鶴居村広報誌のエッセイ
月に1回鶴居村全戸に配布される「広報つるい」に、タンチョウに関連するエッセイを連載しています。

2008年8月号

コウノトリとタンチョウから地域の未来像の構想へ
(その7:菊地直樹氏の講演より)

まとめ:レンジャー 渡邉美沙

●コウノトリとタンチョウの「語り」の比較

豊岡では、コウノトリに対してかわいいという言葉やお国自慢といった語りがほとんど聞かれないのに対して、ここ鶴居村や阿寒町の場合は、タンチョウのことを家族の宝物みたいな感じで語られることがあります。タンチョウとのかかわりは、10、11月から3月くらいまでの期間限定で、それ以降はほとんど接触がない。コウノトリの場合は、1年中ずっとかかわりがあるという点が違います(冬はあまりかかわりがないのですが)。

 コウノトリとタンチョウの語りの違いを少しまとめてみます。語りでは、コウノトリは農業などのいろんなところに登場するのですが、タンチョウは家族史のなかに登場します。コウノトリは日常の些細な場面で語られるのに、タンチョウは餌やりという特別な行為が日常化しているようです。また、コウノトリについてはこれまでに話したように、ツルボイなど多元的に矛盾するようなかかわりがあるわけですが、タンチョウの場合はそうじゃなくて、タンチョウの保護ということ、あと餌をやるということにかかわりがある意味で特化していることが違いとしてあります。コウノトリと人は、田んぼなどの私有地と共有地がある意味重なっているような場所で出会うのですが、タンチョウの場合は敷地内、いわゆる私有地といわれるところで出会うことが多いようです。鳥への意識は、コウノトリの存在は意識的ではないし、矛盾していたりします。あえていえばコウノトリは「ムラの鳥」という意識なのですが、タンチョウは「うちの鳥」という意識といえそうです。鳥の行動・生態としては、コウノトリの場合は人の生活域とかなり重複するのですが、タンチョウの場合は繁殖期と越冬期で生息地が変わるため、一時期は人と離れてしまう。主にかかわるのは冬の越冬期です。そのため、人の生活域との重なりは、タンチョウの場合、相対的に少なかったんでしょう。




●自然とのつき合い方を考えるきっかけに

しかし、今は生息数が多くなり、環境の破壊などによって、人とタンチョウの生活域が重なってきている。そして、その重なり方が、いろんな軋轢を生じさせ、問題になっているところもあると思います。タンチョウでも人の生活との共存をどう考えるかという段階になっていると思うわけです。

 ただ私は、タンチョウとの共存に関していろんな問題が出ているということは、自然や生きものとどういう風につき合うのか、もう一度深く考えることができる非常にいいきっかけではないかなと思うんですね。自然というのは人にとってプラスばかりではありません。私が豊岡で水害にあったように、どうしても我々にとって厄介な面があるわけです。それが自然のもっている一面です。例えばコウノトリも、人にとって100%すばらしいというわけではなく、つき合いが深くなればなるほど、お互いにちょっと嫌な面が出てきたりします。そういう中で、いろんなつき合いの深まりみたいなものが出てくるのだろうと思います。

 タンチョウはタンチョウの保護として考えて、人の生活は生活として考えてという、これまでのすみ分けの段階から、否応なくどういう風にタンチョウの保護と人の生活を共存というか、調整していくかということが問われてきている。そこが、大変なことではありますけども、自然とのつき合い方を深めていく非常に大きなチャンスでもあるのではないかなと思います。(つづく)



バックナンバー

2003〜2007年度の記録

2008年  4月号 コウノトリとタンチョウから地域の未来像の構想へ(その3)

2008年  5月号 コウノトリとタンチョウから地域の未来像の構想へ(その4)

2008年  6月号 コウノトリとタンチョウから地域の未来像の構想へ(その5)

2008年  7月号 コウノトリとタンチョウから地域の未来像の構想へ(その6)

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