Sunshine Sandiego & Dayton HAMVENTION 2005
サンディエゴの太陽とデイトンハムベンション2005

15th~23th May. 2005 


この時期になると心はDayton!
チョットその前に太陽輝くSandiegoに寄り道しました。

メキシコに近く、町ではスペイン語も飛び交うひと味違ったアメリカです。

(ja1cvf 0506)

Sandiegoの旅は突然にやってきました。

正月に開かれたクラス会で、 久しぶりの話が進む中Daytonへ行こうと急に話がまとまりました。
さらに話はふくらみ太陽輝くSandiegoにも行きたい。
Sandiegoは同行のja1ebw 長谷川さんの思い出の地でもあります。

乗り継ぎのロスアンゼルス空港でくつろぐja1ebw 長谷川さん

最近ではおもちゃのように見える小さなプロペラの飛行機でSandiegoに到着です。

こんな小さな飛行機でSandieg空港に到着(ja1ebw撮影)

暑い日差しでもカラッとした最高の天気です。ja1ebwは昔取った杵柄とレンタカ−で町へ繰り出しました。 とは云っても彼が居たのは30年も前、変貌する町の様子にとまどいがち!
やがて勘を取り戻し、町から少し外れた静かなホテルに到着しました。
Sandiegoはあまり大きな町ではありません。観光客の集まるリゾート地の要素をそこかしこに蓄えております。
綺麗な町並みと景色を堪能するために”のんびり”が似合う町です。

細い木を串刺しにしてヒネッテあるんだ!
カエルがピョンピョンはねるのか!
モノ作りの心をくすぐるおみやげ屋さんのディスプレー。
一日中遊んでいたい衝動に駆られます。

オールドタウンのおみやげ屋さんには自分で作ってみたくなる動くおもちゃがいっぱいありました。
店先で作りながら売ってるお店もあります。

開拓時代?に建てられた灯台
巨大なフレネルレンズの中には石油ランプが

ランプを灯した灯台です。岬の灯台は厳しい自然から船舶を守る仕事です。 しかし厳しさに勝つための仕掛けは同じ時代の日本とは大違いです。天水を貯める貯水槽があったり、畑を作ったり。
あまり広くはない室内ですが大きなベットもあり、灯台守のつらくて危険な仕事の中にも生活の優雅ささえ感じる立派なしつらえです。

Sandiegoにはアメリカでは珍しい有料道路があると云うので行ってみることにしました。
しかし既に無料開放されそれを見ることは叶いませんでした。
その無料道路を渡ったコロナドアイランドにあるホテルコロナド・豪華さと荘厳さはすばらしいモノです。 一泊いくらなんでしょう。残念ながら私のガイドブックには出ていません。せめてもの思い出にラウンジで一休み!
ホテルを出てさらに南下して国境近くまで行きましたが今回は越境することはせずUターンしました。
最近アメリカの入国管理は異常にうるさく、再入国のトラブルを避けるためメキシコの旅はしませんでした。

古き良き時代を引き継ぐコロナドホテル・この次にはこんなところに泊まりたいなあ!
思い出のためにラウンジで一休み!

町の北西の岬ラホヤ(LaJolla)がすばらしいと云うので行ってみました。
切り立った海岸にあつまる鳥やアザラシたちそして若者たちも。 少しだけある砂浜はアザラシ優先、アザラシが浜に上がりたい時は人間は遠慮する。何ともほほえましい海岸です。

LaJollaの海に面した公園です。

海に目を向ければ野鳥の楽園

ペリカンやアザラシの親子もやってきます。

アザラシの海岸には人は誰も入りません。ただ一人コーストガードが退屈そうに”アザラシ上陸中・立ち入り禁止”の看板を持って座っていました。

お昼には本場の”アボガド入りカリフォルニアロール”を頂きました。(ja1ebw撮影)

アメリカの食事は大きすぎて困ります。何を食べようかヨットハーバを歩いていたら地元のオバチャンがアサリを数えて買っていました。
他の客は魚やエビを選んで好みに料理して貰っています。土地の人が買ってるならハズレ無い。”本場カリフォルニアロール”は量もちょうど良く(アメリカ人には物足りない)久々に「旨かった」


デイトンのHAMVENTIONは今年75回記念です。
見るのに夢中で写真はほとんどありません!

