「風の大地の子守り唄」に寄せて


現在、「今月買ったレコード・CD一覧」というコーナーを当サイト内に作っていますが、
そのページ、以前は「ウシオのつぶやき」という、私が日頃思った芸能関係の事を
好き勝手に書くコーナーでした。

本当に好き勝手な事ばかりをあれこれ書いていたのですが、ある時、ふと
「たまにはちあきさんの事を書いてみよう」と思い立ち、誰に頼まれるでもなく
前々から気になっていた、ちあきさんの「風の大地の子守り唄」のシングル盤発売中止について
自分なりにまとめたものをアップしました。

つぶやきコーナーを止めてしまったため、それらを読む事が出来なくなってしまっていたのですが、
昨年、その曲が収録された映画サントラ盤『象物語』が発売された事、
そして、未だに時々その事に関してお問い合わせをいただく事もあり、
この度、再度その内容をアップする事にしました。
みなさん、お暇でしたらどうぞご覧ください。

シングル盤発売中止に至った経緯について、下記の文章を書いた2003年の時点でも、
そしてその後も明らかにはなっていません。
私の今の心境としては、その理由は明らかにならなくてもいいのかな、と思っています。
2005年に限定盤という形であるにせよ、ちあきさんが歌う「風の大地の子守り唄」がCD化された事だけで充分満足しています。




突然の連載 「風の大地の子守り唄」の物語 (1)
ウシオ 投稿日:2003年5月24日<土>05時52分

田舎暮らしの僕がこの4月に上京したことは、ここ「つぶやき」や掲示板でお話した通りなんですが、その目的の中に、

「国会図書館に行って『象物語』主題歌交代の経緯を調べる」

というのがありました。
このHPの中の「ちあきのバイオグラフィー」昭和55年のところでもチラっと書きましたが・・・

僕が小学生3年生の冬、銭湯に行き風呂上りにいちご牛乳を飲んでいたら、近くにいたどこかのおじさんが読んでたスポーツ紙に

「ちあきなおみ」「象物語」「黛ジュン」

の文字が載っていました。
当時からちあきファンだった私は、その内容を詳しく知りたかったものの、見知らぬおじさんに「ちあきの記事読ませて!」とはさすがに言えず、結局内容は分からずじまい・・・

以来、それが気になって気になって、その思いを抱いたまま23年が経過。

3年前、このHPを開設したことがきっかけで当時の話をいろいろな方から伺うことができたり、また、デビュー当時からのちあきさんファンの方から、僕が銭湯で見かけた新聞記事とは別のモノ(ちあきさんのソニーからの復帰について当時スポーツ新聞に1週間連載された記事)を頂戴したこともあり、おおよその経緯は分かりました。
以前も書きましたが、「風の大地の子守り唄」シングル化中止はちあきサイドの申し出によるもの、という説が有力らしい、と。

・・・とはいえ、やっぱり自分が見損ねた新聞記事を確かめたい!

実は、うちのHPにお越しいただくみなさんの中で、以前ちあきさんの新聞記事を探しに国会図書館に行った、という方からメールをいただいた事があったんです。
その方のお話を思い出し、僕も国会図書館に行く事にしました。
国会図書館は、僕が東京に住んでいた頃、なかなか中古市場で見かけることのないちあきさんのアルバムを聴くために、そしてちあきさんのディスコグラフィーを調べるためにたびたび通った思い出の場所です。
東京から地元に戻った後も、上京の時にはたまに足を運んでいたのですが、今回は件(くだん)の目的を果たすべく、丸一日時間を空けました。

国会図書館に到着し、すぐさま新聞閲覧コーナーへ。
そして、受付でその記事が載ったと予想される時期(『象物語』サントラ発売前後の昭和55年1月と2月)のスポニチと日刊スポーツ(どちらもマイクロフィルム化されています)を借りました。

さっそくマイクロフィルムを専用の器具にセットして、あとはひたすらフィルムの中からそれらしき記事を探します。

(しばらく作業に没頭)

