♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ

▼2011.10/15 〜デニス・リッチー氏、死去〜

享年70歳。10月9日の事だそうです。昨日、ネット見ていて知りました。
ご冥福をお祈りします

当WEBページ、前回更新が4月17日だから、半年ぶりの更新なのね。さすがに、半年もの間更新しなかったのは、当ページ立ち上げて以来、初めてかな。
半年ぶりの更新が、デニス・リッチー氏逝去へのお悔やみになるとは…残念です。
お悔やみついでに言うと、スティーブ・ジョブズ氏も10月5日に亡くなりましたね。マスコミ的にはこちらのほうが遙かに大々的に騒がれましたが。私にとっては、リッチー氏死去のニュースのほうが100倍、ショックが大きいです。(※ジョブズ氏も、ある意味、好きですが…)

ソフト業界、或いはIT業界、或いはそれに深く関わる業界で仕事していて、「C言語の開発者」リッチーを知らない人はモグリ。
もう少し正確に言えば、「C言語の原型を作った人達の一人」。「Cのバイブル」と言われる『プログラミング言語C』(英題:"The C Programming Language")の共著者です。
この本は、二人の著者、ブライアン・カーニハンとデニス・リッチーの頭文字を取って『K&R』と言われ親しまれています。プログラミングの解説書(規格書の面も持つ)という、ある意味専門書なのに、日本だけで100万部出ていると聞きます。こんな専門書は他に無い。全てのジャンルの専門書の中で、ベストセラーでしょう。(※但し、この本の読者でも内容をきっちり理解している人は、1割も居ないような気がする)

私が今メシを食えているのも、C/UNIXマスターであるからという面が大きく、当然、『K&R』やその後のANSI改訂版には、お世話になりました。
また、C言語というプログラミングのテクニカルな面だけでなく、UNIXを作った人達の「自由な精神」とでも言うべきモノにも、私は強く影響されています。
ぶっちゃけ、これらC/UNIXの開発元の人達−リッチー、カーニハン、それにケン・トンプソンなど−の、誰一人として、私は直接お会いした事は無い。無いけど、人生は、遭った事の無い人からでも強く影響を受けうるという典型みたいなものですね。私の場合は。

現代は、人が意識しようがしまいが、至る所でコンピュータが動いている時代ですが、これらのコンピュータ・プログラムのかなりの部分(正確なパーセンテージは勿論分からないが、へたしたら過半数)は、C言語及びそこから派生した言語−C++とかC#とか、Javaもある意味含まれるかも−で、ソースコードが書かれているのは確実。
そういう事に思いを致すにつけ、リッチー氏の功績は計り知れないですね。
▼ 2011.10/28 〜デニス・リッチー氏追悼の意を込めてC言語について〜

C言語は、いわゆる高級言語の中では「危険な言語」と言われます。事実、素人が扱うと簡単に暴走(別名ハングアップ、orフリーズ)を引き起こす言語なんですが…
そもそもトンプソンやリッチーがC(の原型)を作った動機は、「アセンブラより書きやすいものを!」の一点だし、しかもあの時代−1970年代初め頃−は、素人がプログラミングするなんてあり得なかったから、Cの言語仕様に「手抜き」や「欠点・欠陥」があったりするのは、致し方無いんですよね。

つまりCは、一言で言えば「プロの為の道具」であって、素人が扱った時の危なさは元々考慮されていない。
Cが「危険な言語」という印象を持たれている大きな理由として、日本で90年代あたりに、基幹業務でCOBOLからCへ、科学技術計算系でもFORTRANからCへ、という移植が流行った頃−特に金融機関のオンライン業務みたいな典型的な「業務系」システムすらCで書き直された頃−に、にわか仕込みのCプログラマが粗製濫造された影響が大きいと思います。

