「ちょっと、これ…どういうコト…?」
戸惑ったような泰造の声に、俺は飲みかけていたペットボトルから口を離してそっちを見た。 上半身を脱いだトホホな格好でくすぐり攻撃を受けていた内村が、照れくさそうな顔をしつつも盛大に奇声を上げてスタジオの爆笑をさらい、カットの声がかかったところで俺はすかさず合図をして自分用の水を受け取っていた。ディレクターからの最終的なOKはまだ出ないが、内村のあの熱演ならもう十分、問題ないだろう。 例によって深夜に及んだ収録の現場、時間が時間なせいか人の数はさほど多くない。内村の側には毛ばたきを手にした数人のスタッフと、ネプチューンの三人。続けて別のパターンも収録する予定と聞いていたから、俺たちは同じ立ち位置、同じ衣装のまま、次の指示を待つ格好になっている。いつもなら揃ってモニターをチェックしに行くところだけど、今回はくすぐられ役の内村がまだセットに繋がれた状態で動けないから、なんとなくそれにつきあってやっているってな感じ。とりあえず喉が渇いていた俺は、水を貰って。ペットボトルの封を切り、口をつけたところで、泰造の戸惑った声が聞こえてきた。 「ねえ、これって…何? 潤ちゃん、これどういうコト?」 傍らにある内村の裸身と、名倉と健の顔とを交互に見ながら、泰造が泣き出しそうな声を出す。 カメラはとっくに止まっているというのに、悪ノリした泰造は一人いつまでも内村の横にひっついて、反撃されないのをいいことにその身体をつつき回して遊んでいたらしい。「やめろ泰造、バカ、やめろって」とかなんとか、文句を言いながらもくすくす笑っている内村も内村なら、泰造の悪ふざけを止めようともしないネプの二人も二人。横で見ていたスタッフも、しまいには呆れて次の作業に行ってしまった。しょうがねえなあ、と俺も苦笑しつつ、他愛もないそのやりとりを聞くともなく聞いていたのだが― 「内村さん…どうしちゃったの。ねえ潤ちゃん、どうしようこれ」 「どうしようって…どういうことや」 「おういっ! 内村さぁん!」 おろおろしている泰造をどかして、健が内村の髪を横から両手でつかみ、耳元で遠慮もなく大声を出す。内村は…答えなかった。笑っていたはずの目はいつの間にか閉じられ、下に向いてうなだれた頭はぴくりとも動かない。健が手を離すと、内村の両手首を止めている黒い面テープの端が白い腕の上でぱたぱたと揺れた。長時間、頭上高く上げられたままでいた腕は、いつもにも増して白く、血の気を失っているように見えた。放っておけばそのまま身体もロウのように白く固まってしまうんじゃないか、そんなことを思わせるくらいに、内村は両手を上げて吊るされた姿勢のままでがくりと首をたれて静止していた。 「え、気、失ってんの…ウソやろ。いくらなんでも、そんなわけあるかいな」 「さっきさー、内村さん、なんかヘンな声出してたじゃん。あッ!って。あれがほら、あれだったんじゃないの」 「あれって何だよ、健?」 「えっと、ほら、だんまりじゃなくて、壇ノ浦じゃなくて…あ、そだ、断末魔!」 「ああそうか…って、殺すな!」 傍らで交わされる会話も耳に届いてはいないのか、内村は下を向いたまま、相変らず固く目を閉じ、硬直しているように動かない。 「泰造がいけないんだぞ。乳首なんか触るから」 「触ってねえって! …ちょっとしか」 「やっぱ触ってたんじゃんかよ。内村さん、こんなんなっちゃうなんて、どんな触り方したんだよ」 「どんなって、普通だよ」 「普通ってどんなだよ」 「だから、これくらい」 泣きそうに情けない顔をしてみせながらも、泰造は片手を伸ばして健の胸にちょんと指で触れた。 「あ、ウソだね、そんなわけない。本当はこれくらいだろ」 乳首のあたりを軽くつつかれた健は、すかさず自分も手を伸ばして泰造の胸を触り返す。 「ちがうったら! マジでこれくらいだったってば」 「とかなんとか言って、本当はこれくらいだったんだろー」 「健、いくら俺でもそこまではやんねえって。マジ、これくらい」 「いやいやいやいや、これくらい」 「おまえらアホか!」 泰造と健のくだらないやりとりに、お約束のようなタイミングで名倉のツッコミがはいる。 「何、ちちくりあってんねん。状況、考えろや…それにしても…」 動かない内村の裸身をちらと見て、名倉は首をひねった。これが本当に深刻な事態なのかどうか、まだ半信半疑といった顔で、仲間二人と内村とを見比べている。 「医者、呼んだほうがいいのかな。潤ちゃん、どうしよう? やっぱ、俺のせい?」 本当に泣き出してしまいそうな、世にも悲しげな顔で言う泰造の肩を、名倉はなだめるようにぽんぽんと叩いてやりながら、なおも首をひねっていた。横で健も、さすがに心配になってきたという顔で二人を見ている。 そして…その様子を一歩下がったところでうかがいながら、俺はゆっくり、水をひとくち口に運ぶ。 ごくりと喉を鳴らして水を飲み込むと、けげんそうな顔でこちらを向いた名倉と視線がぶつかった。 南原さん、どうして何も言わへんのやろ? そんな顔が俺を見ている。
