アマチュア無線・半世紀   ja1cvf・50年

【2009 05】

【 2009年は記念すべき年なんです 】

1959年11月にアマチュア無線局を開局して50年。
実に半世紀を楽しませて貰ったアマチュア無線、私の人生に少なからず影響を受けています。

私がアマチュア無線を知ったのは、中学生の頃でしょうか。

雑誌に、「アマチュア無線再開」*の文字を見たのです。私には戦中の暗い出来事を理解することはおろか再開の意味もよく判らず「免許を取れば自分の無線局をもてる」そのことだけが記憶にとどまりました。
いつか免許を取って自分もやってみたい。
しかし、どんなことを勉強すれば良いのか何も判らない状態が続き、雑誌の記事を読みあさり、それでも放送用のラジオではなく短波のアマチュア無線を受信できる名ばかりの 通信型受信機 を作っていました。
2級アマチュア無線技士の試験問題は入門とは云えとても刃が立たず挫折を感じて気がつけば高校生でした。

昭和34年(1959年)ハードルを低くして高校生でも試験に合格できるレベルの電話級アマチュア無線技士が創設され最初の試験を受けました。

運良く、合格!
学校の仲間5人が合格しました。

開局手続き
コレは結構面倒でした。
アマチュア無線局免許申請には今では聴いたこともない「禁治産者ではない身分証明」が必要で区役所へ貰いに行きました。
予備免許、落成検査を経てアマチュア無線局の運用ができるようになります。
私の場合昭和34年6月10日に申請し、予備免許が落成期限9月20日を指定され7月15日付けで下りました。

予備免許には
工事落成期限、電波形式 周波数、空中線電力、呼出符号、運用許容時間の五項目が指定されました。
落成期限に工事が間に合わず、一月遅れの10月21日に合格しました。
検査には郵政技官、郵政事務官が測定器等を持ち込み来宅し1時間程の検査を受けました。
特に印象的だったのはVFOのダイヤル校正*をして貰ったことです。
その頃既に移動局*に対しては持ち込み検査が認められ電波監理局に無線設備を持ち込み検査をするのが一般的になりました。
私の場合、移動局の免許を受けたのですが小型に作ることができず持ち込むことができませんでした。

*アマチュア無線再開・敗戦のため占領軍により禁止されていたアマチュア無線禁止が解除されたのは昭和27年(1952年)3月11日
*VFO(可変周波発振器)のダイヤル校正
アマチュア無線局の周波数は0.025%以内の誤差でその周波数を確認できなければなりません。小電力局は水晶発振器を備えていれば周波数測定器は必要なかったと記憶しています。
周波数測定器は備えてないので検査に使った測定器でVFOのダイヤルメモリを校正しその後は水晶発振器と比較校正して周波数を読み取ります。
検査官も親切でした。
*移動局
移動する無線局と移動しない固定局があります。
移動局は移動手段の規定はなく大きな無線機をトラックで運んでも良いのですが一つの筐体、棚などに入れてあればOKと云うことでした。
私の無線機は小さく作る技術はなくバラバラに作った物で木製の本棚みたいな物を作ったそれに入れていました。一つの筐体・とても移動できる代物ではありませんでしたがお咎め無しに合格しました。


無線局免許申請書


予備免許状
友人はもっと立派な予備免許状を貰っています。
本免許は紛失(返納?)してしまいました。


開局当時使っていた水晶振動子


開局前のSWL時代・SWLカード


開局当時のQSLカード


その後作ったお気に入りのQSLカード
このイラストは有名化粧品会社の広告用ですが
本社まで出向いて使用許可を貰いました。


開局当時は6ヶ月毎の業務報告義務がありました。

*当時の記憶に基づいて掲載していますが記憶違いについてはお許し下さい。

【 Xtal(クリスタル・水晶振動子)研磨 】

私が開局した時は電話級アマチュア無線技士の創設でアマチュア無線局が猛烈にふくれあがった時代です。
Xtalは安くなったとはいえとても高価でした。

偶然見つけた当時の広告
標準的なFT-243は1個800円の値段が付いています。送料は10円、都内は1000円以上買えば無料配達と記載されています。
国鉄(現JR)の初乗りは10円、ラーメンは40〜50円の時代です。

たくさんあったジャンクのFT-243はアマチュアバンドで使えるものは急に姿を消しました。他の型式でも見つけられれば「ラッキー」と喜んだ物です。

Xtalは水晶の圧電現象による振動をを利用したモノです。周波数はその厚さにより決まります。*振動モードにより違うモノがあります。
つまり厚いモノを薄くすれば発信周波数を高くすることができます。
メーカでも適当な厚さにしたモノをストックしておき注文に合わせて研磨して出荷するのです。

