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私のアマチュア無線時代 -1970年代- |
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1971年4月8日から交信を始めて、1977年2月17日まで566回の記録がある。 2020年現在無線局の免許と資格は持っているが、交信はお休み中。 |
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松山市道後、南海放送中庭にて。1973年6月3日(日) 肖像権の問題、これだけの人から注文をつけられるとエライことです。しかしもう半世紀 近く経ちました。どれだけの人が達者なのでしょう。小生このとき38歳、現在85歳なり。 |
2020年12月8日 アマ無線の八木アンテナ 工事をしているところを 見て、急に昔を 思い出して。 |
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当時の使用リグ(無線機)、TRIOのTS-520X 。久しぶりに持ち上げてみたら その重さに驚く。測ってみると13.9kgもあった。重いはず。 |
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当時使用のハム(アマチュア無線)用の世界時計、TRIO HC-1。 世界中のその地の現在時刻が即座に分かる。1971年6月17日購入。 |
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現在も継続中の 「無線局免許状」 5年毎の申請が必要。 平成33年3月24日まで、 平成で来られると 困るんだなぁ。 今年は平成で何年? 令和2年は平成32年の ようだ。 |
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自作のキュビカルクァッド アンテナを上げていた屋根馬。 |
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パラボラアンテナはアマ無線用ではなくBS放送受信用、自分で取り付けた。 | |
我が局のコールサイン JA5GLXの部分は 自分でレタリング。 |
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我が局の QSLカード(交信証)。 デザインなど自作。 印刷のみ発注。 当時はワープロなど 持っていなかった。 |
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Olivettiの 欧文タイプを持っていたので 交信データを タイプライターで記入。 なぜかJA1PMDへ 送るはずの1枚が 残っていた。 2部作ったのかもしれない。 |
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1972年のCALLBOOK(アマ無線局名録)、A4サイズ、624ページの大冊。日本のアマ局全ての 局名・氏名・生年・住所・電話番号が載っている。個人情報も悪用などされない、いい時代。 |
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フィンランド Lappeenrantaの Pertti Koskinenさんの QSL(交信証) |
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その裏面の データ欄。 |
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ドイツ QTH(住所)はドイツ語。 親子でやっておられるようだ。 |
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息子さんの Winfriedさんのもの。 |
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( アメリカ、ワシントン州 シアトルの BOB Fujiiさん。 日系2世か。 |
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オーストラリア、 NORTH VICTORIAの JAMES O. BAILさん。 |
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同じくオーストラリアの おじさん。 |
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ドイツの Eberhard Diebelさん。 |
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沖縄局。 コールサインはKR8地域。 日本への返還は、 1972年5月。 1972年の4月2日交信。 |
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アメリカ、 ニューメキシコの M.ABEさん。 こちらのQSLは すでに届いているようだ。 最下段に サンクス フォー‥とある。 |
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モスクワの MSTISLAWさんからの SWL(交信ではなく 受信したとの 報告証)。 |
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上の欄に同じ。 SWLナンバー UA3-170-287の MSTISLAWさん。 2枚送ってきている。 画面は、 ウオッカをエサに 魚釣りという 意味であろうか。 |
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小生がデザインした 友人のQSL(交信証)。 |
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こちらも同様。 | |
デザインを手掛けたのは、当時アメリカ・コネティカット州のFamous Artists Schoolの 通信教育でコマーシャルアートのレタリングやデザインを勉強していたから。 上は、1972年12月卒業との卒業証書。2年のコースを3年かかってしまった。 |
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同じく友人のQSL。 他にも数点作ったが 手元に見つからない。 |
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中央遠くの八木アンテナで努力中。ひとごとながら、アマ無線生活に栄光あれ。 2020/12/08 14:58(松山市畑寺から) |
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最初の 自作のQSL (交信証明書) |
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裏面、 データ記入面。 |
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海外との交信のために使った自作の一覧表。 (2020/12/18追記) | |
当時は、今のような語学勉強のためのDVDやCDはなかった。 |