え?そもそも「何でわざわざ危険な言語で書き直すのが流行ったか」って?ごもっともな疑問ですな (f^^)
一言で言えば、「理由なんて無い」。と私は思ってるけど、強いて言えば、Cは(アセンブラで書くのを別にすれば)「どの高級言語よりも処理速度が速い」からでしょうね。但し、業務系なら、処理速度に拘る必要なんて無かったとは思いますけどね。
言ってみれば、たぶん単なる「流行」。流行ってたから、Cをよく知らんお偉いさんが「ウチもC(とやら)で書き直せ」って号令してたんでしょう。バブル期はカネ余ってただろうし ヽ(^。^)丿

「Cはポインタが難しい」とよく言われますが、より正確に言うと、「ポインタの使い方を誤っている人がよくいる」と言うべきかと。(※使い方を誤らせる事が、難しいという事だ!と言われればその通りですが…逆に、Cは、ポインタさえ正確に理解してしまえば、あとは難儀な事は何も無い、と思います。言語仕様はコンパクトなので、覚えなきゃならん事はあまり無いし【2011.10/29追記:まぁ、処理系がDOSの場合には、「64KBの壁」と言われた厄介な制約もあったりして難儀な事は何も無い、とは言えませんでしたが…でもそれはDOS独特の難儀さであって、C本来の仕様とは関係無いですからねぇ】)
COBOLやFORTRANから来た人は、「ポインタ」なんて概念には初めて触れるから、まずは戸惑う。けど、戸惑ってるうちはまだ良くて、Cソースコードの実例を見ているうちに、また、実習でトライ&エラーを何度か繰り返すうちに、何となく「分かったつもり」になる。これが怖い。
分かったつもりになる人は、「何だ、要するにポインタって配列の事なのね」と解釈するわけです。(その解釈は半分正しいけど…)
かつ、業務系システムの開発は人海戦術だから、現場はとにかく早く人が欲しいので、わずか1〜2日の「C言語研修」のあと、実業務に配属される、と。まぁそんなノリで、にわかCプログラマが大量生産&大量投入されたので、結果的に、Cで書いたソフトは深刻な問題を引き起こす事がままあったため、「C言語は危険」という印象を与えたのかな、と。

作った当人のプログラムがまともに動かないならまだ分かりやすくて良い(良くはない)が、逆に当人のプログラムは一見ちゃんと動いてる(ように見える)が、その後動かす他の人が作ったプログラムが動かないとかね。(;´д`)
他人のエリアを見事にぶっ壊してくれるプログラムは、そういう事がよくありましたよ ヽ(^。^)丿
あと、初期化しない局所変数を使ってしまうために起こるバグも、頻繁にありましたね。Cでの変数の考え方は、COBOLやFORTRANと一部異なり、「変数の寿命」があり、かつ寿命にも種類がある。という事を、にわかCプログラマは理解していない−そういう重要な事を研修で教えないほうが悪いんだが−ゆえに引き起こすバグ。
昔のCコンパイラは初期化忘れに警告を吐かないのが殆どでした−何しろコンパイラも言語仕様と同様コンパクトで、手抜きが多かった(苦笑)−から、初期化忘れが特定のパスを通った時のみ起こる場合、その不具合たるや、(素人同然の人しか居ない現場だと)原因究明に深刻な時間・労力を要する事も多かった。

まぁともかく、そういう粗悪なプログラムは、プロがコードを精査すれば大抵すぐ分かるんだけど、如何せん90年代の特に前半なんてプロが少なくて。(幸い私はプロとして扱われていましたよ ヽ(^。^)丿)
品質保証には、どこも苦労していたと思います。
▼ 2011.12/18 〜お気に入りサイトの一つ、『がんばれ!!ゲイツ君』がクローズするようです〜

気付くのが遅くなってしまってアレですが…タイトルの通りです。
本日、たまたま一ヶ月ぶりくらいにN.TONOSAKIさんのサイトを見ましたら、12月10日付けで「WEBサイトクロージングにあたり」という文言が。。w( ̄△ ̄;)wおおっ!そうか、時代の流れには抗しがたく、開設から15年を機に閉鎖するのか…と。