・・・あったあった!これこれこれ〜〜〜〜!(図書館なので心の中で絶叫&万歳三唱)
遂に発見しました(桂小金治に負けないくらいの号泣)。23年振りの再会です。

どれどれ。さっそく読みますか。
それによると・・・

(続く)
  


「風の大地の子守り唄」の物語 (2)前半
ウシオ 投稿日:2003年5月24日<土>18時59分

スポニチ・昭和55年2月3日

「映画とレコードで違う歌手
『象物語』主題歌 ちあきなおみに代わって黛ジュンが吹き込み」

2月2日、黛ジュンがCBSソニーで2年半振りのレコーディング。
映画『象物語』テーマソング2曲だが、元々はちあきなおみのカムバック作として作られたもの。
映画ではちあき、シングル盤では黛の歌がそれぞれ使われるという珍現象だ。

ちあきから黛への交代劇はの舞台裏は?
ちあきサイドの問題、日本コロムビアからの圧力など、諸説乱れ飛ぶが・・・

ちあきカムバック作戦は79年秋から進行。
映画の公開に合わせ、CBSソニーがキャンペーンを展開、自動車CMのタイアップも決まり、日本テレビもバックアップを約束していた。
前年に大当たりしたジュディ・オング「魅せられて」(←注)の構図を踏襲したのだが・・・。

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(注)
当時CBSソニーに在籍していた酒井政利プロデューサーが手がけ、CMタイアップと共に大ヒットさせたのが
第1弾「シルクロードのテーマ〜異邦人/久保田早紀」
第2弾「エーゲ海のテーマ〜魅せられて/ジュディ・オング」
でした。象物語のテーマソングはその第3弾、
「アフリカのテーマ〜風の大地の子守り唄」として企画されました。
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レコードプレス直前に問題が噴出。
ちあきサイドが本格カムバックに消極的で、家庭内も含めたゴタゴタがプロモーション計画に支障をきたす、など・・・。
ちあきサイドの消極性も相まって、CBSソニーはちあきカムバック作戦を断念。急遽、黛の起用が決定した。

2月4日にはマスコミ向けの映画試写会が開かれるが、そこではちあきの歌が流れる。
協賛会社の自動車CMではちあきの歌を差し替え、黛の歌が出来上がるまで歌なしで放送することになった。

CBSソニー販促部・○○部長のコメント・・・

「出来上がったちあきの歌は言葉が不明瞭で鮮明度を欠く。そのため新人を探したが適任がいない。
ちあきサイドは元々シングル発売に難色を示していたため、急遽黛を起用する事に決まった」

酒井政利・チーフプロデューサーのコメント・・・

ちあきの歌唱は映画主題歌としては面白いが、シングル盤として発売するには重く、プロモート的にふさわしくないと判断。
全く別のイメージソングとして考え、黛起用に至った。
さらに、映画主題歌は「母性」がテーマだが、レコードでは「男と女の世界」に置き換える展開が必要で、そのため2種類の歌唱が必要になった。
黛のパワーは衰えていないし、復帰曲にはふさわしい。
ちあきにというよりも、黛用に作った曲のようだ。

黛ジュンのコメント・・・

急に決まった話でしょ。この2、3日はアラシのようでした。
こんな大きな企画は一生に何度もあるものではないでしょ。ぜひチャンスを活かしたい。
(今回の歌は)難しいけど、歌いがいがあります。
サビ前のメロディーなんか、考えられないほど斬新で、歌っていくうちに好きになりました。

ちあき所属事務所・○○マネージャーのコメント・・・

「サウンドトラックということで録音したが、シングル発売の話は最初から聞いていない。
ちあきはあくまで主婦。以前のような形で復帰は考えていない」

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Res:ウシオ 題名:「風の大地の子守り唄」の物語 (2)後半 投稿日 : 2003年5月24日<土>19時02分

とまあ、こんな感じの記事でした。

うーん、一体どれが本当なの?コメントを寄せている人、それぞれ言っていることがバラバラ。
結局、この記事だけでは交代劇の理由は曖昧です。やはり、ちあきサイドがシングル化を拒んだようではあるのですが・・・。