ジャンクやさんの店先にはアマチュアバンドからはずれたXtal数10円で売られていたと記憶しています。
低めのモノを磨いて希望の周波数に合わせれば良いのです。
事実特価品のXtalはこの様な再生品がありました。
雑誌にもその業が発表されたりしていました。
もちろん私もやってみました。
結構旨く行きます。ただし100kc(kHz)位高くするのが限度。手作業の研磨は水晶の平衡度が悪くなり発振しなくなります。
ノギスやマイクロメータなんて見たこともない高校生です。

ジャンクの水晶は色々ありましたがFT-243型が一番人気です。3本のネジを外せばすぐに分解できます。

ガラス板などの平板に金剛砂を撒きその上に水晶片を置いて軽く指先で押さえ8の字を書くように動かし研磨します。平衡度が狂わないように慎重に作業しますが次第に偏摩耗して発振しなくなります。
この作業は片面のみ研磨することが重要です。手作業では結晶軸の狂いや偏摩耗を測定できません。
片面は正確な面として残しておくのがコツでそれに気がつくまでいくつも壊してしまいました。
マイクロメータが有れば多少の偏摩耗は修正できると思います。

周波数が高くなり過ぎた!
コレは失敗です。機械振動ですから薄いモノは周波数が高いのです。
高くなりすぎたのは薄くなりすぎたのですから直しようがないのです。
「赤チン(傷薬)を隅にチョット塗ると2〜3kc下げることができる」そんな情報が入りました。
確かに下がります。塗りすぎると発振しなくなりますが!
コレは具合が良いとお呪いのように得意になってやりました。

今この様に水晶片に不純物が付いた場合の周波数変化を利用して膜厚さセンサとして実用化されています。
もっとキッチリ、データを取りながらやれば特許が取れたかも知れません。
私の悪い癖・実験のデータをしっかり記録しないコト!

 


画像をクリックすると大きな画像が見られます

急増したアマチュア無線家に送られたDM 

都内無料配達の文字、中央部分にはUSA水晶(ジャンク)再生品の特価販売をアピールする記述も見えます。
コレで秋葉原の店頭からジャンクの水晶が消えたのでしょうか。

【 UY307A  】

こんな名前の真空管ご存じですか?
えっ! 807 じゃあ無いですよ!

開局まもなくの頃ですが、当時807は1000円くらいの高値でした。
お値段が高いの安いの・いつもお値段の話で済みません。お小遣いが厳しい高校生の頃の話でお許し下さい。

形は807とそっくりで、どう見ても807と同じように使えそうです。
気になるお値段は何と 100円 ! (確か100円程度でした)
「コレ下さい」
「それヒータが 5.5V だからネ 気を付けてネ」
「えっ それで安いのか」
一瞬手を引っ込めたんですが、好奇心の魔力に負けて買ってしまいました。

807は ビーム管 
307は 5極管 ヒータは5.5V直熱管 でした。

私の送信機、ご多分に漏れず電源も余裕がありません。ヒータ電圧もチョット低めだからと、試しに挿してみたところうまく行くじゃないですか。
くたびれた807より元気が良いです。
万一ヒータが切れても安いんだから!

【 内緒の話 】

807のA3送信機(能率60%)は変調機(プレートスクリーン同時)の電力が大変です。変調機にも同じだけあるいはそれ以上の電力が必要になります。
307は5極管ですからサプレッサグリッド(g3)が外部から使えます。と云うことはg3に変調を掛ければ変調機の電力はほとんど必要有りません。g3変調の送信機は能率30%
この変調機用の電力を送信機に廻すコトができます。
真空管の送信機を使ったことがない人にはよく判らないと思いますが10W出力を出すために
どのように電力を使うかという話です。
807(psg-mod):16X06(+16変調電力)=10W(出力)
307(g3-mod):33X0.3(+0.1変調電力)=10W
どちらも免許上は同じ10Wです。
しかし307(g3-mod)の場合は電源に余裕が出ますので深い変調が可能となります。
*余裕有る電源を使った場合は差がないことになります。
変調が深いと相手には大きい声で聞こえます。(過変調はいけません)

この安い307を2本並べて余裕の入力33W! 快適でした。 
ホントは2本並べなくても良かったのですが2本並べるともっと良いことがあったのです私も若かったんです。

