ルーマニア秘境旅行2005(お気に入りショット)




地図p1左
はじめに
海外旅行歴戦の友人たちがルーマニア旅行を企画しろという。
2001/6に訪問できなかったマラムレシュ地方とブコヴィナ地方をハイライトとする「秘境旅行」を組み上げ、2005/6に同行者13人のチームで実行された。

1)いざトランシルヴァニアへ
ブラン城p6左 ブラン城はワラキアとトランシルヴァニアの国境にあって、戦時にはワラキア平野からトランシルヴァニア・アルプス山脈を越えてくるオスマン・トルコ軍をいち早く発見し、平時には交易商人から交易税を徴収する目的で、ブラショフのザクセン商人たちが1377年に築いたものであるとされている。

聖なる親族p7左 ブラン城の中で四年前に光量不足とピンボケで撮影に失敗した「聖なる親族」の木像を、今回はしっかり撮影しようと思った。
写真を現像してみると、どれも光量不足、ピンボケである。
旅行後に同行者全員に聞いてみたが、誰一人として撮影していなかった。
隣にあった大主教の木像は、数年前盗まれてしまったという。

2)トランシルヴァニア縦断
黒の教会p10右 ブラショフの黒の教会はザクセン人のためのカソリック教会として14世紀後半から15世紀初頭にかけて建立されたトランシルヴァニア最大の後期ゴシック建築様式になる教会で、1689年のハプスブルグ軍の攻撃にあって外壁を黒こげにされてしまったので黒の教会と呼びならわされている。

3)マラムシュ
入り字屋根p16右 バイア・マーレの町外れから村道をカルパチアの山の中へ入って行こうとすると、変わった屋根の民家が目につくようになった。
切妻型の屋根の棟の部分が片方突き出している。
私は「入母屋」をもじって「入り字屋根」と勝手に名付けてみた。

教会の屋根板p17右 木の門の奥に鉛筆を立てたような木製の教会がある。
これが、シュルデシュティの木の教会である。
土台の上は木の床、木の壁、木の梁、木の屋根とすべて木の組み上げで、鉄の釘は一切使っていないという。
屋根板は小型の羽子板状の木っ端を横に少し重ねて並べ、一段、二段と上へ積み上げていって塔頂に達している。
塔の高さは72メートルあり、1721年の建立で世界遺産に登録されている。

サプンツァの陽気な墓p17左 サプンツァの陽気な墓は1935年イオン・スタン・パトラッシュが、村人の生前の生活や職業を墓標に彫刻して彩色したことが始まりで、今は弟子たちが新しい墓標を彫り続けている。
羊飼い、トラクターの運転手、羊毛を紡ぐ女性、そして楽士と、どれ一つとして同じデザインは無い。
中には墓標の横や裏側に羽を持った裸の女の天使の図柄を彫り込んだものもある。

増築中の家p19左 今年が革命後16年目ということを考えると、次のシナリオが当たらずといえども遠からずではなかろうか。
「革命後自由化の波はすぐにはこのルーマニアの片田舎には及ばなかった。3−4年経ってようやく自由に国外に行くことができると知り、一家の稼ぎ手が西の国へ出稼ぎに行った。そして10年間の稼ぎを持ってこの1−2年にぞくぞくと帰国して、次々と家を新増築するに至った。」

4)ブコヴィナ
赤い河女性p21左 フモール修道院の外壁のフレスコ画「最後の審判」には、青地に赤色の大河を左上から右下に描き込み、この下流には河波に飲み込まれていくように、裸の女性が流れと同じ赤色の線で描かれているのは、はなはだ印象的であった。

スチェヴィッツァp23左 「天国への梯子」はスチェヴィッツァ修道院だけの図案である。
左側の梯子の下には悪魔に引きずりおろされている異教徒たちが描かれている。梯子に手や足を引っ掛けて、転落をしのいでいるものもいる。
その中のどれかは私の未来を表しているものであるかもしれない。
いや、あえて探すまい。今知ったところでどうなるわけも無いではないか。

ヴォロネッツp26右 ヴォロネッツ修道院は1488年建立の世界遺産である。
「ヴォロネッツの青」と呼ばれる青色に特色がある。
NHK・TV「探検ロマン世界遺産、モルドヴァの教会群」(2005.7.14)ではアズライト(藍銅鉱)がその青の原料であること、又、漆喰の上に木炭の粉を塗ってからそのアズライトの青色を塗りつけることによって、その青色を450年間も保持させていると伝えていた。
西面の「最後の審判」の全体図は圧巻である。

双頭の竜p26左 ヴォロネッツ修道院の「最後の審判」の中に描かれている双頭の竜と大魔王はモルドヴィツァ修道院のものよりも鮮明である。
左側に頭があり、それから胴をたどって4本の足を過ぎて右側の尾と思われるところへゆくと、いつの間にか2つ目の大きな頭になっている。
その首の部分からは3本の細い尾が出ているが、それが又、先端で火を吹く小さな頭となっている。

