♪過去の雑談♪(単なるゴミ箱ですσ(^o^ゞ)

◎ 2003.12/15 - 広末涼子の「できちゃった婚」も吹っ飛ぶ(^^;、色んな意味で大きなニュースが、昨日(日本時間で)飛び込んできましたね。勿論、逃亡していたサダム・フセインが米軍に身柄拘束されたってニュースの事ですが。
寒村の農家(ふうの家)の穴蔵の中に潜んでいた所を捕まったそうですが、かつてのオウムの麻原彰晃と言い、今回のサダムと言い、追われる身の独裁者は、どうも狭い所に潜むのがお好きなようですな。\(^o^)/

さてそれはそうと、便利な時代になったお陰で、インターネットで世界中のニュースメディアの取り上げ方、報道の仕方などを見る事ができるんですが、日本のマスコミはろくに報道していないようですが、イスラム世界の反応が、実は結構(日本人的な感覚からすると)興味深いんですよね。

つまり、今回、サダムが拘束された時の事が伝えられるにつけ、イスラム世界の人達には「なぜ自爆ベルトを巻いていなかったんだ?」とか「なぜ銃を持っていたのに自分の頭を撃ち抜かなかったんだ?」などの驚きの声が上がっている、っていう点ですね。これは、エジプトとかトルコとか、「比較的穏健な」イスラム国の人達の間で特に言われているそうです。

今更僕がこんな所で書くまでもなく、サダムはとっても狡猾な人間です。今回のイラク戦争に於いても、戦争が始まるとイラク国民をほっぽって自分は(直前にバグダッド銀行【2003.12/17訂正:『バグダッド銀行』などというものは存在せず、『イラク中央銀行』が正しいようです】から900万ドル以上を引き出し【2003.12/16訂正:10億ドルだそうです。どこから900万ドルなんて数字が出てきたんだろ?(^^;】)さっさと地下に潜り、ひたすら逃亡を続ける分際でありながら、「聖戦」だの「殉教」だのを名分に、対米英軍徹底抗戦を地下から呼びかけ続けてきた訳です。(テロリストに資金援助もしてきたようです。)

にも拘わらず、自分がいざ捕縛される時には「撃つな、私はイラク共和国大統領だ」と、命乞いまがいの台詞を口にする体たらく

イスラム圏には、サダムを「確かに危険な人物だが、米欧の圧力に屈せず丁々発止と渡り合うさまはある意味尊敬に値する」と思っていた人が、意外なほど多い訳です。また、だからこそ、「世俗国家」イラクの大統領でありながら、「殉教者集団」アルカイダの親玉、ウサマ・ビンラディンと同様に、一種の憧れを抱く人も多かったと言える訳です。

それが、今回の拘束劇で露呈した、人を聖戦だ殉教だとそそのかしておきながら、自分は命惜しさに抵抗もせず自爆もせず、という姿に、失望と落胆と不信の気持ちが広がったのは、とても大きな意味がありますね。
これで、イラク国内で起きるテロに、もはやイスラム圏の人達すら、何らの大義名分を見いだす事もできないでしょう。
日本は、堂々と、イラク復興支援に乗り出せば良いし、自衛隊を送る事も勿論やるべきですね。
(僕は、非常に個人的な意見(まぁ妄想やね(^^;)ですが、今回、このタイミングで、サダムが拘束されたのは、日本が世界に対し「イラク復興支援、断固としてやる!」という姿勢を示したのを、天が見ていたからだと思っています。直接的にサダムを拘束したのは勿論米軍ですが、日本の「精神的」支えが与って大きかったのでは、と勝手に思っています。)
(あと、偶然と言えば偶然ですが、もう一つのテロの温床国家、復興道半ばのアフガニスタンで、やっとロヤ・ジルガが始まりました。これも天の配剤ってやつでしょうか。)

