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日記 すき きらい

概要 一般

素晴しいこと

素晴しいこと

とある人が、夢をもってて、それを追いかけるタイプだった。
 そんな夢をもって、努力してる自分が、好きだった。

そこまでは別にいいのさ〜。オレもそういうのは嫌いじゃない。
 けど、夢を持ってて、それをある程度実現しちゃう自分を、特別だと思って、他の人間を普通のくだらない人間、みたいな感じで、ときどき見下すような発言をしていた。ふつう(この表現自体オレには不明だが)の人生を送っていくだろう人を、軽べつしていた。

彼がそんな風に人を見下だすようになっていったのは、おそらく、彼自身の弱さや不安からだろうと思う。高校の頃は、学校でも孤立していた。友達もいなかった。そういう孤独をいやすために、自分は特別だと思わなきゃならなかったのだろう。そう思わなければ、彼は状況につぶされていたのかもしれない。それを知っているから、彼にはあまり強くは反論しなかった。

それでも、そういう話を何度も聞かされているうちに、夢って何だろう、幸せって何だろう、そんな風に思うことが、自然に多くなっていった。

たとえば、有名になりたいってことを考えてみよう。
 有名ってことは、名が知られてることだ。いま地球上に有名といえる人間が、はたして何人いるのかは、知らない。でも、それは全人類ではないことは確かだ。そして、おそらく全人類が有名になれるわけじゃないだろう。たぶんそのなかの一部だけのはず。ってことは、有名になりたいという夢、それを実現して得られる幸せ。それは、ごくひとにぎりの人類しか、達成できない幸せにしかすぎないってことだ。

もちろん、夢は個別なものだ。だから、こんな風にいつも競合するとは限らない。
 それでも、才能もないのに、夢を追いかけることが、バカバカしいことであるかのように語られるとき、その背後には、夢を達成させるというストーリーが見え隠れしてることは間違いないって思う。
 ドンキホーテじゃないけれど、決して達成できない夢を追い続けて生きること。それは、はたして、不幸せなんだろうか。

達成って要素を除けば、人類である限り、みんな夢を持ってるはずさ〜。それが小さいと言われよ〜が、夢みない人はいないだろう。たとえそれが、「一度万馬券を取ってみたい」「無理やり犯しちゃいたい」なんてのでも、やっぱり夢は夢なのさ〜。
 夢をもつことが素晴しいと言われるときには、やはり、その夢ってゆ〜言葉自体、選別がすでに行なわれたうえで使われているのだと思う。

才能がある。頭がよい。何でもいいさ〜。
 人が、素晴しいと言われるときに、よく引きあいに出される要素のうち多くは、人類の一部しか持つことができない属性だ。
 本当はすべての人類が才能をもっているはず。けど、「ある」という表現は、「他の人よりある」という表現をうしろに包み隠している。

すべての人類が同じぐらい頭が良かったら、「頭がよい」とは誰もほめられないだろう。
 ほんとは、生物の進化の過程でみたら、人間の頭の良さの違いは、ごくわずかだろうと思う。人間社会の内部の細かい基準で見るから、その違いが大きなように見える。

そんな風に考えていくと、ある属性を持っていることが、「素晴しい」ひいては「幸せ」ってことにつながるのなら、そんな「幸せ」は人類の一部にしか通用しないだろう。
 それは、オレにとって、すごくチンケな「幸せ」の概念に思える。

いままでの人類は、歴史のなかで闘争を繰り返してきた。そのなかで、社会内のステータスや社会間のステータスに対する認識が発達してきた。
 もちろん、これからも、あいかわらず人類は、そういう考えの限界のなかに居続けるのかもしれない。
 だけど、そんなものを離れて、存在が存在であることのうちに、幸せの概念を探し求めていってもいいと思う。

自分が「幸せ」であると自認したいために、人を見下だしたり、人より優れることを追い求めていく。そして、そんな考えのなかで、人に「不幸せ」を感じさせ、やがてまわりまわって自分も「不幸せ」になる可能性を産み出していく。
 そんなどうどうめぐりが、これからも続いていくのか、ちょっと不安な気がする。
 人間って、やっぱり、それぐらいバカな存在なのだろうか。

いま目の前にある存在、人やモノをきちんと扱って愛していくこと。それがいちばん大事だと、オレは思ってる。そういったことの連鎖のはてに、「幸せ」があるのだと思う。
 これは、もしかしたら、オレのいちばん大きな夢かもしれない。
 自分の作品を創り出していったり、それを多くの人に楽しんでもらったり、そういうことは、それに比べれば、小さな夢でしかない。

何か目標を決めて、それに向かっていくのは楽だ。それが達成されないとしても、そこまでの道筋は比較的単純だ。
 けど、いったん自分の身のまわりに目を向けて、そこにある人やモノをきちんと大切にしようと思うと、それがとても難しいことに気づく。
 人間を、立場や役職や富や知名度で扱うのが楽で、個別のユニークな人間として扱っていくことが難しいように…。

素晴しいこと。それが比較の対象なしに、ただ感覚的に使われるのなら、オレは別に嫌いじゃない。けど、それが、頭が良いからとか、才能があるからとか、有名であるからとか、富があるからとか。そんな比較を通して使われるのなら、オレは「素晴しい」ってことが、とても嫌いだ。


管理人:神吉 秀典 E-mail:puer@ba.wakwak.com