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日記 すき きらい

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泳がない凍死の危機ハードボイルドで食おう

1982年某月某日 泳がない

とにかく忙しかった。世間(学校)は、体育祭の準備でざわついていた。オレももちろんそれに参加していた。しか〜し、それだけじゃなく、文化委員会の仕事と、生徒会の仕事、かけもちしてる複数のクラブの仕事。それらすべてがまるで申し合わせたかのよ〜に、オレにおそいかかっていた。

学校が終わっても、真っ暗になるまで、体育祭の立て看板がオレを縛りつけていた。しかも、家に帰ってからは、生徒会やらの仕事がオレを待っていた。そして、いつしか眠る時間が一切なくなってしまっていた。

一度、立て看板を描いていると、なぜかペンキで描いた絵がぐるぐるとマーブル状に回わり出してしまったことがあった。そして、オレはそのなかへ吸い込まれそうになっていった。その途端、後ろから友達に抱きとめられて気がついたこともあった。
 あれはそう、不眠3日目ぐらいだっただろうか。

4日目は、何事もなく、むしろいつもよりハイだったように記憶している。しかし、4日も起きている人間の記憶なんて、もちろんアテにはできないけれど。

さて、5日目の朝がやってきた。それまで、3日ぐらいの徹夜なら、何度も経験があった。しかし、5日間も起きていたのは正直いって初めてのことだった。

家を出ようとすると、異常な疲れがオレをおそった。なぜか身体が動かない。前に進もうとしても、空気が粘りついて、全然前に進んでくれなかった。

仕方なく、オレは郷里の和歌山で鍛えた水泳の技を使い、平泳ぎの要領で空気をかいてみた。すると、何となく前に進んだような気がした。おお〜っ。これなら大丈夫だ。学校に行ける。

そして、オレはそこから学校まで、ずっと空気のなかを泳ぎ続けた。ちょっと恥ずかしい気もしたものの、もはや言ってられなかった。とにかく、学校に行かねばならなかった。たくさんの用事がオレを待っているはずだったが、なぜそこまでして学校に行かねばならないのか、どんな用事がオレを待っているのかは、もはやオレにはどうでも良かった。学校がオレを呼んでいた。だから、とにかく身体が動き続ける限り、泳ぎ続けた。

もちろん、何か言いたそうにしてる人もいた。また、電車の車内では、心なしかオレのまわりから人が離れていったような気がした。学校の近くでは、中学の生徒がおもしろがって後をつけてきているような気さえした。しかし、そうしたことはすべてもはやどうでもよかった。

朦朧とした頭を振りながら、腕を前へ突き出して、そして空気をすくい、前に進む。オレはもはやそのリズムのなかにいた。そして、いつしか、学校へとたどりついた。

学校へたどりついてから、オレがいったいどんな用事を、どのぐらいこなせたのか。もはやそれは覚えてはいない。
 オレが覚えているのは、学校の廊下を泳いでる最中にひとりの後輩と出会ったことだ。その後輩は、オレに話しかけた。
「いったい、どうしたん。なんで、そんな変な歩き方してるん。」

不思議なことに、その後輩の声は、オレの頭の左ななめ後ろから聞こえてくるような気がした。しかし、その後輩の姿そのものは、目の前にあった。夢のなかのシーンのように、映像と音とか、別々に分離して入ってきてるかのようだった。遠くの方で、誰かが何かを話している。そんな感じの聞こえ方だった。

オレは、もう5日間も寝てないことを、後輩に話した。その話は、オレ自身には気が遠くなるほど、長い時間のなかで行なわれたような気がした。

とにかく、すべてを呑み込んだ後輩はたった一言。
「すぐに帰って寝っ。」
 そう言った。

オレのぼんやりした頭のなかに、その言葉が響き渡った。そして、後輩が去った後も、ひたすらその言葉は頭のなかをまわっていた。知らないうちに、オレの身体は学校から出て、駅へと向かっていた。その途中に何があったのか、何も覚えてはいない。ただ、ひたすら、その言葉だけが頭の中にあった。なぜか知らないが、その言葉が頭のなかで繰り返されて、オレの身体は、その言葉だけに従って反応していた。

やがて、オレは家にたどりつくと、そのまま寝た。
 そして、そのまま数十時間、ただひたすらに眠った。

目が覚めたオレは、自分がなんで家で寝ているのか、わからなかった。確かに学校へと用事を片付けに行ったはずだった。しかし、オレは家で寝ていた。なんかすべてが夢のような気かした。
 しかし、がんばって何があったのかを思い出そうとした。そして、愕然とした。あの時、帰って寝るように言われたから良かったものの、おそらく、あの時、オレは誰に何を言われても、素直に従っただろう。人を殺せと言われても、何も考えないままに、殺したかもしれない。恐ろしい状態にあったものだ。オレは、それが過ぎ去ったことに安堵した。

そして、さらに、オレは思い出した。それを思い出した途端、不眠が持つ別の恐ろしい側面にやっと気づいたのだった。頭がすっきりして、はじめて、オレは平泳ぎで歩いたことが恥ずかしくなった。うううううう。

教訓 5日間起き続けないように。泳ぎます。


管理人:神吉 秀典 E-mail:puer@ba.wakwak.com