あと、もののついでなので書いてしまいますと。
アルカイダ(を名乗る連中)がしきりに日本に対しても脅し文句をたれていますし、日本のマスコミにも、いささか煽動的な報道をしたりしている社もありますが。「東京で天然痘テロが!?」とか「原発に飛行機が突っ込んだら!?」みたいなね。(^^;
しかしながら、僕が思うに、日本は、と言うより世界は、アルカイダ(に限らず、イスラム原理主義過激派)を過大評価していると思います。
確かに狂信者集団ですから、恐いっちゃ恐い連中ですが、如何せん、大規模テロを何回も何十回も遂行するには「命を捧げた忠実な」メンバーの絶対数が余りにも少ない。「イスラム以外の世界」の全人口を、自爆テロだけで全滅させる事など、勿論不可能な事です。

考えてもみなされ(←何者やアンタ(^^;)。
日本でも、「60年安保」や「70年安保」など安保闘争の嵐が吹き荒れた時代がありますけど、あれだけ左翼学生運動が吹き荒れた時代でも、「本当の、命を捧げた」過激派など、数えるほどしかいません。まぁ、逆に、命を惜しまぬ連中には、数が少なくてもどんな事をやるか分からん怖さは当然ある訳ですが。(オウムだって、忠実な信者の数はたかが知れてたけど、あれほどの大事件を起こした訳ですからね。)

だから、アルカイダほか国際テロ組織を、甘く見るのは禁物であるにしても、所詮極めて限られた人数しか居ない組織なのだから、実態以上に「正体不明の怪物」として過大評価し恐れる必要など無いって事です。
アルカイダにしても、元々はソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗したゲリラ達の同期会・親睦会みたいな集まりだった訳ですしね。(^^;ビンラディンが牛耳るようになってから国際テロ組織へと変貌してしまいましたが...
◎ 2003.12/31 - 恐らく今日が今年最後の更新になるかと思います。(そりゃ大晦日やからねぇ(^^;)

クリスマス直後から本日まで、ちょっと旅に出ていたんですが、そのたった数日間でも、世の中ではエラい事故・災害が連発しとりましたね。

中国・重慶では天然ガス田の爆発で200人ほどが死亡、数百人が重軽傷。さらにイラン南部・バムでは直下型の地震で二万人以上(一説には四万人とも!)が死亡だとか。
重慶の天然ガス田のほうはガスの噴出も収束して、これ以上被害が拡大する事はなさそうなんですが、イランの地震のほうは、これから生存者の救出作業、遺体の収容作業に、やっと、取りかかろうという段階ですよね。これからが長い闘いな訳ですよね。日本を含め、世界各国から救援チームが派遣されていち早く活動を開始しておりますが、彼ら(殆どはNGOの人達でしょう)には本当に頭の下がる思いです。私からは「頑張って下さい」としか言えませんが。

ところで、今回のイラン地震の災害復興に対しては、国交の無いアメリカからも「救助チームを派遣する用意がある」と申し入れがあり、どうやらイランもこれを拒否する気はなさそうなんですが、イスラエルからの同様の申し入れは拒否しておりますね。(^^;

まぁ、1979年のホメイニ革命以降、イランは(建前上)イスラム原理主義にかなり近い思想で国家を運営してきた(注*1)から、アラブ・イスラムと常に対立してきたイスラエルからの救助申し入れなんぞは断固拒否する、ってのが建前なのかも知れませんが。

でも、これって、非常事態にある今、イランにとって決して賢明な選択では無いように思えますね。
イスラエルのこういった災害救助方面での技術・ノウハウは間違いなく世界でトップクラスですし、ここは建前よりも実質を優先すべきだったのではないかと。人命救助を優先するなら、ですが。(^^;

まぁ尤も、こんな事は宗教戦争の起きた事の無い日本でのほほんと育ってきた人間だから言える事で、人命よりも優先する大義(と言うよりハッキリ言えば恨み・憎しみでしょうね)がアラブ・イスラムやユダヤにはあるんでしょうから、もう私らには手出しができませんけど。内政干渉になるしね。(^^;