  6146/真空管のエージング 】

学校の近くに非鉄金属のクズ屋さんがありました。
いろんな機械や細かい部品などを解体して金属の種類毎に仕分けして金属原料をリサイクルする業者です。

よく見れば、無線機、真空管、トランジスタ、電線、等々、クズなんてとんでもないことです。
私の目には宝の山に見えました。
最初はおそるおそる「コレ譲ってもらえませんか」
馴れてくると
「コレ欲しいんだけど」
「ああ!くれてやるからその代わり2〜3時間手伝えや」
とうとう学校行くよりクズ屋入り浸りの時間が多くなってしまいました。

お陰様で材料の色を見れば銅だ、真鍮だ、ニッケルだ、金だ、銀だ、タングステンだ、とすぐに見分けが付くようになりました。 素材の性質も判ってくるから不思議です。

真空管なんか欲しいモノがごろごろしています。でも使えないかも知れません。
「オヤジさん! コレ欲しいんだけど持って帰って試してみても良いかなあ。ウチの球ボケテルんで」
「そうか、じゃあ取り替えてやるからボケテルの持ってこい。でもチャント割って中身出すんだぞ」
ラッキー 真空管の物々交換です。
おじさんは、タングステンやニッケルを回収できれば良いのでそれでも良かったのです。

このオヤジさんとは学校卒業後もしばらく行き来していましたがいつのまにか疎遠になってしまいました。
お手伝いするより貰うモノの方が多くても、親切にしていただきました。
電気材料は学校で勉強するよりここで勉強した方が役に立つとよく言われました。
私にとって確かに役立ったと思います。

ここに出てくる話は遙か昔の回想です。間違いや思い違いが有ってもお許し下さい。
ある日、当時大人気の6146によく似た真空管の箱詰めがありました。
中古品でも一本数千円もします。
電極の色、構造から判断すると6146に間違い有りません。それも新品です。しかしその真空管にはメーカ名はもちろんネームの記載がありません。そしてベースもプレートキャップも付いていません。そのためかたむろしている他の仲間も手を付けなかったのでしょう。
そして、いつものように「コレ試してみたいんだけど」
「ああ、その分仕事シロや」

わくわくして持ち帰りベースを付けてプレートキャップを嵌めて。
もちろんベースやキャップは他の球から外したモノですがそんな材料はいくらでもあります。
ドキドキしながら電源を入れたのですがほとんど電流が流れません。
「ダメか」と一時は諦めたのですが、その時ひらめいたのが真空管のエージングです。
真空管工学の本に組み立て排気(真空にする)後にエージングという作業をする・と書いてあったのを思い出しました。

エージングの具体的な方法なんてメーカのノウハウ、学校の本に書いてあるはずはありません。
真空引きした後、電極が加熱されると電極からガスが発生しそのガスをゲッターで吸着して真空度を上げ安定に動作させるため。その一行を何回も読み返しやってみたことは、ヒータ電圧を2割程高めに設定し、他の電極は一纏め・2極管のように接続、低めの電圧を掛け様子を見ました。
30分程経ったらプレート電流がだんだん増加してきます1〜2時間経ったでしょうか充分流れるようになりました。
接続を普通に戻し(送信機に入れて)試したら凄く元気の良い真空管になっています。
嬉しくなって仲間に話したらみんなむしり取るように持って行きあっという間になくなりました。

【 免許切れ 】

結婚して間もない頃、無線仲間のつきあいも昔と変わらずだったのですが何となく無線の免許が切れました。
再免許申請すれば良かったのですが何となくそのままにしていました。

そんなとき、無線雑誌・モービルハム から原稿依頼が来ました。
創刊号の原稿であり気合いを入れて書いたつもりです。

そんなとき、カミさんに言われました。
「無線の免許取らないの」「本に書くなら免許有った方が良いんじゃない」
そりゃそうだ再び昔のコールサインを貰って再開しました。
そしてもう一言、「無線連盟の会費毎年払うの大変だし、どうせずっとやるなら終身会員になれば」

5万?千円だか・・・出して貰いました。当時の生活費から考えれば結構な大金。感謝してます。

それから今まで免許を切らすことなくアマチュア無線を楽しんでます。

【 物づくりの原点 】

出会いの話にも書いてありますが、子供の頃のラジオ造りが高じて物づくりを楽しむコトが出来ました。

物づくりのなかでHAMがとても大きなウエイトを占めています。
私がHAMをはじめた時、すべてを自分で作らなければならなかったコトがその原因でしょう。
直接関係する無線機はもちろん、それらをローかの隅に並べるための机や棚。コンセントを付けたり、電気スタンドを付けたり、アンテナを引きこんだり、寒い冬のためにカーテンを引いたり。
お金のない高校生ですから何かを買って貰うのも大変、電話して電気屋さん呼んでなんてことは出来ません。
自分で出来ること、いや、出来ないことは仲間に助けて貰ってやるのが常識でした。