なお、上記記事に関連して、同年2月はスポニチ・日刊スポーツでちあき・黛の話題が出ることが多かったようです。

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スポニチ・2月25日(『象物語』テーマソングシングル盤・サントラ盤発売日)

「アフリカの女王よ」

イメチェン黛・今日、夜ヒットで新曲を披露。
衣装はノーブラ、腕を上げると太ももが露出する仕組みに。

日刊スポーツ・2月27日

「黛のレコード盤からちあきの声が」

紆余曲折を経て急遽シングル盤のプレスを開始した『象物語』のテーマソングだが、テープからプレス原盤を制作するスタンパーの過程で黛の型にちあきの型が紛れ込み、初回プレス7万枚のうち5千枚が「A面・黛/B面・ちあき」という珍盤に。
黛本人からの訴えで発覚し、大急ぎで回収したがファンの手に渡ってしまった盤もあり、騒動に発展している。

スポニチ・2月28日

「ちあきなおみ 女優で復帰」

昔の「大賞歌手」ちあきなおみが歌手から一転、女優として2年ぶりに芸能界にカムバックする。
日本テレビ4月新番組『愛しい女』で、竹脇無我に一途に惹かれてゆく準主役級の重い大きな役。
ちあきは78年に結婚後、実質的に仕事をホサれる形になっており、『象物語』テーマソングを歌ったサントラ盤(LP)も発売されたが「声はすれども姿は見えず」の状態で、歌手としての復帰は依然として軌道に乗れないまま。今回はそうした思惑の外側からのカムバックとなった。
ちあき自身は「前からシリアスな役をやりたかった」とカムバック実現を喜んでいる。
本業より先に女優として先にカムバックする形だが、ちあきは将来的にはコンサート中心の歌手活動を続けていきたい意向だという。

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『象物語』ネタでそくぞここまで引っ張りましたよね(笑)。
それだけ、当時は話題になったということなんでしょうか。

結局、黛ジュンさんが歌ったシングル盤はオリコンで32位、5.4万枚の売り上げを記録。続くシングル盤「男はみんな華になれ」も同32位、8.5万枚のスマッシュヒットとなりました。
一方ちあきさんは、女優業と平行して地方での営業や小規模なライブ活動を続け、昭和56年にビクターからアルバムを発売しました。『それぞれのテーブル』です。

さて、『象物語』から5年後。そんな騒動もすっかり忘れ去られた昭和60年、酒井政利氏が1冊の本を発表しました。

『不可解な天使たち』というタイトルです。

(続く)



「風の大地の子守り唄」の物語 (3)
ウシオ 投稿日:2003年6月30日<月>00時12分

《(2)後半からの続き》

その本は、酒井氏がそれまでの音楽制作を振り返るエッセイ集なのですが、
その中で自身が手がけた

「アダルト路線のクリーニング歌手」
(かつてヒット曲を出し、しばらく影をひそめ再度復活した歌手・・・
例として島倉千代子、朝丘雪路、金井克子、大志田礼子、
内田あかり、ジュディ・オング、梓みちよなど)

について語っており、それらの歌手を手がけた酒井氏は

「どう復活させるかがプロデューサーの腕の見せ所」

と、それぞれの歌手に対する当時のプロデュース方法を披露しています。
そして、その中にちあきさんの名前も挙げ「風の大地の子守り唄」について、
こう語っています。

「映画『象物語』のイメージソングもアダルト路線のひとつだった。
映画は象の世界の母性がテーマになっている。
これは、歌唱力もあって音量も豊かな歌手でなければと思い、
ちあきなおみを想定した。
思ったとおり、彼女はみごとに歌ってくれた。
しかし、彼女はシングル盤では出したくないという。
それでは(CBSソニー)宣伝部のほうでも困るというので、
何人ものオーディションの結果、うまくめぐり会ったのが黛ジュン。
彼女もじつに豊かに歌ってくれた。
結局、シングル盤は黛ジュン、映画のサントラはちあきなおみという
変則的な形で出ることになった」

どうでしょう。
昭和55年の酒井氏のコメントと比べ、騒動についてのいきさつの説明に
違いがあるようには思えないでしょうか。

酒井氏の著書から判断すると、ちあきサイドのシングル化拒否、
という姿勢のみが伝わってきます。
そして、そのために急いで黛さんを起用した、と。
しかし、酒井氏は昭和55年に

