦手で、仕事先が唯一自分を出せる場所でした。
仕事に出たら家のことを忘れて楽しく過ごしていましたが、家に帰ると
子供の世話、家事にヘトヘトになり、金曜の夜はいつも娘を抱いてコタツに
座り、コックリコックリしながらダンナの帰りを待っていたのでした。
思い出し、思い出し、ナリスの足跡をここに残したいと思います。
気が向いたら、ああ、なあこって、こんな人なんだなぁと読んでください。
苦労。。。したのかもしれません。
でも一生懸命に毎日を過ごしてきました。
こんな私ですが、一緒に仕事してもいいかな〜って思ってくれる人が現れることを願って。。。
そして、ナリスっていいなぁ〜って感じてくれる人が一人でも増えてくれたらいいなって思います。。
1990年頃。。。ナリスに出会う前〜
1992年頃 ナリスに出会った 〜 ナリスの販売員への道
保育所にも慣れ、そろそろ同じクラスのお母さん達と顔見知りになりだした
ころ、現販売所の所長(当時はリーダーだったらしい)に、エステせーへん?
と、悪魔のささやきを受けました。当時は違うお化粧品を使っていたし、家計も
逼迫していたので、ナリスに変えることは到底不可能でした。
でも、一回ぐらいしてもらったらいいか〜って思い、家に来てもらいました。
一緒に来てくれたのは、面識はないけれど、ダンナの会社の先輩の奥様という人。
粗相があってはいけない。。ととても緊張したのを覚えています。
う〜ん。。。う〜ん。。。何度思い出しても、そのときにエステしてもらったか
どうかはまったく覚えてないんです((*_ _)人ゴメンナサイ)
覚えているのは、当時主流だったというビオクイーンの3点を目の前に置かれ
どれにする?という問いかけ。ここで断って、ダンナが辛い立場になってもなぁ。。
これから、このお母さんとも一緒の保育所に通わないといけないしなぁ。。でも、
私の小遣いなんて無いしなぁ。。。と、汗まみれになりました。
んじゃ〜と、清水の舞台ならぬ、団地の窓から飛び降りる気持ちで選んだのが
老化角質(アカ)が落とせるというオールパーパスでした。毎日ガーゼにつく老化
角質の茶色い色に、なんとなく満足しながら使い始めました。
そのときに、お友達に紹介してくれたら割引になるよ、と教えてもらい安く買いたい
一心で会社の友達に紹介しました。
今思うと、それがそれがナリスの販売員としての第一歩でした。
そして、第二子の妊娠。妊娠8ヶ月で、通称「六甲研修」という一泊二日の研修センターでのお勉強に出席。当時、観光バスに揺られ暑い最中(8月末)よく行ったなと思います。
生まれる1ヶ月前までパートの仕事を続け、出産を機に退職
でも、家にじっとしていることができない私。せっせと所長の家に通い、話し込んで
毎日を過ごしました。今思うとすごい迷惑だったかもね〜〜〜。