(注*1)だからこそ、この国も民主主義(※例えばトルコ共和国のような、イスラムなりの民主主義)にはほど遠いんだよなぁ、と感じざるを得ません。大統領よりも宗教指導者のほうが実質的に権力を持ってるんだもんね。(大統領は名、宗教指導者は実、って感じですかね。)今のハタミ大統領とハメネイ師の関係がそんな感じでしょう。しかも、ハメネイ師がガチガチの保守派だから、ハタミ大統領の考える改革(※例えば女性の権利保障・社会進出)は全然進まない、ってのが実態ですもんね。どこの国にも抵抗勢力ってのは居る(^^;し、(たとえ名目上であっても)国家元首ってのは大変です。\(^o^)/
◎ 2003.12/31 - それにしても、たまたま話がイランつながりになってしまうんですが。
イランが、IAEAの「抜き打ちの強制査察をも受け入れる」内容の追加議定書に署名した(※事実上の核兵器開発放棄宣言)と思ったら、何と、アメリカの仇敵・リビアも、「過去に核兵器開発を試みていた」事を突然認めた上で、「IAEAの全面査察を受け入れる」と宣言したではありませんか。\(^o^)/

これは、今までのリビアとアメリカのいがみ合いを知ってる者からすれば、まっこと驚くべき事ですよねぇ。

リビアの(事実上の)国家元首・カダフィ大佐がインタビューで
「我々は、過去に核兵器を開発しようとしたのは事実だが、保有するには至らなかった」
「それを証明する為にIAEAの全面査察を受け入れる事にしたのだ」
北朝鮮も、我々にならってIAEAの査察を受け入れるべきだ」
アメリカによる我が国への経済制裁の解除を望んでいる
などと答えているのを聞いて、正直、唖然としました。(^^;
今までのカダフィ大佐と、言っている事が180度違うじゃないですか。\(^o^)/

カダフィ大佐は実はCIAに消されていて(^^;、この受け答えをしてるのはCIAの用意したそっくりさんなんじゃねーか、等とも思える位の、豹変ぶり。驚きました。
でも、実際、そっくりさんとも思えませんし、本当にリビアが方針転換した、って事でしょう。

やっぱり、今更ながら、イラク戦争の衝撃は周辺国にとっても大きかった、って事ですよね。
「核兵器・大量殺戮兵器開発疑惑のある国」に対する「アメリカの本気度」を、はっきり示したって意味では、非常に大きな意義を持っている(注*1)訳です。『世界の警察』が、本気で取り締まるぞ、という姿勢を見せたのが、暴力団やチンピラにとっては大変な恐怖であろう事は容易に想像できますよね。
今年、イラク戦争が仮に無かったなら、イランは未だにIAEAの査察受け入れ要求をのらりくらりとかわし続けていた可能性大です。リビアも、ここまではっきりと方針転換したか、甚だ疑問です。(※リビアの場合は、経済の行き詰まりが限界にきていたという話もあり、いずれは方針転換したのでしょうけれど。)

そう考えると、たとえアラブ圏・イスラム圏といえども、「国家」として成立している集合体に於いては「核兵器・大量殺戮兵器開発の放棄」が、今後の流れになっていくのは間違いないでしょう。
核兵器開発の疑惑を持たれたばっかりに経済制裁・経済封鎖されて、国民が食うにも困るような状況に陥ってしまうんじゃぁ、本末転倒だって事にやっと気付いてきたんでしょう。(本来、豊富な石油資源の恩恵で豊かな生活を送れる筈の国民が、石油輸出ができない為に貧しい生活にあえいでいるとしたら、おかしな話ですからね。)
「民より国」という考えではいずれ国が滅んでしまうのは自明の理ですから。

こうなると、今後の世界の図式がどういうふうになるか(は考えるまでもないのですが)。

「国家という集合体」の連合vs(アルカイダのような)「非国家」集団

少し表現を変えれば

「国際社会」という(仮にも)秩序連合vs「国際テロリスト集団」という無秩序集団

という対決図式になるのは明らかです。

こう考えると、2001年の9・11テロ以降、「対テロ戦争」という、これまでの「国家間戦争」という形と大きく異なる戦争形態に、こちらが好むと好まざるとに関係なく(^^;戦争の姿が変わってしまいましたが、「対テロ戦争」は既に早くも正念場を迎えている、という認識が正しいように思えます。

勿論、日本は「秩序連合」側の一員ではありますし、国際社会構成員の大多数が、国家単位としては「秩序連合」側につくでしょうから、人・物・金のいずれをとっても、見た目上は「秩序連合」側の圧倒的優位なのは間違いないでしょう。