『「母性」と「男と女の世界」の使い分けが必要だった』

ための黛ジュンさんの起用、と説明していました。

・・・それって本当の理由なんでしょうか?
もし、本当にそうだったのであれば、著書の中で語られていても
おかしくはないはずです。
酒井氏が言う

「プロデューサーの腕の見せ所」

を自らアピールするのにふさわしいエピソードなのに。

とにかく、それについて全く記述がないのは不自然な気がしないわけでもありません。
結局、酒井氏の著書を読んでも交代劇の真意の程はよく分からないままでした。

しかし、そんな矢先、僕の元へデビュー当時からのちあきファンでいらっしゃる方が

「ちあきさんのソニーからの復帰について、当時スポーツ新聞に連載された記事」

というものを送ってくださいました。
この連載の(2)前半で取り上げたスポニチの記事ではありません。
その直前、昭和55年1月29日から5日間にわたり、大阪スポーツで連載された

「大スターの反乱・ちあきなおみの巻」

がそれです。
その記事には各方面からの実に生々しいコメントが寄せられていました。
そして、その中にはマネージャーを通した、ちあきさんからのコメントも
含まれていたのです。

(続く)
 

Res:ウシオ@管理人 題名:■訂正版■ 「風の大地の子守り唄」の物語 (3) 後半 投稿日 : 2004年1月25日<日>01時23分

ここでは、その連載記事の中から、ちあきさんの復帰問題に関する事だけを
紹介したいと思います(記事の順番は当時と異なります)。

なお、これから書く内容は、あくまで連載記事を紹介しているだけですので
それらに信憑性があるかどうかについては定かではない、をいう事を
あらかじめご了承いただいた上でお読みください。

まず、結婚まで在籍していた日本コロムビアのコメント。

ちあきさんサイドとコロムビアの間で以前から発生していたトラブル・・・

・レコード制作での意見の食い違い
(*ウシオ補足→歌いたい歌にじっくり取り組みたいちあきサイド
VS演歌・ヒット曲路線を狙いたいコロムビアの対立)

・ちあきさんサイドからコロムビアに契約更新拒否を一方的に通知した事
(*ウシオ補足→後日、コロムビアは報復措置として「コロムビアからの契約解除」
と発表)

・コロムビアに相談なしの突然の結婚

・・・などを踏まえ

『復帰は好ましくない。移籍前に挨拶に来るのが常識だがそれすらない』

次に、CBSソニー。

『ちあきのレコードを出すかどうかはまだ正式に決まったわけではない。
ちあき用の作品があがっている事は事実だが、それをいつレコーディングするか
上から指示が出ないし、ちあきの事務所とも連絡が一切つかない』

そして映画『象物語』を配給する東宝東和のコメント。

『(昭和55年)3月20日公開の映画『象物語』に合わせ、昨年(昭和54年)のうちに
(ちあきさんの)レコーディングは済ませている。1月31日に完成予定の映画には
ちあきの歌が入っている。
私共は話題性もあるしこのままちあきでいくつもりでしたが、今年に入り
なぜかCBSソニーからちあきを降ろして他の歌手にしたいという話が入ってきた』

というように、三者(社)三様のコメントを発表する中、その連載記事によると
「やっとコンタクトが取れた」というちあきさんの事務所のスタッフが
新聞記者のインタビューに対し、こう答えました。

(続く)



「風の大地の子守り唄」の物語 (4)
ウシオ 投稿日:2004年2月29日<日>15時43分

《(3)後半からの続き》

 
以下、スタッフによるちあきさんのコメントです。

『以前のようにテレビ出演でパッと花を咲かせようとは思っていません。
ステージ活動を地道にやりたい、それだけです。
ファンの方はコロムビアを辞めてもついてきてくれます。そのためにレコードを出したい。
トラブルは嫌いです。でもこの「風の大地の子守り唄」は宇崎さん・阿木さんが
私のために作ってくれた曲になのに、それを・・・』


