世界ヘビー級チャンピオン


 約十日ぶりの更新になりますか。まあ、当ホームページは、今のところ不定期更新という形でやっておりますので、更新の間隔には、今後とも波があると思いますが、飽きずに宜しくお付き合い下さい。

 で、今回もまた、例によって、MSやMSKK(注1)のネタは、いくらでもあるんですねぇ、これが(笑)。例の、JAVAをめぐる、MSとサン(及びサンに与する陣営)の確執がらみでも、次々と色んな情報が入ってきますし、また、このJAVA論争をきっかけとして、今アメリカで(そして一応日本でも)MSのヤクザ商売の実体解明が進められているので、裁判の行方次第では、例のWindows98の出荷時期に影響が出そう(98年中の出荷ができなかったら、Windows99になるんかな?)であるとか、色々、私にとっては興味深い情報が、次々と入ってきてます、インターネットでニュースなどを見ていますとね。ただ、余りにも情報が多すぎて、私の能力ではまとめきれないのと、MSのあまりのド汚いやり方の話題を毎日のように見せつけられていますと、いい加減ウンザリしてきまして、反動で、たまにはもっと清々しい話を聞きたいもんだ、とか思ってしまいます。よって、今回は、MSやらパソコン業界やらの話から全く離れて、唐突にもスポーツ(と言っても私の書くことですので格闘技)ネタでいってみたいと思います(笑)。まあ、何せエッセーですから、こ ういうこともあります(笑)。

(注1)そう言えば、全く説明してありませんでしたが、当ページでは、基本的に、MSと書けばMicrosoft米国本社を指し、MSKKと書けばマイクロソフト日本法人を指すものとします。また、それらを総称してMSと書く場合もあります。

 現在、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンと言えば、(有象無象の怪しげな団体のチャンピオンは別とすると)WBAとIBFのチャンピオンであるイベンダー・ホリフィールドが思い浮かびますね。彼は、確かクルーザー級あがりで、ヘビー級転向したての頃は、いかにも線が細くて、強そうには見えなかったんですが、それこそ十年近い歳月をかけて、肉体改造を成し遂げ、今ではすっかり逞しいヘビー級になりましたね。しかも、肉体がパワーアップしてもスピードは落ちてないんだから、大したもんです。1996年11月に、「かつての最強」マイク・タイソンをTKOで破り、1997年8月(だったかな【1998/01/26訂正:この試合は1997年6月でした】)のリターンマッチでも反則勝ち(例の大騒ぎになった、タイソンの「耳噛みつき事件」ね)で堂々とタイソンを退け、今のヘビー級では文句なく実力トップでしょう。実年齢では、ホリフィールドよりタイソンのほうが若いはずですが、タイソンはピークをとっくに過ぎてしまったのに対し、ホリフィールドは三十代半ばの今が全盛期ではないでしょうか。名トレーナーで、タイソンの育ての親でもあったカス・ダマトが亡くなってからは、タイソンは リング上でもリング外でも、ボロボロだね。もう、かつての強さは取り戻せないでしょう。
 ところで、ボクシングの世界ヘビー級チャンピオンと言えば、まさに「世界最強」の象徴(注2)であり、男の子にとっては、えも言われぬ憧れの存在でした。私のような年代の人間には、やはりモハメド・アリとかジョー・フレージャーとかジョージ・フォアマンとかが強く印象に残っていますね。(過去形にしてしまったが、よく考えたらフォアマンは今でも現役だったかな?確か、1994年末に、WBAのチャンピオンに46歳で返り咲いたんだよね。26歳の時に失ったタイトルを、20年ぶりに奪回したフォアマンも物凄い男だね。)

(注2)1976年6月に、アントニオ猪木がモハメド・アリと戦い、引き分けたことで、プロレスリングも「世界最強」の看板を掲げたりするようになりましたが、猪木がアリと引き分けたのは、猪木選手がレスリングの範疇を越えて、天才的な「総合格闘家」だからであって、こと「フリーファイト」であれば、(一流同士なら)ボクサーがレスラーに負けることは考えにくいです。(レスラーを馬鹿にするものではありません。ルールの違いから、「組み技系」より「打撃系」のほうが、フリールールならやりやすいと言っているのです。)

