禁じられた恋の島
マニキュアがかわくまで

1972年5月25日発売
(EP)SAS-1609



ちあきさんのデビュー当時からその声に注目して作品提供を熱望していた作曲家・中村泰士が作曲。

ちあきさんがレコードデビューする前にジャズ喫茶で歌っていた頃、中村先生はロカビリー歌手・美川鯛二として活動。二人は顔見知りだったそうです。
当時の中村先生はヒデとロザンナのヒット曲を手掛けるなどしていましたが、そのディレクターがちあきさんの「喝采」から楽曲制作に深く関わる事となった東元晃氏。東元氏は「禁じられた…」からちあきさんの楽曲制作にサブ的な関わりで参加するようになり、そのタイミングと中村先生の願いがうまくリンクしたようです。

作詞は「雨に濡れた慕情」〜「モア・モア・ラヴ」までを手掛けた吉田旺。この曲の作詞に吉田先生を起用したのはちあきさんのリクエストによるものだそうで、後年の二人の対談で吉田先生は「(ちあきさんの作品を)デビュー当時の路線に軌道修正しなければならなかった」と振り返っています。

当時としては珍しい16ビートのリズムに乗って、パンタロン姿の衣装でちあきさんは熱唱。大ヒットにはつながりませんでしたが、この曲での様々な出会いや再会が次のシングル「喝采」を生む事となりました。