ったく。 なんでわかんねえんだよ。
飲みかけのペットボトルを手に、俺は連中のほうへ歩み寄った。道をあけるように三人がさあっと脇へのき、俺を迎える。思わずくすっと笑いそうになるのをひとまず我慢して、俺は動かない内村の正面に立った。
…罪のない顔しちゃって、まあ…。
目を閉じた内村の顔を軽く睨みつけ、俺はまたひとくち水を口に含むと、内村の鼻先あたりをめがけてそれを思い切り吹きかけた。 「―ひゃあ! 冷てっ!」 「失神したフリして休憩しようったって、そうはいかないんだよ、ウッチャン」 「あ、南原、ひでえ―ああ、びっくりした」 鼻から顎へ、水の粒を滴らせて、内村がぶるんと首を振る。 「何が、びっくりした、だよ。おまえなあ、あんまり人騒がせなことすんなよな。そんな格好で、シャレになんないだろ」 「へへ、バレてた?」 「バレないと思うほうがおかしい。つうか、こんな体勢で休憩できるおまえの神経がまず、おかしい」 「…はあ!? 何? これ何? ドッキリ!?」 素っ頓狂な声でそう言って、泰造はぐるぐるとそこらを見回した。あたりの緊張が一度にほどけていく。けたたましく健が笑い出し、名倉は、心底呆れた、という顔で俺たちを見て小さく苦笑した。 「けど南原、なんでわかったの?」 「なんでって、あのな、ここは本物の拷問部屋でもなんでもないんだから―マジでお前が気絶して、そこに体重かけたりしたら、こんなセット、ツブれるに決まってんだろ」 「ああ…そりゃまあ、そうだよな」 「ったく」 「あ―」 間延びした声が、俺と内村の会話を遮って響く。ようやく状況がのみこめたらしい泰造は、怒り出すかと思いきや、やたら嬉しそうな微笑を顔に貼り付けてこちらを見ていた。 「よかったあ―内村さんの身に、なんかあったんじゃなくて」 ホッした顔で言う泰造の頭を、名倉が後ろからこつんと一回叩いて、アホか、と笑う。頭をかく泰造を前に、内村はその時はじめて、少し申し訳なさそうな顔をしてみせた。 「泰造…」 「安心したらなんか喉かわいちまった。俺もなんか貰ってこよっと」 子供みたいな満面の笑みを浮かべて去る泰造を、健と名倉がくすくす笑いながら追う。 「…ああいう奴、からかうのもたいがいにしとこうな。内村」 「まったくだ」 「どうせ騙すなら、カメラが回ってる時にしようぜ」 「ああ―なあ、南原」 遠くで、満足そうに誰かが声を張り上げるのが聞こえる。確認作業を終えたらしいディレクターの、大きく手でマルを作っている姿が見えた。何事もなかったように、次の仕事に向けて人々が動きはじめる。みんな忙しそうだよな―こっちも忙しいんだけど。 「あ、悪い、なにか言いかけてたっけ?」 思いついて内村のほうを見ると、内村はまだ少し濡れた顔のまま、軽く首を傾けて静かに俺を見ていた。軽く閉じた唇の端はいつものように上にあがっていて、表情はどこか誇らしく、半裸だというのに惨めさのかけらも感じさせない。
ねえ、俺、面白かった?
口には出さなくても、内村のその目がそう問いかけているのがわかった。 おかしいくらいに、はっきりとそれがわかるから―俺も口には出さず、ただ目だけで答える。
すごく面白かったよ。
―それが、一番大切なことだから。
「さてと。そろそろ次いくぜ。とっととそのテープ、はずして貰えよ」 「んー、でも、もうちょっと…」 「もうちょっと? このままがいいの? ウッチャン、そんな趣味あったっけ?」 「な、わけないだろ、バカ。けど…これ、終わったら、次はあれでしょ…」 すでに準備されている、次の「あるある」の装置を気にして、内村は小声で俺に言った。 「痛い目にあうのは俺なんだからさ。少しくらい、休ませてくれてもいいじゃん」 「だめ」 「鬼!」 「なんだとぉ?」 置きっぱなしだった毛ばたきの一本を素早く手にとり、内村の背後にまわる。 「あんまりぐずぐず言うウッチャンには、オシオキしちゃうよ」 「へ?」 きょとんとして俺の動きを見ていた内村の口から、ほどなく悲鳴が聞こえることになる。
面白いことが、一番大切。 それが一番の、俺たちの大切なものだから。
「…うそっ! あわ、おーい、助けて、誰か早くここから下ろして! 南原が、南原がぁ〜っ!!」
面白けりゃなんでもいいなんて、そんなことは思っちゃいない。 けど、面白いほうがいい。 そのためなら、なんだってできる。内村も、俺も。 面白いものを作り続けるためなら―作り続けるためのこの場所をなくさないためなら、どんなことだって耐えられる。 そうだろ? だから―走り続ける。 気負わずに、気取らずに、内なる流れに身をまかせて―。
「ひゃはははは! わかった、南原さん、わかったから! もう、やめれ!」
収録は、まだまだ終わらない。
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