 で、私は今ここで、アリやフレージャーやフォアマンと、ホリフィールドと、どちらがより良い選手か、などという不毛の比較をするつもりはありません。その時代その時代において、最強の選手だったことに間違いはないんですから。ただ、技術論はともかく、チャンピオンの防衛戦の行い方(つまり興業のスタイルだね)が、あの時代と今の時代とでは、大きく変わってしまったことは、言及しておかねばなりません。

 今は、アメリカ国内でペイ・パー・ビュー方式の放映形態が完全に定着してしまって、しかもペイ・パー・ビューによる放映のほうが、「普通の」放映よりも収益が格段に良いもんだから、ヘビー級に限らず、アメリカの人気ボクサー(世界ヘビー級チャンピオンなんて、殆どの場合がアメリカ人です)は、ことごとく国外では防衛戦を行わなくなりました。アメリカ国内の、ラスベガスとかニューヨークとかで防衛戦をやって、それをペイ・パー・ビューで流したほうが、はるかに興業収益が上がるから、人気ボクサーを抱える興行師(←この表現がオヤジだね(笑)。プロモーターのことよ)が、アメリカ国外ではやりたがらない訳ですね。まあ、そのお陰で、試合あたりの興業収益の規模は昔とは比べものにならないくらい大きくなりましたし、その分、選手のファイト・マネーの規模も大きくなり、それはそれで結構なことなんでしょうが、逆に、(うまく表現できないけど)何か、世界中で防衛戦をやらなくなったので、世界タイトルのイメージ、世界タイトルのスケールが、小さく感じられるようになっちゃいましたね。これは、あたし個人のノスタルジーかも知れませんが。
 ちなみに、1970年代のヘビー級戦線を知らない、若い人達の為に、あの当時の世界ヘビー級タイトルマッチが、世界各地で行われていたことを、以下に少し書いてみましょうか。

 ・1971年3月、ジョー・フレージャー対モハメド・アリ(フレージャーが判定でタイトル防衛)→ニューヨーク(これはアメリカだね)
 ・1973年?月、ジョージ・フォアマン対ジョー・フレージャー(フォアマンがKOでタイトル奪取)→キングストン(ジャマイカの首都)
 ・1974年2月、ジョージ・フォアマン対ホセ・キング・ローマン(フォアマンがKOでタイトル防衛)→東京
 ・1974年10月、モハメド・アリ対ジョージ・フォアマン(アリがKOでタイトル奪取)→キンシャサ(ザイールの首都)
 ・1975年?月、モハメド・アリ対ジョー・フレージャー(アリがTKOでタイトル防衛)→マニラ(フィリピンの首都)

 (上記の中には、私の記憶の中で、年月の記憶が定かでないものもあります。)

 どうです、まさに世界中でタイトルマッチを行ってるじゃありませんか。他にも、モハメド・アリ対ジョー・バグナーの試合(年月を失念)で、クアラルンプール(マレーシアの首都)で行われたのもありました、確か。この頃は、あたしが小学生→中学生→高校生の頃ですが、世界チャンピオンが世界各地を転戦して強豪と戦うのを見て、文字通り「戦うチャンピオン」の姿勢を見た気がしたものでした。(実際は、今思えば、チャンピオン自身が海外での防衛戦を望んだというより、世界中のプロモーターが、是非自国のリングで、世界ヘビー級タイトルマッチを開催して、名を上げたかったが為に、高いファイトマネーで呼んだんでしょうね。アリ対フォアマン戦なんて、何とザイール政府が主催者ですからね。)この当時の、「戦うチャンピオン」の強烈な幻影が、今でも私の脳裏に焼き付いているもんだから、今の、アメリカから外に出て戦わないヘビー級チャンピオンに、何となく物足りなさを感じてしまうんですよ、思い込みゆえのノスタルジーと、分かっていても、ね。