少年の霊魂p27右 ヴォロネッツ修道院「最後の審判」の赤い河口の左側の最下層には死の床に横たわる白衣の少年の口から白色の小人が立ち上がって、そばに立つ天使が差し伸べた手につかまろうとしている絵がある。
これは、その死者の霊魂であろう。人の霊をどう絵に表すかという課題をみごとに解決したブコヴィナの無名の宗教画家を賞賛したい。

コウノトリp29右 ブコヴィナの村を通過する時、道端のコンクリート製の電柱の上にコウノトリの巣を見つけた。
巣のない電柱を見ると、電柱の先端は平らになっており、しかも芯の鉄棒を少し突き出してあるようだ。
コウノトリの巣ができることを始めから考えていたとすれば、この電柱の設計者に脱帽である。

5)再びトランシルヴァニアへ
土産物屋p30右 ビカズ渓谷の頂上近くの、ちょっとした遊び場に土産物屋が並んでいた。
場所柄といい、商品の品揃えといい、ここにこういう土産物屋を置くべしという観光地政策の原則通りのものだ。
ある店先で、木製のトカゲ型竜を発見した。
ちょっと欲しくなったが、どうやって日本まで持ち帰るかを考えたら、あきらめざるを得なかった。

若い娘p31左 若い娘が2人、ラク・ロシュ(赤い湖)の土手上から湖面に降りてきた。
年は十代の前半と思うが、みごとなボインの胸で、ヘソ出しのGパン・ルックである。
ルーマニアではこの夏、都市といわず田舎でも、若い娘はほとんど皆このヘソ出しGパンである。

6)ワラキア
キンダ塔p33右 古都トウルゴヴィシュテ宮殿跡の一角にヴラド・ツェペシュ・ドラクラが建てたというキンダ塔が復元されている。
塔の上から見ると、南及び東はワラキア平野で起伏はほとんどなく、当時は森が市街地のすぐ先から地上を埋め尽くしていたことであろう。
森を割って一本の街道がまっすぐブカレストに向かって伸びていたのであろう。

7)ブカレスト
木の教会p36左 ブカレストのヘラストレウ湖畔にある農村博物館で世界遺産になったマラムレシュの木の教会と同じものがあったので、その全景をここで初めて一枚の写真に収めることができた。

カルク・ベレp37左 ブカレストの旧市街にあるカルク・ベレで昼食をとった。
古い石造りの入口に一対のランタン付き看板が路上に張り出している。
左側にはカルク・ベレの文字盤を支えるようにタツノオトシゴのような竜と先端のランタンを見つめて低く構える猫が黒いさび色の出た金属で作られており、竜の羽のみが金色に光っている。
右側は同じデザインだが黒猫の代わりに雄鶏が胸を張っている。

タラフ・ハイ ジプシー

タラフ・ドウ・ハイドウクスというワラキアのロマの楽団のCDの中に「独裁者のバラード」という曲がある。
「フォアイエ・ヴェルデ(緑の葉よ)」という呼びかけが繰り返される。
今回ブカレストで買ったCD[古いルーマニア・ジプシーの音楽]の中にも「緑の葉よ」と呼びかけて始まる曲があった。
トランシルヴァニアが「森のかなたの国」であって、ワラキアは「森のかなたの、さらに向こうの国」であるから、この呼びかけの言葉は、何かルーマニア人の心に呼びかける呪文なのかもしれない。

ドラキュラ/アルカードp45左 中学校のころだったと思うが、何かのことで吸血鬼ドラキュラに言及したとき、友人がドラキュラの昼間の顔はアルカードという貴族だと私に教えてくれた。
7つのアルファベットを逆に読むとアルカードになるのだ。
彼はこの知識を何から仕入れたのだろうか。

私の天国への階段p46右 カメラのファインダーをのぞいてパチパチ写真をとっていると、見たという記憶が脳に留まらない。
自分でとった写真が、いつ、どこで撮影したのか混乱してしまう。
旅を終って同行者からどしどし写真が送られてくると、その混乱は増大し、終にはパニックになってしまう。
しかも自分で写した写真には自分が写っていない。
良い写真は現場で入手するパンフレットや絵葉書で充分である。

おわりに
もくじ絵p2右 今回は印刷、製本まで自分でやってみた。
千枚通し、両面テープ、それに膨大な時間が必要であった。



追記
菓子パン ブコヴィナのグラ・フモール村の夏祭りで見つけた菓子パン「キルティッシュ」 の屋台店。
TBS−TV世界ウルルン滞在記(05.09.18)「ルーマニアでパン作り」 で、タレントはるのがトランシルヴァニアのマルタヌス村で作った菓子パン「キル ティッシュ」がこれである。
卵とレモンを入れたパン生地をひも状にして、極太の麺棒に巻きつけて、炭火で焼き 上げるもので、バウムクーヘンの原型とも、メロンパンの皮の部分の味とも表現され ていた。