この新聞記事が紹介されてから3週間後、シングル盤は黛ジュンさんの歌唱で発売、
ちあきさんの歌は「アフリカン・ナイト」と共にサントラ盤のみに収録されリリース。
ほとんど日の目を見る事はなく、幻の曲となってしまいました。
その後、この件に関してはちあきさんがビクターに移籍してからもたびたび取り上げられ
さまざまな憶測が飛び交いましたが、ちあきさんがこの件に関して発現する事は一切なく、
以後ちあきさんは自分のペースで活動を続けることとなりました。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

以上、ここまで当時の報道をまとめてみましたが、結局真相は分からずじまいでした。

これらについて、調べ始めた最初は「新聞記事を確認して、真相追及しよう!」
と意気込んでいたのですが、いろいろな記事を読むうちに、当時をリアルタイムで
知らない僕は、すべての記事に対して公平に臨んだほうがいいのでは、
と思うようになりました。
ですので、今回はあくまで記事の紹介のみに留めておきたいと思います。


さて、ここからはあくまで僕の個人的な意見です。

結婚後の復帰に際し、ちあきさんサイドが酒井政利氏のアプローチを受け、
酒井氏のプロデュースによって制作された「風の大地の子守り唄」ですが、
この曲が仮にヒットしていたら、ちあきさんが結婚後に望んでいた

「新曲のローテーションに迫られず、やりたい事をじっくりと(昭和56年発言)」

という活動は行えていたでしょうか。
また、それまで酒井氏がプロデュースし「リサイクル」に成功した歌手
・・・ジュディ・オング、梓みちよ、金井克子、内田あかり、大信田礼子、
坂本スミ子、黛ジュン・・・
そのほとんどが現在も活躍を続けるものの、「ヒット曲」という視点でのみ見れば、
その時のインパクト勝負というか、その場限りで後が続かなかった歌手が多いのも事実。
(もちろん、ヒットを飛ばした事自体は賞賛すべき事だと思います)
もし、ちあきさんもその流れに乗ってしまっていたら、その後の活動は
容易でなかったように思います。
「マイペースで好きな歌を歌う」という事を前提に、「歌のためになれば」と
いう気持ちもあり進出したという女優業と平行して、ビクターでアルバムリリースを中心に
歌手活動を行ったことは、むしろちあきさんにとってプラスになったのでは
ないでしょうか。

(続く)


Res:ウシオ 題名:「風の大地の子守り唄」の物語 (4) 後半 投稿日 : 2004年3月5日<金>23時37分

…と、ここまで書いて思い出した事があります。

ちあきさんのCD-BOX『ねぇあんた』がリリースされヒットし、
その話題がワイドショーで取り上げられた際に、日本テレビ『ザ・ワイド』の
芸能リポーターである、石川敏男氏が発言した内容についてです。
ちあきさんが復帰しない理由について、ご主人が亡くなった事の他に

『ちあきさんが一番大切にしていた歌を他の歌い手に
取られてしまった事に対する不満がある』

という事を挙げていました。
僕はそれを今の今まで「矢切の渡し」の事だと思っていましたが、
もしかしたら「風の大地の子守り唄」を指しているのでしょうか。
しかし、仮にそうであったとしてもちあきさんは「風の大地の・・・」の騒動の後も
芸能活動を続けていたわけで、多少の不満があったとしてもそれが大きな原因とは
言い切れないと思います。
「取った・取られた」という部分だけについて考えると、いろいろな見方は出来ると思いますが
この場ではそれについて言及しようと思いません。
複数の新聞記事を調べ、それらをここで紹介したという事を前提にして、
この歌に関してはちあきさんと黛さんとの両バージョンが存在する、
という事のみを記しておきます。


僕が小学生の時に銭湯で目撃したちあきさんに関する新聞記事について、
長い時間を置いて調べる事になるとは夢にも思っていませんでした。
今回、それらの内容を確認することが出来て、自分としては満足しています。
きわめて自己満足的な文章となりましたが、最後までお付き合いくださいまして
ありがとうございました。
そして、記事についての情報を寄せてくださったみなさんに心より感謝致します。

(了)



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