いよいよDaytonへ

Daytonは気象の激しいところです。
到着したらなにを着るか考えておくのが賢明です。5月の半ば過ぎ・・・・北緯39度位、日本で云えば秋田市のチョット南に位置します。
それなら、半袖シャツか!・・・・それはチョット疑問です。
とりあえず、半袖シャツを着て、手荷物に長袖のウインドブレーカを入れました。
これなら寒さや、少々の雨でもOKです。
毎年、日本からのお客さんは現地でセータを買ったり、Tシャツを買ったり、カッパを買ったり、暑い日寒い日、何でも有りの大変な土地柄です。
そんな土地柄ゆえに、この時期の夕方便は遅れるのが当たり前!のようです。
私がまともに着いたのは一度だけ。ひどい時は翌日到着なんてコトもありました。
今年はSandiegoから夜行便で朝到着です。朝なら雷様もまだお休みでしょう。
しかし乗り継ぎのChicagoに近づいた時なんだか外が騒がしいのです。エンジンの音を押さえて”太鼓”の音が響き渡っています。夜更かしのトラのパンツをはいた”雷様”がまだ遊んでいたんです。
それでもDaytonに着く頃には、さすがの夜更かし雷様も疲れて眠ったようです。ピーカンの上天気になりました。とその時は思ったのです。
ちなみに午後便で来たja1fuyさんは雷様の大歓迎を受け2時間ほど延着でした。

今日は木曜日、HAMVENTIONは明日からです。
朝の到着ですから時間に余裕があります。定番の空軍博物館へ寄り道です。
チョット道を間違えなからも無事到着と云いたいのですが、先ほどのウインドブレーカでは間に合わない土砂降りの雨です。
雨の大歓迎を受けDaytonに来たことを改めて実感しました。
アクロバット飛行の映画を見て食事をして、夜はwell come partyへ出かけたのですが、遠足前の子供と同じ。

明日は起きられるのかしら!
明日は早起きして会場のHra Arenaへ向かいます。
この期間、田舎町では珍しい道路に渋滞や駐車場の大混雑が起きるのです。

開場までまだ1時間以上もあるんですが!
east entranceは入場待ちで大混雑です。それでは全体の様子を見ようとフリーマーケット(flea market)の方へ行ってみました。
なんと入場させて居るではありませんか!メイン会場はまだだけど外だけOK!と云ってます。と云うわけでフリーマーケットから入場してしまいました。

これが大間違いでとうとうフリマの虜になってしまいました。写真も撮らずフリーマーケット完全制覇を成し遂げ、ja1ebwには愛想を尽かされメイン会場もほとんど見ずに、翌日も買い忘れたモノを買うために再びフリーマーケットへ!
フリーマーケット三昧のDaytonでした。

こんなモノ買うと重いんです。わかっちゃーいるんですけど安さに・・・・・(ja1ebw撮影)

IcomのIC-7000発表を見てパンフレット片手に品定めや、スタッフを捕まえて質問したり・・・、なかなかそばに近づけません。(ja1ebw撮影)
この写真はja1ebwさんが撮影しました。
私は写真のことなど忘れて完全にフリマの虜になってしまいました。
相棒のja1ebwもあきれてました。

*Dayton情報は【Qtc-Japan】をご覧下さい!
詳細がレポートされています。


良くできてる交通システム
アメリカでレンタカに乗って初めて判ったこと。

アメリカで車がないと移動が大変です。
もちろんタクシーは日本より安いですから気軽に使えます。(雲助タクシーもありますが)
私はあまりレンタカーを使ったことがありません。それは交通の常識が判らないからです。 しかし今回友人にアメリカの交通システムのすばらしさを吹き込まれただ感心するばかりです。
勿論このすばらしい方法がすぐ日本で使えるかは疑問ですが!