しかしながら、懸念材料も無い訳では無くて、
(1)国家単位としては大多数が「秩序連合」側であるにしても、国家内に紛争を抱えていて政情・治安の安定していない箇所(いわゆる「権力の空白地帯」)は、「無秩序集団」の温床となり得る(※今のイラクやアフガニスタンはその典型。中南米や東南アジア、アフリカにも火種はいっぱい)。

(2)「無秩序集団」側は、「他人の幸福をぶち壊せればそれでOK」という、もはや建設的思考のこれっぽっちも無い連中であり、手段を選ばないだけに、その恐怖から腰の引ける国が続出すると、「秩序連合」側の瓦解にもつながりかねない
などです。

改めて言うまでも無い事ですが、「無法者には厳正な対処」。これしか無いです。
但し、厳正な対処の前に、「無秩序集団」の温床となっている、貧困問題とか、民族対立問題・宗教対立問題とかの、もっと根源的な様々な問題を解消すべく、「秩序連合」側が努力しなければならないのは言うまでもない事ですが。(※「無秩序集団」ってのは結局、ウィルスと同じで、正常細胞が弱ってる所に繁殖してくる訳ですからね(^^;。正常細胞が、強く健康である限り、繁殖しようがない訳です。)

(注*1)私、以前からさんざん言っているのでもう繰り返さなくても良いかとも思うんですが、再度述べます。「イラク戦争の大義名分だった大量破壊兵器が未だ見つかっていない」から、イラク戦争は間違いだったのだ、という論調は、おかしい筈です。理由は(1)「まだ見つかっていない」だけで、「無い」とは証明できていない。と言うより、過去の実績(※クルド人虐殺にマスタード・ガスを使用した実績など)から大量殺戮兵器は間違いなく存在する。(2)サダム・フセインの暴虐恐怖政治からのイラクの解放、も重要な大義であり目的であって、「核兵器や生物化学兵器」の捜索だけが目的ではない。の2点からです。
◎ 2003.12/31 - 本日3発目ですが、話題は変わって。(何しろ、この数日間、旅行中だったので、ニュース等を見て、「WEB更新したい!」と思ってもできなかったもんですから。)

プロボクシング日本人初の世界チャンピオン、元世界フライ級チャンピオンの白井義男氏が、亡くなりましたね。12/26(金)に肺炎で亡くなられたそうです。
1923年生まれ、享年80歳だそうです。ご冥福をお祈りします。m(_ _)m

1952(昭和27)年5月19日に、後楽園球場で当時の世界フライ級チャンピオン、ダド・マリノ(米国)に挑戦、15R判定勝ち日本ボクシング界初の世界チャンピオンに就いた一戦は、永久に語り継がれる事でしょう。(何事に於いても、「初」の付く偉業は永く語り継がれるものです。)

奇しくもその前年(昭和26年)の9月に、サンフランシスコ講和会議に於いて、日本が国際社会に復帰した(いわゆる主権を回復した(←但し学術的(国際法的)には、この時の講和条約で本当に日本の主権が回復されたと言えるのかどうかは、賛否あるらしいですが))という事実も、まさにこの白井義男−ダド・マリノ戦が日本の「戦後復興」を象徴するスポーツ界の画期的出来事であったという事を、より強く印象づけるものがありますね。

白井義男氏と言えば、彼にボクシングを教え込んだアメリカ人のカーン博士との二人三脚が有名でしたが、そのカーン博士が年老いてからは、自分で引き取り(※カーン博士には身寄りがなかった)、博士が重度の痴呆症にかかっても献身的に看護を続けた事でも知られています。
ボクサーとしても勿論傑出した選手でしたが、人間的にもとても尊敬できる人でした。

最近でも、10年位前になるでしょうか、同じく元世界チャンピオンの具志堅用高氏と共同で『白井・具志堅スポーツジム』というのを開設して、若い人達にボクシングを指導し続けていました。単なる「名前貸し」の設立者ではなく、老体(失礼)に鞭打って、自らリングに上がって指導していたそうです。
最後まで、ボクシング一筋の人生だったようです。

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