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プリシュティナ
コソボの首都。ここには泊らずにバスを乗り換えただけなので写真はこれだけ。
プリツレン
コソボ唯一の観光地。中世セルビアの首都でモスクや教会がある古い町。雨が降っていたにもかかわらず、コソボ人観光客で異常なほど賑わっていた。
プリツレン
立ち入り禁止になっている建物も多い。ここは教会なんだけどNATO軍の武器庫として使われていた。
プリツレン
この町にはトルコ人とドイツ人の部隊が駐屯していて、このトルコ人青年兵もその一人。挨拶したら気軽に写真を撮らせてくれた。
プリツレン
無邪気で人懐っこい子供たち。
コソボの現状
1999年以来、国連軍(UNMIK)の管理下にあり、セルビア側の支配からは離れている。
マケドニアやモンテネグロとの国境も国連軍によって管理されていた。
国内の治安維持は主にKFOR(Kosovo Force、NATOの派遣軍)が担当している模様。
セルビアにとってコソボはまだセルビア国内の一地方扱いであるため双方の間には国境が設置されておらず、バスで簡単に行き来できるらしい。
ただコソボ側からそれをやるとセルビアに入ってから不法入国扱いされるという(モンテネグロからも同様)。
合法的にセルビアに入るためには一度マケドニアに戻ってブルガリア経由で迂回しなければならない。
もしくはモンテネグロ→ボスニア経由という手もある。
コソボ⇔モンテネグロ間は問題なく国境越えができた。
ちなみに通貨はユーロが使われていて、セルビアのディナールはすでに通用しない。
切手も独自のものを発行していた。
国内をバスで移動していると時々墓地が見える。
どの墓もまだ新しいようで花が捧げられているものも多い。
故人の生前の姿を掘り込んであるものもあり、若い兵士の姿が多かった。
道路標識などで町の名前コソボ語(アルバニア語)とセルビア語の2ヶ国語表記になっているが、ほとんどの場合でそのどちらかがスプレーでかき消されていた。
つまりアルバニア系の町ではセルビア語で書かれた町の名前が消され、セルビア系の町ではその反対にコソボ語の名前が消されている、という具合にだ。
中には両方とも消されていて読み取れないものもあった。
今では別々に離れた居住区に暮らすようになっているとはいえ、お互いの憎しみはそう簡単には消え去らないものと思える。
コソボ解放軍(KLA)のプロパガンダもそこかしこに見かけた。
まだ活動しているのだろうか?
部外者の俺なんかには簡単には窺い知れないほど傷跡は深いようで、年配の人たちは心なしか笑顔が少なかった気がする。
それでも子供たちの姿は無邪気そのものだった。
内戦で両親を失った子も多いだろうに。
町も想像した以上に活気付いていた。
彼らの姿にコソボの明るい未来を垣間見た気がする。
国連の車(モンテネグロとの国境)
≪マケドニア
モンテネグロ≫
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