SandiegoもDaytonも大都市でないせいもあってか交通マナーはすばらしく良い町です。
これには違反や事故の責任がはっきりしているコトの他に絶妙な交通システムにあるように思いました。
つまり、ズルをしたり、割り込みしても得にならないような仕組みがあるように思ったのです。

アメリカの道路は車優先です。
人が歩くように出来ているのはダウンタウン(市街地)だけと思っても良いでしょう。 実際に歩いてる人はほとんどいません。 ダウンタウンだけが特別な場所といえます。 ほとんどの場合、横断歩道は歩行者用の押しボタンを押さないと青(白・おじさんが歩いてる絵)になりません。 その青(白)の時間は短くすぐ赤の点滅になります。
私は最初駆け足で渡りました。でもその必要はなかったのです。青の間に渡り始めれば点滅中に渡りきることが出来ます。
日本のように青で渡り始めても黄色が短く渡りきれないことがある・そんな事態にならない青と赤点滅(日本なら黄色?) の考え方が違うのです。
勿論信号のない交差点もあります。待っていれば車は確実に止まってくれます。

車は右側通行です。
これには面食らいます。 交差点にはいる時は日本とは逆に”左見て右を見る”これを体が覚えないとキョロキョロするだけで交差点に入るタイミングを失います。 どうしてももたつきます。
でも日本のように後ろから追い立てられることはまずありません。

右折(日本の左折)はほとんどに場合信号が赤でも右折できます。
でもたまに”NO RIGHT TURN ON RED”なんて云うのが英語!で書いてあります。 そういう道は右折した時左から来た車と同じレーンになってしまうため(道が狭い)制限するようです。

左折(日本の右折)は矢印がでれば直進より先に左折します。
左折車がなくなればすぐ直進のみに変わります。 それだけ直進が多く信号を通過できます。

この辺まではなるほどそうかと思うだけですが、信号の変わり方を見ていると大きな違いに気が付きます。
信号の切り替えは日本のような時間によるモノではなく信号を通過しようとする車のあるなしで決まるのです。 1台も左折車がなければ左折の矢印はでません。すぐ直進車が走り出し次のサイクルまで待たなければ左折が出来ません。 もし直進車もいなければすぐ赤になって横方向がわに切り替わります。
数珠繋ぎになってしまう日本のような場合はどうなるのか判りません。 だから日本では出来ないのか?日本でも地方都市なら可能だと思いますし研究の余地があると思います。
とは云ってもアメリカだって渋滞がありますし踏切もあります。 しかし踏切の一時停止はありません。踏切と道路の信号が連動しています。

なぜこの方式がよいと思うのか!
このようにすると直進の時間を長くとれるコトは先に書いたとおりですが実はもっと優れた効用があったのです。
日本では黄色の進入車が問題になって全方向赤になったりしますが それは交差点の通行可能時間が短くなるので混雑を助長することになります。
アメリカ方式の場合前の車との間が開いてしまうとすぐ赤になってしまいますから”まだ青だから突っ走れ” とやっても間に合わないのです。
また、うっかり交差点の中で止まってしまうといつまで待っても自分の番が来ません。 チャンと交差点の手前で止まらなければなりません。つまりマナーを守らないと自分が損することになります。
この方式はいつから使われているかは確認していませんが30年ほど前には既に使われていたと云うことです。
この方式、云われてみるまで気が付きませんでした。そのはずです・自分が交差点の前に止まるとすぐに青になるのですから。
日本でも是非研究して貰いたい信号システムだと感心しました。

まあ、そうは云ってもマナーの悪い人もいますので安全に心がけなければならないのは云うまでもありません。

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