電気のコンセントを付けるのは電気工事士の資格が必要。それは知ってましたが結構いい加減にこなしました。
コレはけしてお勧めできることではありません。
どこまでが良くて、どこからが違法か調べたりしました。
そんなことより、自分で合法的にやるなら資格を取ればよい。
でも、当時の電気工事士は配管工事や碍子引き工事があって簡単ではありません。
配管工事の道具はそれだけでも大変なことです。
そんなわけでアングラ工事は続いていました。

当時(昭和35〜6年頃)の分電盤ではブレーカではなく瀬戸物箱に入ったフューズで過電流を遮断していました。
フューズが切れると大変です。もちろん自分で交換しますがブレーカのようにすぐ復旧できません。急いでやっても数分かかります。
当時、お店をやってましたのでお店も真っ暗、オヤジは真っ赤になって怒ります。

つい最近ですが仕事も一段落して「そうだ電気工事士の資格取ってみよう。
試験問題に配管工事や碍子引き工事が無くなったので簡単になりました。第2種を取り、勢いで第1種も取りました。電検取るには勢いが足りませんでした。

HAMをやってると自分でやらなければならないことがたくさんあるのはお話済みですが、直接HAMには関係ない家中の不具合の修理も頼まれます。
こういう時は率先してやることにしています。それでなくてもうるさい、汚い、あぶない、と嫌われてる私としては点数を稼がなくてはなりません。

工作に関して根が嫌いではないのでたいていのことは解決します。
たまにはどうして良いのか手も足も出ないコトも有るのですが、そのような時はHAM仲間に相談します。
HAM仲間にはすぐ想像の付く電気屋さん、ラジオ屋さん、その他、歯医者さん、学校の先生、銀行員、坊さん、印刷屋さん、植木屋さん、大工さん、水道屋さん、八百屋さん、ダンスの先生、等々数えればきりがない程いろんな業種の専門家がおります。
皆さんいつも、教えたり教えられたりのおつきあいですから誰でもいやがらず他には云えないノウハウもしっかり教えてくれます。
それが判ればどんなこともそんなに難しい物ではありません。
お陰様で色々なことを教えて貰いいつの間にかいろんなコトを覚えました。

コレがホントに良かったかは別問題です。
「何でも自分でやろうとせずひとに頼むことも必要」と云って去っていった人もいます。
もっといろいろ頼めば良かった!!

「本業をしっかりやって稼いだお金でその道のひとに頼むのが良い」と云って立派なお医者さんになったひともいます。
「壊れたのでそろそろ新しいの買って貰えるかと思ったら直しちゃうので厭だ」と学校の作文に書かれたのはショックでした。
コレは私が息子に言われた言葉。
チョット寂しい思いでです。

それでも、HAM仲間に教えて貰った数々のノウハウは役に立っています。
こうしてホームページを作ることも第一歩はHAM仲間のエイチさんの一声から始まったのです。

2010年7月13日

私がアマチュア無線を始めた原点である高校時代の無線部の仲間
ja1cvc(ex),ja1cvd,ja1cve,ja1cvf,ja1gch,ja1jcd
6人が秋葉原に集結しました。
実際には1〜2年程前から集まりが始まっていたのですが今回は記憶を元に住所を調べやっと6人が集まりました。

あっという間に高校生だった頃にタイムスリップしていろんな話が飛び出しました。
何時も悪さをしているような悪ガキクラブではなかったと思いますが飛び出す話はうっかり人には言えない危ない話ばかりです。
そんな話の中に亡くなった方の話はやはり寂しいモノです。
思い出話で時間の経つのも忘れ、来年の再会を約束して別れたのです。

最近はこのような仲良し会、思い出会、が多いのですがもっと面白い企画はないだろうか。

サラリーマン、自営も、起業家がいました。現役で頑張ってる人、リタイヤして悠々自適の生活を楽しんでる人も。
経験豊かな仲間達、まだまだ元気!
老人の思い出話の会は3〜4階やれば飽きてしまいます。
昔を知ってる仲間達見栄を張っても仕方がありません。
それでも半端じゃない技の持ち主。それを分かち合い助け合う仲間になれないだろうか。もちろんこの歳になって無理はいけない。
設け話はもってのほか。

そうだ、今度集まるときは何かテーマを決めて得意な話をして貰おう。
さてこの気持ちを来年まで暖めておけるか、新たな心配事が・・・
他の仲間はどう思っているだろうか・・・

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