原点 86号 2003年・春季・松山 2003年3月20日発行
 
代表者・図子英雄 発行担当・兵頭道子 定価500円A5判84ページ

【目次】
(創作)   きゅうりの塩漬け、いりこの煮つけ 泉原 猛(38枚)
       春水仙         夏目  楸  (22枚)
       ひょろひょろ橋     菅原 元之  (28枚)
(評論)  〈コギト〉―同一律と矛盾律 田中圭三  (18枚)
(詩)    鳥の歌  漢字喪失症  図子 英雄
       古びた電気剃刀
(エッセイ)「藤村詩抄」に憶う    赤松 宜子  (14枚)
       夢の話         井谷五十鈴
       韓の津         楠目 葉子
       晩秋          矢野 準子
       一齣の日日       近藤 光亀
       悲しい年        多田 曄代
       身辺雑記(その三)   郁野奈知雄
(連載紀行) おっかなびっくり一人旅(十八)
                   河田扶美子

               あとがき  同人の近況・告知板

【同人雑誌評から】 『文學界』六月号から
           松本道介氏(ドイツ文学者。1935年生まれ)
 
泉原猛「きゅうりの塩漬け、いりこの煮付け」(「原点」86号、
松山市)
は山を舞台にした作品として印象に残った。
 登山の好きな初老の夫婦が高山の尾根道を歩きながら岩を背にす
わりこむ若い女性二人を目にした。「こんにちは……」と声をかけ
たところ、なんの反応もないので、「いまごろの若い者は……」と
思いかけるが、それにしても様子がおかしい。
 女性の一人が脱力症状をおこし、動けなくなったのであった。早
速インスタント飴湯をつくりソーセージゆで卵おにぎりを食べさせ
て回復をはかるのだが、そのあいだに〈私〉は日本中がひもじかっ
た戦後間もない時期の出来事を思い出す。それは田舎の非農家でい
つも食べものの乏しかった〈私〉の家に知りあいの馬喰が飢えて倒
れこんできたときであった。小学生の〈私〉が裏庭に僅かに残るナ
スビとキュウリをもぎにやらされるのだが、そのあとも食への思い
出が続き、とりわけ凄いのが農業実習でまだ若い、からだも小さい
豚を出刃包丁で刺し殺す場面である。まさに目をそむけたくなるが、
そうした場面がわれわれの文明生活の裏側で日々続いていることを
この作品は思い出させてくれる。
 作者と同世代の私も戦時中はずいぶんひもじい思いはした筈なの
に今はあまりよく思いだせない。それだけにこの作者の記憶の鮮か
さは見事だと思った。

【参考】泉原猛「きゅうりの塩漬け、いりこの煮付け」冒頭部分

 尾根の道がゆるやかな上りになった。今朝からずっと霧の中を歩いている。剣御前
小屋を発ってから三時間余り、私らはまだ誰にも出会っていない。昨日から降り続く
雨のため、多くの登山者は行動を取り止めたり変更したのであろう。

 やがて、小降りになっていた雨があがった。辺りの明るさが急速に増して来る。頭
の隅に、当初の予定通り大日平小屋まで下るのが正解だったのかも知れないという
思いがよぎる。しかし奥大日岳頂上まで行ってからの引き返し、今夜は天狗平山荘
泊と決めて歩きはじめた。妻と二人、このまま山上のお花畑をゆっくりたどるのも悪く
はない。ただ、予想もしないものが私らを待っていた。それを旧知の間柄といってい
いものかどうか…こんな山上で出会うとは。

                            (以下略)

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