何はともあれ、お疲れ様でした、TONOSAKIさん m(_ _)m

TONOSAKIさんが書かれている通り、当該サイトでの主役、ビル・ゲイツ氏がMicrosoftの経営から退いて既に数年経ち、ライバルのスティーブ・ジョブズ氏が今年亡くなり、で、キャラ的に「ネタにしやすい」人達が表舞台を去ってしまってはねぇ。。
加えて、かつてはソフト業界/IT業界で文句なしのトップ企業だったMicrosoftも、今や時価総額でAppleやGoogleの後塵を拝する有様。No.1企業だったからこそ、その暗黒面を追及する意味も面白味もあったけど、今やNo.1じゃないですからね、書くほうもモチベーション上がりませんわね (f^^)

そういう点では、私も同じです。
私もかつては名うての「アンチMS」(←この表現も既に懐かしい部類だね)でしたが、今やMSはWindowsで辛うじてPCの世界をまだ牛耳っているものの、スマホの世界とかゲームの世界とか、音楽・動画配信サービスとか、ましてや飛行機や自動車等の組込機器の世界とか、要するにPC以外のジャンルでは大きな武器も無く…っていう状態だもんね。No.1だからこそ、そのお行儀を監視する必要もあったけど、今やNo.1でない所を厳しく監視したって…
いやしかし、かつてはあれほど傍若無人に振る舞えてたMSが、今やトップランナーではないんだから、ITの世界ってほんと、栄枯盛衰が激し過ぎますわ。。

そんなこんなで、TONOSAKIさんが今回WEBサイトを閉める決断をしたのに倣い、私も…と思わないでもないですが、まぁでも今しばらくは、この古くさい「WEBサイト」という形で、自分の駄文を書いていこうかな、と思っている次第です。
理由?マイペースで書きたいから。だって、TwitterとかFacebookとかって、頻繁につぶやいていないといけないイメージがあって、どうも面倒臭いんですよね (^〜^;)ゞ
▼ 2011.12/21 〜上田馬之助氏、逝く〜

まさに今日、上田馬之助さんが亡くなったそうです。1940年生まれ、享年71歳。
何はともあれ、ご冥福をお祈りします <(_ _)>

レスラーとしてのピークはとうに過ぎていた1997年に、参戦していたIWAジャパンの巡業バスが事故に巻き込まれ、運転手(IWAジャパンの社員)が即死、レスラー数人も瀕死の重傷を負う大事故に遭って、上田馬之助さんも脊椎を損傷して、以来、車いす生活を余儀なくされたんですよね。

タイガー・ジェット・シンと長く組んでいたし、竹刀を振り回して暴れる姿が印象に強いから悪役イメージだけど、実は馬之助さん、昭和のレスラーの多くがそうであったように、知る人ぞ知る「シュート」(≒真剣勝負に強い選手)だったんよね。

1987年だったかな、新日対UWF、5対5のイリミネーション・マッチ。当時怖いモノ無しの前田日明が、ハイキックを何発も上田に決めても全く倒れず、業を煮やした前田がフライングニールキックをぶちかましてやっと尻餅をつかせたシーン。藤波辰巳や木村健吾を簡単にダウンさせてきたハイキックが、上田には効かず、前田がかなりイラッときてるのが良く分かりましたよ (f^^) 上田馬之助のタフさ、打たれ強さは半端じゃなかったね。
あの試合では、結局上田は前田の右脚を取って自ら場外心中、UWF側エースの前田を自分と一緒に失格に追い込んで、してやったり。
お蔭で一人残った猪木が、UWF側で残った高田延彦と木戸修を連続で仕留めて、新日が勝利を収めたわけで。あの試合のMVPは前田を失格させた上田ですわね。

1978年の、日本武道館でやった猪木との「ネイル(釘板)・デスマッチ」も忘れられない。当時、あんな「邪道な」試合は無かったもんね。
宿敵同士とは言え、心の奥底では恐らく実力を認め合っていたと思われる、猪木と上田だからこそ成立した試合でしょう。

とにかく、昭和の強豪がどんどん亡くなっていって寂しいけど…まぁ時の流れだからね、仕方無いよね。

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